第291話 現場司令官、決断する【side】
「黒い、竜だとぉ……!?」
魔王軍獣王師団所有、『霧の樹海』中継基地はすでに混乱の極みにあった。
基地司令官である虎頭鬼エッジは執務室の小さな机の前で背中を丸め、両肘を机に置きつつ、事態を報告すべくやってきた配下のオーク兵を睨みつける。
「監視櫓との連携はどうなっている。いくら何でも報告が遅すぎるぞ!」
「申し訳ありませんッ!」
オーク兵は姿勢をピンと伸ばし、声を張り上げる。
「襲撃してきた黒竜は突如『霧の樹海』の上空に出現。近くの監視櫓を兵もろとも魔法で薙ぎ払い、さらに対処に駆けつけた防衛班を、彼らが警報を発する間も与えず殺害しました。私まで報告が上がってきたのは、さらに黒竜が基地内部に侵入した後です」
「くそ!」
ダン! と執務机に拳を叩きつける。
エッジが纏うあまりの迫力にオーク兵は一瞬ビクッと体を震わせるが、どうにか姿勢を維持したまま報告を続ける。
「……現場ではすでに多数の死傷者が出ております。本隊からの増援を具申いたします」
「…………」
エッジはオーク兵に答えず腕組みをして、執務椅子に背中を預けた。
それから胸に溜め込んだ息を、苛立ちと一緒に吐き出した。
報告が遅れたとはいえ、黒竜の出現から5分も経っていない。
しかしすでに転移魔法陣に魔力を供給するための大型魔道具6基のうち4基が破壊され、周辺にあった関連施設の大半が破壊されたという。
大規模転移魔法陣はズタズタに破壊されている。
さらには、迎撃に向かった4個小隊がすべて消滅。
全滅ではなく『消滅』だ。
(……一体どういうことだ)
この基地に配備されている部隊は精鋭だ。
軍事訓練を受け、最新鋭の武装を所有し、集団戦闘の経験を十分に積んだハイオーク5体とゴブリンが20体。
それが4個分、なすすべもなくこの世から消え去ったというのか。
(1個小隊でワイバーン5体を同時に相手取り、人族どもの重装歩兵や騎兵隊をも蹴散らす精鋭だぞ……!)
エッジは信じられない思いで、目の前のオーク兵を睨みつける。
「もう一度聞く。襲撃は間違いなく竜の仕業なのだな?」
「はっ。我が隊でも人族どもの破壊工作を疑いましたが、その痕跡は見当たりませんでした。ただ……」
「なんだ、はっきり言え!」
なぜか口ごもる部下を、エッジが怒鳴りつける。
「は……はっ! 今のところ未確認情報なのですが……竜を目撃した最初の部隊が、全滅する前に他の部隊を介して『霧の樹海の封印が破られている』と報告してきたらしいのです」
「ありえん。それは断じてありえん」
エッジは大きく首を振った。
『霧の樹海』の封印は、この地に基地が建設されるずっと前から存在している。
かつてこの地を視察に訪れた魔王様によれば、すくなくとも1000年以上前から封印が継続しているそうだ。
その堅牢かつ安定した術式ゆえ、封印術式から少々の魔力を拝借して大規模転移魔法陣を稼働させていたのだ。
そもそも、魔王様が保証するような強固な封印を、人族ごときが解除できるわけがない。
だが、時おり建物を揺らす震動や外から聞こえてくる怒号から、件の竜が相当に強力な個体であることは間違いなかった。
「現場からの報告によれば、当該竜種はブレスを吐かず、代わりに高位雷撃魔法と高位風魔法を使用したことです。ワイバーンは魔法を使用することはありませぬ」
「……となれば、相手は古竜クラスか」
古竜は千年単位の時を生き、高度な知性で魔法をも操る、現状知られている中では最上位に属する竜種だ。
その強大な力で暴れ回れば、森を一瞬で灰に変え、川の形を変えるという。
そんな自然災害と同様の破壊をもたらす存在に対抗する手段は……この基地には1つしか存在しない。
