第283話 社畜、魔界旅行に出かける
交渉の結果、依頼はクロと2人で引き受けることになった。
なんだかんだ、知らない冒険者と一緒に行動するのは色々とリスクがあるからな。
俺たちが探索することになった区域は、魔界西部に存在する『霧の樹海』と呼ばれる広大な森林地帯の外縁部だ。
この『霧の樹海』は文字通り年中濃霧に覆われているが、外縁部には湿地帯と平原が広がっている。
そこに、前線基地のうちの1つがあると考えられている。
これは王国軍の司令部が魔王軍の作戦行動の経緯などから割り出した想定らしい。
俺たちの任務はその『霧の樹海』外縁部を探索し、基地の所在と戦力、そして大規模転移魔法陣の存在を確認してくることだ。
提供された地図によれば、ここはそれなりに魔界の深部であり、かつて勇者一行が消息を絶ったあと王国の精鋭たちが彼らを探索したギリギリのラインらしい。
意図したわけではないが、結果として彼らの足跡を辿ることになったわけだ。
もしかしたら、現地で何かしらの情報が得られるかもしれない。
これは僥倖と言うほかなかった。
結局ギルドでは、一般に広まっている逸話以上の話は聞くことができなかったからな。
そんな場所までどうやって辿り着くかであるが、実のところ直線距離は案外短い。
地図の縮尺から割り出すに、国境からだいたい30キロメートル程度だろうか。
異世界人の感覚は分からないが、現代人である俺からすれば決して遠い場所ではない。
そこがなぜ『深部』なのか。
理由はとてもシンプルだ。
国境と『霧の樹海』の間には峻険な山々と深く切れ込んだ峡谷が入り組んだ険しい地形が広がっており、それが王国と魔界を完全に分断しているからだ。
一応そこにも王国と魔界をつなぐ道はあるものの、それは双方に交流があった何百年も前の古道。
もちろんそんな道を維持管理する者は誰もおらず、事前情報によれば、至る所で道が土砂に埋まったり場所によっては断崖ごと崩落して途絶している場所もあるとのこと。
おまけに野生のワイバーンやら巨大な熊やら危険な魔物が跋扈し、魔王軍だろうが王国軍だろうが構わず襲いかかってくる。
それゆえ、いくら双方の軍勢が精鋭だとしても、とても進軍できるような場所ではない。
もちろん山岳地帯は完全な無人領域で、大規模な軍団を展開できるような平らな場所は存在しない。
大規模転移魔法陣の転送距離はせいぜい数キロ程度とのことなので、中継基地を置くこともできない。
ゆえに、危険を冒す覚悟があるのならば、少人数でこっそり侵入するには最適のルートなのである。
そんな険しい山道を、俺とクロでえっちらおっちら歩いている。
「魔界に行ったときに転移魔法陣を敷設しておけばよかったなぁ……」
そうぼやくが、ないものはない。
そんなわけで、自分の足で魔界へ向かわなければならなかった。
「うう、高けぇ……」
そんな呟きが、山道を吹き抜ける強風に飛ばされ消えてゆく。
谷底をチラリと見下ろせば、ごうごうと轟く激流。
道幅は1メートルもなく、すぐ脇は100メートル以上はあろうかという断崖。
その際を俺たちは歩いている。
場所によっては、断崖の中腹に板切れを渡した『桟道』を通らなければならなかった。
身震いのひとつもしたくなるというものだ。
余談だが、かつての勇者一行もこのルートを辿ったという。
まあ、敵の監視を掻い潜って魔界に潜入するには、ここを通るのが一番だと俺も思う。
その時はもっとマシだった可能性もあるが、それでも険しい道だったはずだ。
ちなみに他の冒険者は別のルートを通るそうだ。
もっともそっちは道こそ多少マシなものの、かつては王国側と魔界側を繋ぐ交易ルートだったらしく魔王軍が要所要所で封鎖していたり検問を敷いていたりと監視が厳しいそうな。
それゆえ隠密に長けた、俺のような似非ではない本物の精鋭が進んでいるらしい。
結局のところ、俺たちの侵入ルートはイージーモードなのである。
「ふう……あと半分くらいかな」
ギルド支給の地図と周囲の地形を照合しつつ、ほとんど垂直に切れ落ちた峡谷の中腹の道を進んでいく。
足元の板きれ1枚を隔てた下には、高さ数百メートルはあろうかという断崖が広がっている。
ギシギシと軋む腐りかけた木の板を踏み抜かないよう、慎重に渡っていく。
もっとも道程の全てが険しい山道というわけでもないし、俺もクロもそれなりに健脚だ。
なんだかんだ、たった1日でもかなりの距離を稼げている。
いったんジェントで宿泊して早朝に出発したので、この調子ならば今日中にもっとも険しい区間は抜けることができるだろう(投宿先もちろんリンデさんのいる宿だ。残念ながら彼女からも有益な情報は聞けなかった)。
その後は日が落ちるまで進み、適当なところで切り上げる。
目立たない場所に転移魔法陣を設置して拠点となるダンジョン地下の神殿を経由して日本に戻り、仕事後とか来週の土日に再び攻略に向かう。
その繰り返しだ。
結局依頼の全期間を通してギルドの監視があるわけでもないので、この辺りは比較的自由だということがわかったのも、この依頼を受けた理由の1つだった。
そういえば、ここと似たような場所を動画サイトで見たことがある。
たしか北陸の山奥、戦前だか戦後だかにダムを建設するため、とんでもなく険しい峡谷地帯を開削した資材搬入用の山道だったか。
現在では観光用の登山道として整備されているとのことだったが、それを観た当時は完全に他人事で『こんな怖い道があるなんて』とか笑っていた。
まさか異世界で、そんな道を実際に通ることになるとは。
そんな戦々恐々としている俺とは対照的に、同行しているクロは嬉しそうな様子だ。
「ふふ~ん、ふふふ~ん」
「おいクロ、鼻歌なんて歌ってないでちゃんと前見て歩けよ」
軽快な歩調で俺の前を進んでいくクロの背中に声を掛ける。
彼女は俺の声で一瞬振り返るが、余裕の笑みを湛えている。
「大丈夫だ。このくらい、落ちたとしてもすぐに上がって来れる。主もこの程度の高さなら落ちても傷一つつかないと思うぞ」
「落ちる前提で話を進めるのはやめような?」
そもそも仔狼とか巨狼に変化できるお前は断崖を落ちても簡単に登ってこられるかもしれないが、俺は多少腕力があっても人間の形をしているからな?
