第286話 社畜、基地を見つける
祠のある森を過ぎて尾根を少し進むと、山道は下りに入った。
本番はここからだった。
尾根から少し外れた途端に山道はすぐに急坂と化し、あっという間に崖のような道になった。
行きに通った断崖をくり抜いたような道ではなく、完全に岩場だ。
「うおお……足元がわからねぇ……」
霧で覆われ底の見えない谷底に向かい、絶壁にへばりつくようにして、俺はどんどんと山を下っていく。
というかこれ山道というかロッククライミングでは?
出っ張った岩を握りしめ、割れた岩の隙間に腕を差し入れ、落下しないよう体重を支えつつ、身体で隠れて見えない足場を足の感覚だけを頼りに探っていく。
なんか……登っているときよりも下っているときの方が危ない気がするんだが気のせいだろうか。
とはいえ、ここが『山道』なのは間違いなかった。
垂直に近い岩場には、申し訳程度とはいえ足場らしき鉄杭のようなものが一定間隔で岩に打ち込まれているし、鉄製の鎖(錆びまくっているが)が岩場からぶら下がっている。
いつの時代かは分からないが、確かにここを誰かが整備していた形跡があった。
「主よ、巨狼になった我の背に乗ればあっという間に下まで連れてゆけるぞ」
岩場相手に格闘しているのを見かねたのか、クロがそんな提案を申し出てきた。
確かにそれはいい考えだ、と思った。
だが俺の答えは否だった。
「ありがたいけど、ちゃんと道筋を覚えておきたいんだ」
結局いくら地図を持っていても、どこに足場があるとか、どこが危険個所だとかは、実際にそこを辿ってみないと分からない。
それに俺の『マッピング』スキルも、クロに乗ってショートカットしてしまうと完璧には地形を把握できないからな。
もちろん目的地付近に到着したら、どこか目立たないところに転移魔法陣を設置して王国内に帰還する予定だ。
もと来た道を引き返すつもりはない。
だが、ギルドはここまでのルートの特徴や危ない場所などを記載した地図を欲しがるだろう。
もちろん、クロが巨狼の跳躍力で移動しためちゃくちゃなルートではなく、冒険者レベルの人間が安全に通行できるルートを、だ。
そんな俺の考えを、クロに説明する。
「む、それは一理あるな」
彼女はすぐに俺の意図に理解を示し、大きく頷いた。
「まあ、この道程全部が依頼の一環だと思ってくれ」
「依頼であれば仕方ない。……では、我は先に下で待っている。気を付けて降りてくるのだぞ」
クロはそう言うと巨狼姿になり、あっという間に足元の白い霧の中に消えていった。
おお、早い!
「さて、俺はゆっくり降りていきますか」
彼女のスピードと身のこなしに羨ましさを感じつつも、俺は着実に岩場を降っていった。
◇
どうにか崖のような岩場を降りきると、今度は道が分岐していた。
分岐のふもとには、石柱に彫られた道案内表示がある。
内容はこうだ。
『←マガル高地 ツァコルル湿原→』
「………」
まったく地理がわからん。
何しろギルドの地図にはない地名だったのだ。分かるわけがない。
『鑑定』でも、単に『古ディリンジ獣王国の道標』とだけ説明されていた。
古ディリンジ獣王国とは、魔界の王国の名だろうか?