(やむを得ん)
エッジは決断した。
この戦闘で、基地は跡形もなく破壊され尽くされるだろう。
だが、基地は所詮基地。再建可能だ。
一方、兵士は――しかも基地の守備を任せられるほどの精鋭は――失ってしまえばそれきりだ。
前者と後者なら、天秤にかけるまでもない。
「本隊への増援要請は出さん。代わりに、今すぐ封印庫から『ベヒモス』を解放しろ。1号から5号まで全部だ」
「ぜ、全部……ですか?」
オーク兵が聞き返す。
だがエッジは力強く頷き、断言した。
「全部だ。本来は人族どもを蹂躙するための魔法兵器だが……災害級の竜種を鎮圧するならば、出し惜しみしていても仕方あるまい。魔物使いの帯同も隷属魔法も不要だ。活動限界を迎え自壊するまで暴れさせる。我々はあれの解放を確認次第、基地を放棄する。総員撤退だ。急げ!」
「は……はっ!」
オーク兵は軍靴を鳴らし敬礼をしてから、慌ただしく執務室を出て言った。
◇
「あん? なんだぁアイツは」
あらかた『霧の樹海』から魔力を吸いあげる施設を破壊したところで、ディリは遠方から放たれる強烈な魔力に気づいた。
数は5つ。
そのどれもが、これまで足元をうろちょろしていた獣頭共とは比べ物にならない強大な気配だ。
どうやら獣頭共は、隠し玉を持っていたらしい。
ディリは黒竜姿のまま長い首をもたげ、先ほど破壊した建物の上からその方角を見た。
次の瞬間、チカッと何かが光った。
「危ねぇっ!?!?」
チュン、と甲高い音とともに、ディリの頭のすぐ横をひと筋の光条が走り抜けたのだ。
それが、強烈な魔力による『攻撃』であることはすぐに分かった。
「へえ……なんだなんだ、ここにも遊び甲斐のあるヤツがいるじゃねぇか」
視線の先、遠くにいるのは奇妙な形状の魔物だった。
遠目にも、その巨体が分かる。
ある程度の個体差はあるものの、そのどれもが自分よりふた回りは大きい。
頭部は獅子のように見える。
四足獣の形態で竜の皮翼を持ち、尻尾は甲殻類のように硬い外殻で覆われている。
さきほどはブレスを放ってきたかと思ったが、どうやらその尻尾から放たれたらしい。
その先端部は、大昔に人族が使っていた『大砲』の筒のような形状をしていた。
「放たれたのは、収束魔力光かぁ?」
ディリは舌なめずりをした。
かつての『大戦』で見かけた魔法兵器を思い出す。
——収束した光の筋が、四方八方からディリを貫かんと飛来する。
それを鱗1枚分の差で躱し、敵に肉薄し、そして叩き潰す。
その快感と興奮が、彼女の脳裏に鮮明に蘇る。
「…………っ」
身体中の鱗という鱗がぞわぞわと浮き立ち、その感覚にディリは身震いをした。
腹の奥から戦意がマグマのようにぐつぐつと湧きあがってくるのを感じる。
この地で破壊の限りを尽くし同族にこの『霧の樹海』の神殿に封印されてからというもの、退屈の日々だった。
手慰みに樹海に生息する魔物を絶滅させたのが、700年前だったか。
それから暇を持て余して庭仕事を覚えてみたり神殿を毎日ピカピカに磨き上げたりしてみたが、そんな孤独で平穏な日々も悪くはなかった。
いろいろ思索にふける日々も増え、暴力だけがすべてではないと思う時間も増えた。
だが、やはり……こうして強大な敵を前にしてしまえば、自覚するしかなかった。
自分の本質は『破壊と混沌』だ。
あのヒロイとクロとかいう亜神たちは、またすぐにやってくる予感がある。
それまであの魔法兵器と楽しんでいればいい。
「なるべく長持ちしてくれよぉ……? ガオオオオオオォォォーーーーッ!!」
興奮と歓喜の入り混じった雄たけびを上げ、黒竜ディリは『ベヒモス』の群れへと猛然と襲い掛かった。