数百メートルの断崖とか、相応の登攀スキルがなければ文字通り手も足も出ないからな?
「それよりも主人よ。あれは撃ち落とさなくても構わないのか?」
「え?」
クロはヒクヒクと鼻を動かすと、峡谷の対岸に顔を向けた。
距離にして200メートルほど。
峡谷の向こう側の壁面に、何かがへばりついているのが見えた。
赤茶けた岩棚と同化するように、コウモリのような皮翼を持つ巨大な魔物が視認できた。
あれは――
「ワイバーンだあああぁぁぁぁ!!」
俺が叫ぶのと、ワイバーンが飛び立つのはほとんど同時だった。
ワイバーンは一度俺たちよりも高く飛翔すると、甲高い咆哮を上げながら急降下してきた。
クソ、完全にロックオンされてるじゃねーか!
「主人よ、なるべく引きつけて仕留めるべきだ。あれの肉は美味いが、仕留めたらすぐ揮発してしまうからな」
「言ってる場合か!」
叫んで、道幅の狭い桟道を駆け出す。
クロに言われるまでもない。
魔眼光は十分な威力を発揮するためにチャージが必要だ。
そもそも空を縦横無尽に飛び回るアイツとは相性が悪すぎる。
「ははは! 追いかけっこは楽しいな、主よ!」
「だから言ってる場合か!!」
クロは時おり振り返りながらドッグランの中の犬みたいな満面の笑みで俺の前を疾駆しているが、こっちはそれどころじゃない。
ワイバーンの胴体は馬よりもでかい。
もちろん俺の『魔眼光』なら難なく仕留められる。
その自信は十二分にある。
だが、突っ込んでくるあの巨体を完全に消しとばすには少々威力不足だ。
ゆえに仕留めた瞬間、数百キロもある物言わぬ肉塊が俺たちに向かって突っ込んでくることになる。
それでも俺やクロは無事だろう。
だが俺たちが踏みしめている山道はどうだ?
どう考えても崩落するに決まってる!
「クソ、どうする!?」
全力で走りながら必死で頭を回転させる。
一度はワイバーンからの攻撃は免れたものの、ヤツは咆哮を上げながら俺たちを猛追してくる。
さすがに地上と空中では速度差は文字通り天と地ほども差がある。
あっという間に彼我の距離が10メートルほどに縮まり――
「ここだ!」
ワイバーンの首元が赤熱したのを見逃さなかった。
俺は立ち止まると振り返り、全力までチャージしていた魔眼光をワイバーンの土手っ腹にぶち込んでやった。
次の瞬間。
ドカン! と空中でワイバーンが爆発した。
大量の肉塊が飛散し、周囲の岩肌を赤黒く汚す。
だが俺たちも、足元も無事だ。
「よし、『鑑定』のとおりだな!」
魔眼光で仕留めることは確定していたが、どこを撃てばいいのかが分からなかった。
だがヤツは、胃の近くに火炎ブレスを吐くために必要な魔鉱石を蓄えている。
そいつに過剰なエネルギーを加えて暴発させてやった。
『鑑定』先生にはいつだって頭が上がらない。
ワイバーンの肉体は地上生活性の他の魔物と違い、魔力含有量が極めて高い。
あの巨体を浮遊させるには、翼による揚力だけでなく体内の魔力を大量に消費するからだそうだ。
それゆえ、その肉体はあっという間にマナに還元され消滅してゆく。
1分も経たないうちに、あたりの赤黒い汚れはすっかり綺麗になってしまった。
「ふう……」
いまだバクバクと跳ねる心臓の鼓動を感じながらも、大きく息を吐いた。
「ああ……勿体無い……」
俺の側に戻ってきたクロの心底残念そうな声が、吹きぬける断崖の風に乗って消えていった。
※廣井氏が思い出したのは立山連峰に存在するとある登山道ですが、この手の動画が好きな方は『via ferrata』で検索すると幸せになれますよ!




