第289話 社畜と漆黒の竜
『死ねごらああぁぁァーー!!!!』
耳をつんざく咆哮とともに、目の前に真っ黒な壁が迫る。
違う。これはヤツの尻尾だ。
「ぬおおっ!」
とっさに床に伏せ、尻尾の一撃をやりすごす。
ぼっ! と空気がはぜる音がして、風圧で体が床から引き剥がされそうになるが、どうにか堪える。
「クロ……?」
暴風が過ぎ去ってから気づく。
クロの姿が見えない。
「案ずるな。我はここだ」
天から降ってきた声に慌てて見上げれば、なんとクロは天井に立っていた。
いや、立っているというより天井を蹴りつけているところだった。
どうやら彼女は、俺と反対に黒竜の尾撃を上に跳んでやりすごしたらしい。
「主に何をする、蜥蜴風情が」
『あぁ!?』
声を聞きつけた黒竜が頭をもたげたのと、クロの長い脚から繰り出された踵落としがヤツの頭部にめり込むのとほとんど同時だった。
『ぐふっ!?』
十分な落下の重量と人外の脚力、そしてたっぷりの回転運動を載せた一撃だ。
たまらず黒竜がその巨体ごと沈み込み、衝撃で祭壇の床がひび割れる。
「……ふん」
スタン、と軽やかな足音とともにクロが地面に着地する。
『ぐおおおおおおぉぉ!?!?』
黒竜はさっきの踵落としが思いの外強烈だったのか、巨大な体躯をゴロゴロと転げさせてながら悶えている。
が、それだけだ。
「む……あれでも昏倒しないか」
クロが黒竜を睨みつけながら、ボソリと呟く。
彼女の言う通りだ。
大げさに痛がってはいるが竜鱗には傷ひとつ付いていない。
『ぐぎぎ……テメェら……よくもやってくれたな』
黒竜はひとしきり呻き声をあげると、その場でゆっくりと立ち上がった。
こちらを睨みつける両眼には憤怒の色で染まっている。
これは……本格的に怒らせた気がする。
反撃したのはクロだが、従魔のしたことは主の責任だ。
そもそも不法侵入したのは俺たちだし、これ以上応戦するのは心情的にもよろしくない。
ここはお互い様ということで、さっさと退却するのが吉だろう。
「お、お邪魔しました」
『逃すかああぁぁ!!』
抜き足差し足で踵を返そうとしたところに、今度は前脚の叩きつけが襲ってきた。
「おっとぉ!?」
が、これは余裕を持って躱す。
尻尾の一撃は鞭みたいに速かったが、手足はそうもいかないらしい。
ヤツの前にいる分には、思いのほか鈍重だな、という印象だ。
とはいえ、相手はドラゴン。
立ち上がると背丈は5、6メートルはありそうだし、全長はゆうに20メートルを超えている。
身体に比較して翼は小さいから陸生の種かもしれないが、尻尾も手足も文字通り丸太のように太い。
どの攻撃も、当たればタダでは済まないはずだ。
『おいコラどこに行くんだ! オレの寝床に土足で踏み込んで、ただで帰れると思うかよォ!』
黒竜は俺たちが逃げようとすると、存外に素早い動きで進行方向に立ちふさがる。
それにしてもこのドラゴン……さっきはちんまい幼女だったのに、今の姿になったあたりから随分とオラついているな。
いや、元々こっちが本当の性格か。
いずれにせよ、これ以上ヤツに付き合う気はない。
「クロ、二手に分かれて逃げるぞ!」
「了解」
『逃がすか!』
クロが神殿の柱を蹴り三角跳びの要領で黒竜を飛び越えようとする。
しかしヤツは器用に身をよじり、クロに噛みつこうと牙だらけの顎を大きく開いた。
幸い彼女は空中で身をひるがえし、間一髪これを回避。
その間に、俺は黒竜の側面に回り込んでいる。
『だから逃がさねえって言っただろうが!』
「おっと!?」
ふたたび、側面から黒い壁――太い尻尾の薙ぎ払いが襲ってくる。
これは俺も跳躍して躱す。
だが、その間に黒竜は身体を入れ替え素早く移動すると、神殿の出口に立ちふさがるように位置取った。
どうやらヤツは本気で俺たちを逃がすつもりはないらしい。
「…………」
さて、どうしたものか。
このままヤツを仕留めるのはそう難しいことではない。
尻尾の薙ぎ払いや前脚の叩きつけは、躱せないことはない。
隙を見て『魔眼光』や『奈落』で致命傷を与えることはできそうに思える。
あとは、ブレスとかを吐かれると厄介なのだが……今のところ、黒竜がブレスで俺たちを追い詰めようとする素振りは見せていない。
ここが屋内だから?
