第290話 社畜、結界を破壊する(してた)
「……ふぅん。まあ、お前らの話はよく分かった。要するに、外から森の魔力を吸い取っている奴らとは違うってことか」
祭壇の上で胡坐をかいた女の子が、納得したように頷いた。
——ひとまず彼女に無断侵入を詫びた後、俺は彼女――ディリというらしい――に、自分たちの立場を説明した。
魔界の住人ではなく、山を越えて人間の国からやってきたこと。
ここが彼女の住居だとは知らなかったこと。
別に神殿を荒らしたり誰かに危害を加えるつもりはないこと。
そもそも特に用事はないので、すぐに立ち去るつもりであること……などなど。
案外彼女は物分かりが良く、きちんと話を聞いてくれた。
まあ、それもこれもクロが彼女を『分からせた』からというのが大きいが……
「こちらの立場をご理解頂き助かります」
俺がもう一度頭を上げると、ディリは気まずそうに俺たちから視線を外し、それからため息交じりに鼻を鳴らした。
「ふん。オレとて竜人の誇りがある。そこらにウヨウヨしている獣頭どもみてぇに好き好んで暴力を振るうような蛮族じゃねえからな。多少、お互い誤解があったみてぇだが……お前らは礼拝に来たってことで許してやる」
それにしてはさっき、ノリノリで『死ねええぇ!!』とか叫んで襲いかかってきたような……
そんなディリの不遜な物言いに、クロが目を吊り上げ何かを言いたそうにしていたので『まあまあ』となだめる。
さすがにこちらも不法侵入(?)した立場なので、これ以上のもめごとは避けたいからな。
ちなみに彼女の話では、彼女自身がこの神殿の『ご神体』の役目を担っているそうだ。
要するに生き神様というやつである。
俺は魔界の宗教事情には詳しくないが、地球側でも世界各地で動物を神様の使いとする宗教は多いし、異世界ならば人に化けるドラゴンが神として祀られていても別に違和感はない。
そう思えば、彼女の頭から伸びた立派な角や長く伸ばした綺麗な黒髪、それにほっそりした身体にゆったりと纏うローブのような衣服、それに彼女が座る獣の毛皮などまでが神々しく見えてくるのだから不思議なものだ。
まあ、クロも昔は神様をやっていた時期があったそうなので、異世界側では強力な魔物を神として崇める宗教が根付いているのだろう。
……とはいえ、ディリがこの『霧の樹海』に封印されている理由は話してくれなかったが。
過去に何かやらかしたのだろうか?
彼女の粗野な言動を見るに、そんな気がする。
まあ、邪神だろうが荒神だろうが神は神。
これ以上ちょっかいを出さなければ大丈夫だろう。
……と、そうだ。
ふと思い出して腕時計を見る。
時刻はすでに16時近かった。
時計の針は異世界仕様(大まかにだが)に調節してあるから、もう数時間のうちに日の入りとなる。
今日は山を少し登り返してから目立たない場所に転移魔法陣を設置してそこから王国側に戻る予定だが、作業は日があるうちに終えておきたかった。
「……さて、そろそろ私たちはこれで失礼いたします」
「なんだ、もう帰るのか?」
俺たちが帰ろうとすると、ディリは名残惜しそうな様子でそう言った。
さっきまでは怒り心頭で攻撃してきたわりに、案外寂しがり屋らしい。
……そこでふと気づいた。
「そういえばこの神殿にはディリ様以外に誰かの気配を感じませんが、巫女さんとかはいないんですか?」
「ああん? いるわけないだろ。オレは封印されてるんだぞ」
俺の素朴な疑問に、ディリが『何を言っているんだ』みたいな顔でそう返してきた。
そういえば、そんなことを聞いた気がする。
そして彼女は自分が口にした言葉で、はっと目を見開いた。
「そういえばお前ら、なんで封印されている森を抜けてここまで来れたんだ?」
「あー、それは……」
一瞬、どう伝えたものか迷ったが、結局正直に言うことにした。
「封印なら、たぶん解けていますよ」
「…………ああん?」
俺の言った意味がよく分からなかったのか、ディリは小首をかしげつつ、訝しげな表情で俺の目を覗き込んだ。
だが、それも数秒のことだった。
「…………そういえば、さっきから身体の調子が良い気がする」
彼女はそう言ってから俺から視線を外すと、しげしげと自分の両手を眺めた。
それからわきわきと両手を握り、そしてゆっくりと広げる。
「……力が漲ってるぞ」
「……封印というのは、森の外縁部を覆っていた棘のある蔦ですよね? それならば、ここに来るときに解いて……正確に言えば、ちょっとした手違いで解いてしまいました。もしかしてまずかったですかね?」
「いや……いや、いい。別にここから出てどこへ行くつもりもないが、封印が解けるならそれに越したことはないからな。だが、小さきお前らにそんな力が……ある……なあ、うん」
急にディリが青い顔になって俺から目を逸らす。
もしやと思って隣を見れば、案の定クロがギロリと鋭い眼光を彼女へ向けていた。
おおかた『主を侮るな』とでもプレッシャーをかけているのだろう。
すでに2人の間には越えられない上下関係が確立されているらしかった。
「クロ、俺は気にしてないから」
ひとまず彼女をなだめる。
いずれにせよ、この様子だとお咎めはなさそうだ。
内心ホッと胸をなでおろす。
不可抗力で神罰とか当てられたらたまったものじゃないからな。
「さて。クロ、そろそろ行こうか」
「うむ」
「おう、また遊びに来いよ」
「……機会があれば、ぜひ」
「絶対だぞ!」
社交辞令のつもりだったが、思い切り念を押されてしまった。
クロのことはともかく、俺たち自体は嫌われているわけではないらしい。
もしかしたら、ディリもたった1人の神殿暮らしで寂しさが募っていたのかもしれない。
まあ、ここ霧の樹海付近には、偵察のためにあと何度かは訪れる予定だ。
その時、顔を出してもいいだろう。
——『霧の樹海』を出て山の中腹まで戻ったころには、すでに日は落ちかけていた。
俺は急いで山道を外れ、少し奥まった場所にある岩陰で魔法陣を設置し、クロとともに王国へ戻ったのだった。




