第294話 現場司令官、報告する【side】
「えっ……? あの『ベヒモス』が全滅したって? 本当に?」
「…………はっ。誠にございます」
獣王師団所属、『霧の樹海』基地司令官である虎頭鬼エッジ中佐は頭を項垂れたまま、震える声でそう答えた。
謁見の間の石床には、入り口から玉座まで一直線に柔らかな絨毯が敷いてある。
臣下であるエッジらが長時間跪いていても膝や足腰が痛まないようにという、魔王様の配慮だという。
しかしそれでも、今やエッジの獣毛に覆われた手足は冷え切り、緊張から酷く強張っていた。
跪いたあとは、頭を上げることすらできなかった。
それほどまで魔王の覇気は圧倒的だった。
もっとも、さきほどまで隣で不遜な態度で『ベヒモス』の損害に関する報告書を読み上げていた死霊族師団長のリッチーが突如全身を何かに食い破られるようにして殺されたのを目撃した後だということも、無関係ではなかったが。
だが、それでも……この場を逃げ出すわけにはいかなかった。
軍人たるもの自らの任務を放棄して逃亡するなど、それこそ万死に値する。
……まさか師団長ディザルを飛び越えて魔王軍のトップである魔王コマダユウ様に直接報告を上げることになるとは予想だにしていなかったが。
「ま、リッチー君は『ベヒモス』損失の責任の全部をエッジ君に押し付ける気満々だったみたいだけど、あれの性能に関して君に非はないからね」
魔王は鷹揚な調子でさらに続ける。
「彼のことはまあ、うん、ちょっとやり過ぎたかも知れないけどさ。でも彼、そもそも不死だからね。小指の先くらいの骨片になっても、『浄化』しない限りは1年くらいで完全復活するでしょ? だからこれは……左遷みたいなものだよ。もちろん君はさすがに無理だろうし、俺もその辺は分かってるから。優秀で忠実な部下は宝だからね」
苦笑した気配も伝わってくる。
おそらく手を振ったのだろう。
小さな衣擦れの音が降ってきた。
「もちろん、本来ならディザル君から報告を聞くべきだと思うよ。けれども彼は今『霧の尖塔』を攻略中で手が離せないんだ。そうなると、ここにはもう彼の直属の部下である君しか事情を知る者はいないんだよね」
「…………御意」
「うんうん。それじゃ、君の報告書を読み上げてもらってもいいかな」
「……畏れながら申し上げます」
エッジは覚悟を決めた。
震える手で報告書の束を持ち上げると、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
◇
「——そっかぁ、古竜……かぁ」
説明が終わると、魔王の気だるげな声が頭上から降ってきた。
怒りの色はない。
穏やかな声だ。
だがそのことが、エッジにはかえって恐ろしく感じられた。
魔王が続ける。
「状況的からして、『霧の樹海』に封印されていたヤツかなぁ。でも、さすがに封印されているのが古竜だと知っていたら……いや、よそう。あそこから魔力を引くアイデアを出したのは僕だ」
魔王は自分に言い聞かせるようにそう呟いたあと、言葉を続ける。
「たしかリッチー君によれば、『ベヒモス』は歩兵から重騎兵までなら1:1000程度の戦力差でも蹂躙できる程度の戦闘力で設計されていたんだっけ。そうなると、まあ……ワイバーンとかトロルが相手ならともかく、さすがに古竜相手には力不足だよね。撤退も基地放棄もやむを得ない選択だったと思うよ」
「……………御意」
蚊の鳴くような声で、エッジは答えた。
魔王様の呟きは、けっしてエッジを責めるような声色ではない。
けれども、基地を放棄して撤退する決断を下したのはエッジ本人だ。
その責任から逃げるつもりはない。
沙汰を待つエッジは、その身をぎゅっとこわばらせた。
だが、彼に掛けられたのは、想定外の言葉だった。
「ま、切り替えていこう」
魔王はそう言って、小さく苦笑した。
「霧の樹海付近の奪還は後回しだ。さすがに古竜相手だと、俺も含めた全軍で対処しても勝てるかどうかちょっと分からないしね。仮に勝てたとしても、その後に王国と事を構えるとなると、ちょっと損害がバカにならないだろうし……」
「…………はっ」
「ということで、代わりの前線基地建造は物量作戦が得意なフラメ君に担当してもらうかな。場所は樹海からさらに西方の湖沼地帯がいいかな。あそこは王国からちょっと離れているけど平地も多いし、もともと候補地の1つとして挙げられていた場所だから」
『…………魔王様の仰せのままに』
「!?」
突如エッジの隣でキシキシと甲高い声色が響く。
慌ててそちらを見れば、小柄な――エッジの立てた膝よりも背の低い蟲人が跪いていた。
長く伸びゆらめく触覚を身体の後ろに流し、黒く滑らかな外骨格が光沢を放っている。
いつ……俺の隣に現れたのだ?