それともブレスを吐く能力を持たないから?
もちろん奥の手で温存しているかもしれない。
油断はできない。
とはいえ、さすがに幼女姿だった魔物を殺すのは抵抗感が強い。
このまま黒竜を傷つけずに神殿を脱出したいところだ。
とはいえ、コイツが魔王軍の幹部とかだと少々面倒ではある。
こっちのスパイ行為があちら側に漏れてしまう。
やはり目撃者は消すべきなのか……?
『てめええらああああぁ! オレの封印だけに飽き足らず、森の魔力まで吸い取りやがって! 挙句の果てには寝込みを襲おうって魂胆か!? いい度胸してるじゃねぇか小さき者どもが!!』
……ん?
黒竜が攻撃を繰り出しながら、怒声を上げる。
その内容が気になった。
封印? 魔力を吸い取る?
もしかして、コイツ……魔王軍とは関係ない勢力だったりするのか……?
だったら……!
「ちょっと待った!」
俺は黒竜の前に出て両手を上げた。
いわゆるホールドアップの体勢だ。
「少しの間でいいから話を聞いてくれないか! 俺たちは別に、魔王軍とは関係ないんだ! だから、君に敵意は――」
『うるせええぇぇ!!』
「ぬおぉっ!?」
俺は身体を捻り、尻尾の叩きつけを紙一重で躱す。
さっきのは危なかった!
やはり、ここまで激高されてしまえば説得は無理か……
と思ったら。
「この無礼者が!」
離れた場所で怒声が上がったと思ったら、クロがすごい速度で黒竜に迫り――
ヤツの横っ面を思い切り殴りつけたのだ。
『ごほおっ!?』
黒竜の大きな頭が、まるで発泡スチロールでできた小道具のように軽々と吹っ飛ばされる。
「ぐぬ……さっきからなんだその力は!?」
ヤツは横に数歩たたらを踏むと、戸惑いつつもクロに向かって咆哮する。
だがクロは黒竜の問いに答えず無表情のまま再びヤツに歩み寄ると、こんどはその後ろ脚をローキックの要領で蹴っ飛ばした。
『あだぁッ!?』
後ろ脚をすくわれた黒竜はたまらずバランスを崩し、その場に転がってしまう。
ズズン、と地響きが足元から伝わってくる。
クロと黒竜は子犬と象ほども体格差があるが、その立場はまるで逆だった。
というか、人間姿のクロってこんな強かったっけ?
『なっ、なんなんだお前は!』
黒竜はどうにか起き上がったものの、身体はふらついている。
もしかしたら、さきほどのフック(?)が効いているのかもしれない。
あれ、完全に顎に入っていたからな。
「……お主。今、我が主に殺意を向けたな?」
『ひっ!?』
仁王立ちで威圧するクロに、黒竜が怯えたように喉を鳴らす。
「主はお主と話し合おうとしていたはずだ。ならばせめて、耳を傾ける姿勢くらい見せるべきだろう」
『オ、オレの寝所に土足で入ってきて何を言いやがる!』
「…………」
『ひい!』
クロが無言で放つ圧倒的覇者のオーラに、黒竜が数歩後ずさった。
先ほどまでの圧倒的な殺気は消失し、まるで子犬か子猫のようにプルプル震え縮こまっている。
これは……完全に勝敗が決した感じだな……
しかしこの黒竜、図体は立派だが存外に気の小さいヤツらしい。
やはりコイツは変化前の子供姿が本体なのかもしれない。
と、そんなことを考えている余裕はない。
このまま放置するとクロが黒竜をボコボコにしかねない。
俺は彼女の隣に立ち、肩にそっと手を置いた。
「クロ、そこまでだ」
「む……しかしあやつは主に殺意を向けたぞ」
「俺なら大丈夫だよ。それにあの竜はまだ子供みたいだ。ここまでにしておこう」
「……分かった」
クロはまだ黒竜に何か言いたげだったが、小さく頷くと、数歩、後ろに下がった。
俺はそれを確認したあと黒竜に向き直り、ひとまず頭を下げた。