まあ、字面からして獣人の国っぽいけどさ。
いずれにせよ、ノースレーン王国の文字じゃない。
それでも理解できたのは、『異言語理解』スキルのおかげだ。
言語系スキルは文字通りのチートだ。
「ええと……『ツァコルル湿原』方面が『霧の樹海』みたいだな」
地図と現在地を照らし合わせると、そのように見えた。
『霧の樹海』の前の平原はギルドの情報では湿地らしいので、そこがツァコルル湿原なのだろう。
道も、分岐からは下り坂だ。
そもそも『マガル高地』方面へと向かう道はもう1つの尾根に向かっているし、方角的にも逆だった。
間違いなく、前者が正しい道だろう。
「じゃあ、こっちだな」
「うむ」
2人で頷き合い、下りの道を進んでゆく。
しばらく進むと、周囲は濃い霧に包まれた。
崖際の道は、時おり風にあおられ谷底から煙のように濃い霧が湧き上がってくる。
それが俺やクロをひんやり包み込み、そして濡れた山肌を舐めながら横切っていく。
鳥の声も、虫の音も聞こえない。
ただ高山植物や灌木をゆらす風の音、それに俺たちが道の砂利を踏みしめるザクザクとした音が聞こえてくるだけだ。
まるでこの世界に俺たち2人が取り残されたような、寂寞とした感情が胸に湧いてくる。
もっとも、それもせいぜい数十分の間だった。
つづら折りの山道を降っていると、突如視界の先が開けた。
雲を抜け、下界に出たのだ。
眼下には、広々とした湿地帯と白い霧に包まれた領域が横たわっていた。
「おおー……絶景だな」
思わず声が漏れる。
例えるならば、東南アジアの密林地帯を上空から見下ろしたような景色だろうか。
残念ながら今日は低く雲が垂れこめているせいで薄暗いが、晴れた日ならば素晴らしい景色に違いなかった。
いや、もちろん今でも秘境感があって良いけどな。
「む……主よ、あれは建物なのか?」
と、クロが湿原の一角を指さした。
彼女が指し示した場所には、妙ちくりんな形状の建物が点在していた。
細くて高い建物、低くて平べったい建物。
それらを1セットとして、見える範囲で5から6ほどある。
さらにはそれらを起点として、あちこちに道が伸びていた。
湿地とはいえ、それなりに人の手が入っているようだ。
奥側にはグラウンドのように整地された広々とした平地も見える。
ただ、魔物の軍勢は見当たらなかった。
一番近い建物は山のふもとにあり、ここから直線距離で1キロ程度の場所にあった。
工事現場で見かける足場のような木組みの構造物の上に、掘っ立て小屋のようなものが建っている。
高さは、目測で20メートル近くある。かなり高い。
一瞬住居か? と思ったが、さすがにあそこに住むのは不便すぎる。
屋根はあるものの、壁はない。
いちおう転落防止用とおぼしき柵があるものの、あれでは吹きさらしと変わらない。
そして俺は、あのような形状の建造物に心当たりがあった。
「なるほど、あれは物見櫓だな」
「も……ぐら? 何だそれは」
「あれは周囲の監視に使う建物だ。……となると、ここに突っ立っているのはマズいかもな」
クロの疑問に答えつつ、俺は周囲に生えている灌木に身を隠した。
「ほら、クロも身を隠せ。あそこからなら、こっちは丸見えだ」
「う、うむ」
すぐに状況を察したクロが、俺のすぐ横にしゃがみこむ。
それを確認してから、木の隙間から物見櫓をふたたび観察する。
左目は魔眼のせいか、集中するとまるで望遠鏡のようにはっきりと建物の様子が見えるようになった。
「……監視がいるな。でも、こっちには気づいていないみたいだ」
櫓の上には緑肌の魔物の姿があった。
ゴブリンだ。
そいつらが3体ほど。
もっとも、連中がこちらに気づいた様子はなかった。
あいつらと比べたら、猿回しの猿の方が賢そうに見えるな……
ただ、それでも見張りを任されているのなら視力は良いはずだ。
油断はできない。
「うーん……もう少し情報収集した方がいいのかな」
俺たちの居る場所からは、湿原のほとんどが一望できた。
ここに軍事基地らしきものがあることは分かった。
だが、魔王軍の拠点なのかはいまいち判断がつかなかった。
それに湿原は完全にフラットというわけでもなく、案外起伏に富んでいる。
小高い丘や『霧の樹海』がせり出しており隠れた部分も多い。
そして、その奥へと向かう道も見えていた。
ギルドの依頼は、基地の場所だけではなく戦力や規模など具体的な数字を欲していた。
……やはり、もう少し近づいた方がいい気がする。
「クロ、俺は『隠密』を使って姿を消す。お前は仔狼になってゆっくりついてこい」
「いいだろう」
クロは小さく頷いて、すぐに仔狼の姿になった。
この大きさなら湿原の茂みに隠れて接近できるはずだ。
そもそも彼女は魔物だから、向こうに偵察とバレる危険性が少ない。
それを確認してから、俺は『隠密』を使用する。
「クロ、俺の姿は見えているか?」
そう聞くと、クロは俺の足元までやってくるとズボンの裾に鼻先を押し付けフンフンと匂いを嗅いでみせた。
どうやらきちんと認識できているようだ。
この『隠密』は一定以上の強さを持つ存在には効果がない。想定通りだ。
「一応、向こうから見てこっちは風下だな。風向きが変わる前にさっさと移動しよう」
「……フスッ!」
クロの鼻息を合図に、俺たちは静かにその場から動き始める。




