第288話 社畜と霧の神殿
『霧の樹海』内部は静けさに包まれていた。
足元は獣道程度の広さで、曲がりくねった道が延々と続いている。
左右に広がる森は鬱蒼としており、濃い霧に覆われているので先が見通せない。
おまけに鳥や獣どころか虫の鳴き声すら聞こえないうえに風も吹かないせいで、周囲は全くの静寂に包まれていた。
さく、さく、と俺とクロの、獣道を踏みしめる足音だけが規則的に響いている。
青っぽい薄暗さも相まって、まるで白昼夢を見ているような気分だった。
けれども、不思議と嫌な感じはなかった。
なんというか、この風景や雰囲気に懐かしさを覚えたのだ。
その気持ちがどこからやってきたのか、すぐに思い当たった。
「あー、分かった。神社だ」
「神社?」
俺の呟きに、隣を歩くクロが不思議そうな顔をする。
「そうそう、神社。ここの雰囲気、神社の境内によく似ているなと思ってさ」
より正確にいえば、すごく大きな神社。
先ほどの小さな森の祠とは規模の違う、広大な敷地を持つ神社。
そういう静謐で厳かで、凛とした空気が漂っているのだ。
そういえば、奥に進むにつれて徐々に木々の幹が太くなり、背も高くなっていた。
気づけば足元は綺麗に敷き詰められた石畳に変わっており、道幅も馬車1台くらいなら悠々と通れるほどに広がっている。
「ここ……やっぱり、ただの森じゃないな」
周囲を見回し呟く。
森の外側からは分からなかったが、おそらくはここは、古代文明にまつわる場所。神殿や寺院の類だろう。
王国ならば、スウムの村から魔界側に向かった場所に、森林に埋もれた古代遺跡があった。
感覚としてはそこに近い。
ただ、あっちが完全な古代遺跡なのに比べて、ここはまだ『生きている』ように思える。
思えば魔物たちがここの周囲の敷地を柵で囲っていたのは、基地がどうというわけではなく、ここが神域だからかもしれない。
「どうする、主よ。このまま進むか?」
「そうだな……」
最初はちょっと様子を見て帰る予定だったが、知らないうちにかなり奥までやってきている。
もっとも、このまま進んでも危険な感じはなさそうだった。
というかここに至るまでの間、魔物の影すら見ていない。
その気配すらない。
魔界の森だというのに、こんなことがあるのだろうか。
以前王国側から山のトンネルを抜けて魔界に入ったときには、普通に魔物がいたからな。
「ここまで来たんだ。せっかくだから奥まで行ってみないか」
少しばかり悩んだが、結局俺は先に進むことにした。
「主がそう言うのなら、我はついていくだけだ」
「まあ、危険そうならすぐ引き返すよ」
言って、俺たちはさらに森の奥へと歩を進めてゆく。
道幅はどんどんと広がり、すでに馬車がすれ違えるほどになっていた。
そして、曲がりくねった道を10分ほど歩いた先に、神殿のような建物が現れた。
神殿は立派な造りで、巨大だった。
これが山の上から見えなかったのが不思議なくらいの大きさだ。
「やっぱりあったな」
建物の周囲は開けており、下草も丁寧に刈り取られている。
しっかりと手入れされているところを見るに、現役の建物らしい。
神殿は王国で見かける寺院とは異なる建築様式で、どちらかというとダンジョンで見かける地下神殿に近いだろうか。
「ふぅむ……」
クロが周囲を見回してフンフンと匂いを嗅ぐ。
「何か匂うのか?」
「懐かしい匂いがする」
「懐かしい匂い?」
「うむ。我がかつて神獣だった頃の記憶がふと蘇った。不思議な気分だ」
クロはそう言って、神殿の先を見た。
建物の奥は闇に覆われていて、ここからではよく分からない。
もしかしたら、この神殿にはクロのような強力な魔物が棲んでいるということだろうか?