エッジは困惑と驚きが顔に出ないよう、必死にこらえた。
そんな彼の動揺など全く気にしていないかのように、蟲人――フラメがさらに1頭を垂れた。
『我が甲蟲機動師団の総力を投じ、前線基地を進めてまいります。……もちろん周囲の脅威は排除し万全に事に進めますゆえ、同じ轍は踏みませぬ。計画書は後程、我が眷属に届けさせましょう』
「うんうん、頑張ってね」
『ありがたきお言葉。……それでは私はこれにて』
「なっ!?!?」
今度こそ、エッジは声を上げた。
フラメの身体がボロボロと崩れ去り、小さな羽蟲となり――消え去ったのだ。
まるで夢か幻でも見ているような気分だった。
「ああ、それとエッジ君」
「…………はっ」
「君の大隊は、ディゼル君の『霧の塔』攻略組に編入することにした。彼もかなりの傑物だけど、それでも戦力不足でさ。端的に言えば、彼に並び立つ強者が足りないんだ。君も、どちらかというと前線で暴れまわる方が性に合うだろ?」
「……はっ」
エッジはさらに深く頭を垂れた。
たしかに基地の運営に関しては、これまで築き上げてきたノウハウがある。
だがウェアタイガーであるエッジが一番得意なのは、戦場を縦横無尽に駆け回り敵を倒すことだ。
もちろん、古竜に手も足も出ない自分の力に忸怩たる思いを抱かないわけではない。
だが相手は魔王様すら簡単に手出しができない、災害級の魔物だ。
自身が獣人族の猛者であるという自覚こそあれ、火山の噴火や河川の氾濫と同等の存在に単身で挑むのがただの莫迦者だということくらいは分かる。
とはいえ、久しぶりの現場に気持ちが昂る気持ちも嘘ではなかった。
……中途半端に頭が回るせいで、いつからか自分の戦場は泥と埃に塗れた大地から綺麗なカーペットの上へと移ってしまっていた。
だが、魔王様は全てをお見通しだったらしい。
エッジはそこでようやく顔を上げた。
小柄ながらも圧倒的な覇気を秘めた魔王の姿が、エッジの縦長の瞳に映る。
彼は満足そうに笑っていた。
「魔王様のご高配、身に余る光栄であります」
エッジも牙を剥き、獰猛な笑みを浮かべてみせた。
気付けば魔王の覇気は怖くなくなっていた。
それはエッジの魂を燃え上がらせる薪へと変わっていた。
「うんうん、見た感じ気合は十分みたいだね。それじゃ、宜しく頼むよ」
魔王は満足そうに頷くと、玉座から立ち上り……身を翻し、ひらひらと手を振りながら広間の奥へと消えていった。
※ディザル氏をはじめとした魔王軍のトップ層については第118話『魔王、企てる』をご参照ください…!
すいません!
来週多忙のため、お休みします。
次話は9/5の予定です。




