第287話 社畜、偵察する
茂みや木立などに隠れながら山を下り、基地(?)の近くまでやってきた。
敷地の周囲は背の高い木柵で囲まれている。
柵は遠目で見たときにはよく分からなかったが、断面から察するにまだ生木のようだ。
どうやら最近設置されたものらしい。
ゲート付近は当然ながら門番が立っている。
こちらは見張りのゴブリンではなく、オークだ。
ヘヴィ級ボクサーを2回りほど大きくしたような体格で、立派な鎧を着こみ、直立不動の姿勢で巨大な斧槍を持っている。
ヤツらがどれほどの強さかは分からないが、少なくともただのオークではないのは明白だった。
オークは以前見かけたことがあるが、そっちは完全に豚頭のゴリラだった。
それに対して、いま目の前にいるやつは軍人のそれだ。
周囲を警戒する眼光には明らかに知性が宿っており、立ち姿には武人然とした気品すら感じさせる。
試すまでもなく、練度は相当に高いはずだ。
そういえば、ずっと前に朝来さんを襲おうとしていた個体は言語を話していたっけ。
おそらくは、オークでも賢いヤツとそうでないヤツがいるのだろう。
地球側でいえば、怪人と妖魔の違いのように。
(うーむ……さすがに敷地内に潜入するのは無理か……)
それはさておき、敷地の警戒態勢はなかなかのものだ。
となると、俺の『隠密』がどこまで通用するのかは未知数だった。
さきほど見た、櫓の上のゴブリン程度なら欺けるとは思う。
だが、目の前の門番オークの目は誤魔化せないかもしれない。
よしんば奴らに通用したとしても、基地内部にいるかもしれない、さらに強い魔物や魔族には通用しない可能性は十分にあった。
(今日は偵察だけが任務だしな……)
まあ、さすがにギルドも基地内の戦力全体を把握しろとは思っていないはずだ。
見つかって捕らえられてしまえば元も子もないからな。
とはいえ、この場所はそれなりに重要な場所だということは分かる。
でなければ、櫓を建てたうえで木柵で覆い、門番まで配置する意味がない。
だだっぴろい敷地を有していることから考えても、大軍を待機させておくにはもってこいの場所だ。
山から俯瞰した感じでは、今のところ転移魔法陣らしき紋様が描かれている形跡はなかったものの、そういう用途で運用することは可能だ。
特に奥側のグラウンドのように整地された場所が怪しい。
ただ、見える範囲には大軍を養えそうな設備は見えなかった。
何日も待機するのならば寝泊りする場所や食事をする場所が必要なはずだが、そういうものが全く見当たらない。
となれば、おそらくはこの場所は単なる中継地点なのだろう。
……ひとまず持ってきたメモに、自分の考えや『基地』の特徴をガリガリ書き殴っていく。
「あとは、ちょっとでもいいから敷地内の様子を近くで見られたらいいんだけどな……」
残念ながら、俺のスキル『マッピング』では半径十数メートル程度しか状況を把握できない。
ダンジョンならばそれでも十分すぎる性能なのだが、こうも広大な敷地ではあまり役に立つとは言えない。
どのみち帰るときに、途中まで山道を登り返すことになるから、もう一度俯瞰してみるか?
いや……待てよ。
ここは『霧の樹海』と接している湿原だ。
木柵は湿原の大半を覆っているが、『霧の樹海』までを覆いつくすものではないようだ。
思い返せば、柵は湿原と樹海の境界で途切れていた気がする。
「樹海側から敷地の中を偵察できたりするのかな……」
さすがに何らかの立入禁止措置が取られているとは思うが、確認する価値はあるかもしれない。
「クロ、あの樹海まで行ってみないか」
「…………」
小声でクロに呟く。
彼女は俺をじっと見上げて、小さく尻尾を振った。
◇
樹海の近くまでやってくると、急に霧が濃くなった。
いや、濃くなったどころじゃない。
目の前が真っ白になってしまった。
「なんだこれ……? まだ湿地だよな?」
樹海の縁はまだ数十メートル先だというのに、一寸先は闇ならぬ霧と言うべき状態で、足元に佇むクロの頭がようやく視認できるほど。
正直、自分の爪先を視認することすらままならない。
周囲を見回しても、山も基地の木柵も見えなくなっていた。
とはいえ、幸い『マッピング』の性能に支障をきたすようなことはなく、俺の視界の一部には周囲の地理情報が表示されている。
それによれば、3メートルほど前方に何か障害物があるようだ。
生物とか魔物ではないので、とりあえずそこまで進んでみる。
それは立て看板だった。
『警告 この先霧の樹海につき濃霧に呑まれる危険あり 直ちに引き返せ』
と書かれている。
言語は王国の共通語ではないので、魔界語なのだろう。
つーか……
「すでに霧に呑まれているんだなこれが……」
前後左右真っ白だった。
ホワイトアウト、というやつだ。
俺はマッピングスキルを持っているからいいが、普通のヤツなら遭難している。
「この霧……明らかに自然に発生したものじゃないよなぁ」
もしかしてこの辺りに近づく者を惑わすような結界とか魔法が周囲に張り巡らされているのだろうか。
場所的にもあり得ない話ではない。
この『霧の樹海』には何か魔王軍の秘密でもあるのだろうか?
いずれにせよ、ここまで来たらそれを確認せずにはいられなかった。
と、そのときだった。
「っ、なんだ……!?」
突然、チリチリと左目が疼き始めた。
久しぶりの感覚に、左手で目元を押さえる。
「…………っ」
「大丈夫か、主よ」
気が付くと、クロが人の姿になり、すぐ側にいた。
彼女を心配させないよう、努めて穏やかな声で応じる。
「ああ、大丈夫……だ」
幸い、疼きはそれ以上強くなることもなく、徐々に収まっていった。
そして、そこで気づいた。
周囲の白い闇が薄れ、目の前に鬱蒼とした森が広がっていた。
背の高い藪の間にねじ曲がった木々が所狭しと並び、さらにその間には棘だらけの蔦があちこちに絡まっている。
生き物の気配はほとんど感じられない。
虫の鳴き声さえ聞こえない。
じっとりと湿った空気と白い靄だけが、森の隙間を埋めるように蟠っている。
そんな生ける者を拒絶するような深い森に、俺たちのすぐ足元から森の奥へと続く小道が伸びていた。
「……っ」
慌てて視界の端に浮かぶ『マップ』を確認する。
そこにも、森の中へと向かう道の存在がしっかりと表示されていた。
「なあクロ。こんな道、さっきまであったっけ?」
「む……分からぬ。我も気づけばここに立っていたからな」
クロはそう言いながら周囲を見渡し、スンスンと匂いを嗅いでいる。
「…………」
俺は森の入口に立ち、しばし考える。
魔眼が反応したということが重要だ。
これまでのことを考えると……『霧の樹海』になにか封印のようなものが施されており、それを魔眼が暴いたということだろうか。
「この森に、そんなギミックが仕込んであるとか聞いてないんだけどな……」
言いながら、森の小道に足を踏み入れる。
振り返った向こうには、相変わらず真っ白い霧が見えた。
入った瞬間、森の木々が退路を塞ぐようなことはないようだ。
とはいえ、このまま引き返すという選択肢はない。
深入りする気はないが、森の内部を少しばかり探索してから戻るとするか。
俺たちは慎重に周囲を警戒しながらも、ゆっくりと奥へと歩を進めたのだった。