あるいは精霊とか、神そのものとか。
だとすれば、ここで引き返すのも手かもしれない。
別に戦闘の準備がないわけではないが、クロと同類なら戦いたくはない。
「……なあクロ」
「なんだ、主よ」
「もしここにいるヤツが……昔のクロみたいな神獣だとして、俺たちに友好的に接してくれるものなのかな」
「何とも言えんな。神として祀られる存在が善きものであるとは限らない」
「まあ、それはそうだけど」
彼女の言い分はもっともだ。
地球側でも、他の宗教や文化圏から見れば悪魔とされる神もいる。
日本では邪神と呼ばれるような存在や妖、それに単なる獣などを神として崇めることもあった。
翻って、異世界の、しかも魔界に存在する神殿で祀られる神が、俺たちに友好的に接してくれると考えるのは……さすがに楽観が過ぎるというものだ。
だが……
俺は神殿の奥に蟠る闇を見つめた。
ここまで来れば、『毒も喰らわば皿までも』だ。
「クロ、ここまで来たんだ。神殿の主にちょっと挨拶くらいはしていかないか」
「いいだろう。我もそやつの顔を見てみたい」
そうと決まれば、さっそく神殿へと足を踏み入れる。
建物内部は天井が高く、広々としていた。
照明はないものの、外からの明かりが内部を照らしているため、目が慣れてしまえば周囲を見渡すのに困ることもない。
「へえ……案外綺麗だな」
床は磨かれた大理石で白亜の宮殿と言った趣だ。
誰かが掃き清めているのか、埃ひとつ落ちていない。
そして……石柱の立ち並ぶ広間の最奥部に、人の背丈よりも高い、大きな祭壇があった。
……そこから何やら異音が聞こえてきていた。
『ぐごおおおおぉぉぉ……があああああ……すぴぃぃ……』
うん。
異音というか、これ……いびきだな。
「…………」
「…………」
思わず、クロと顔を見合わせる。
何者かがこの神殿にいることは想定の範囲内だったが、まさかいびきをかいて寝ているヤツがいるとは思わなかった。
さすがにわざわざ起こして挨拶するつもりはないが、せめて顔だけでも拝んで帰るか。
そう思って祭壇までやってくると、かなり急な階段をそろそろと登っていく。
『がああああぁぁ……ぐごごごごご………』
……小さな女の子が大の字になって、祭壇の上で眠りこけていた。
見た目の年齢は、10歳前後だろうか。
長い黒髪で、可愛らしい顔立ちではあるのだが……側頭部から生えているのは、山羊のような立派な角だ。
明らかに人間ではない。
布団代わりに敷いているのは何かの猛獣の毛皮だし。
『があああああぁぁぁ……んごごごごごご……』
「それにしても、でかいいびきだな……」
あまりの大音量に、片耳を押さえながら呟く。
ここまで近寄ると、もはやいびきが地鳴りを起こしているようだった。
「…………」
「…………」
再びクロと顔を見合わせた。
そして視線で会話をする。
……よし、帰ろうか!
以心伝心というやつである。
どう考えても起こさない方がいいタイプの人外幼女だ。
それに当初の目的通り、神殿の主らしき存在の顔も拝むことができた。
これ以上の長居は無用だろう。
2人して頷き合い、同時に踵を返そうとした。
そのときだった。
『んごごごご……パパうえっ!?』
なにか悪夢でも見たのか、一瞬へんな寝言を呟いたと思ったら、女の子がガバッと上半身を起こした。
それから寝起きのキョトンとした顔で俺たちを交互に見た。
「……やべっ」
俺の呟きが静かな神殿に響く。
『…………あ、あ、あ』
彼女の顔が蒼白になり、それからすぐに耳まで真っ赤になり、プルプルと身体を震わせ……
『どこの誰じゃテメェらあああぁぁーーーーーー!!!!』
口の悪い絶叫とともに――見上げるように巨大な、漆黒の竜へと変化した。




