奥多摩は怪異の宴会場
行きたくないと思いつつも、週末は悲しくもやってくる。奥多摩…深夜の2時…冗談であって欲しいと願っていても、我が家の1階、103号室二階建ての吹けば飛ぶようなボロアパートのベランダに、それはやってきた。
バサバサバサッ……!!
静まり返った深夜二時。湿気で重たい夜気を切り裂いて、ベランダのアルミサッシを揺らしたのは、明らかに鳥の域を超えた巨大な羽音だった。
「ひぃっ……! 来ちゃった……本当に来ちゃったよ……!」
布団の中で毛布を頭からかぶって震えていた私は、恐る恐るカーテンの隙間から覗き込んだ。
ガラス越しに見えたのは、漆黒の羽を広げ、真っ赤な天狗面をかぶったスーツ姿のカラス天狗だった。手には「霊影様ご一行(代行:姐さん)様」と書かれた木札を掲げている。丁寧な仕事ぶりが逆に恐ろしい。
「姐さん! お時間となりましたッス! 奥多摩源泉直行便、カラス天狗タクシーのご到着ッス!」
「直行便ってなに!? 頼んでない! 頼んでないから帰ってぇぇ!!」
『カイ、出発だぉ! 空飛ぶの楽しみだぉ〜!』
胸元の指定席からひょっこり顔を出したミズチが、蛇のシッポを振って大喜びしている。私の恐怖とは裏腹に、ミズチが私の服の襟ぐりを引っ張るせいで、足が勝手にベランダへ向かってしまう。
「あ、ちょっとミズチ引っ張らないで! 服が伸びる! っていうか解錠しないでぇぇ!!」
ミズチの霊力であっけなく鍵が開けられる。
カチャリ、サッシのクレセント錠が音を立てて自動で外され、勢いよくベランダの窓が開け放たれた。次の瞬間、私はカラス天狗の太い腕にひょいと抱え上げられ、ボロアパートの1階から一気に夜空へと飛び立ったのだった。
◇◆◇
「きゃあああああああ!? 高い! 怖い! 警察! 誰か警察呼んでぇぇぇ!!」
『わーい! 夜のお散歩だぉ! 風が気持ちいいぉ!』
下を見れば、見慣れた街並みが小さく縮んでいく。生ぬるい夜風が頬を打つ中、カラス天狗は手慣れた手つきで私をホールドしながら、奥多摩の山々を目指して一直線に急上昇していった。
飛ぶこと約二十分。東京の田舎街の灯りは消え去り、漆黒の山並みがどこまでも続く深い深い奥多摩の山奥へと降下していく。
鬱蒼と茂る木々を抜けると、そこには仄暗い湯気を立ち上らせる巨大な温泉源泉があった。
そして、そこに広がっていたのは——完全なる百鬼夜行の大宴会だった。
「お、来たぞ! 姐さんのお着きだぁぁぁ!」
「ミズチ様もおいでになられたぞー!」
「乾杯! 靈影のいない平和な夜に、乾杯だぁぁぁ!」
温泉の熱気と酒の匂い、そして怪異たちの怪しい妖気が混ざり合うカオスな広場。見渡せば、巨大な一つ目小僧、首を長く伸ばしたろくろ首、川から避難してきた河童の群れ、ぬらりひょんまで、思い思いに酒桶を叩いて大盛り上がりしている。
私は生きた心地がしないまま地表に降ろされ、ガクガクと膝を震わせた。
「な、なんでこんなことに…私、ただの女子大生なのに……」
『カイ、すごいの広場だぉ! ごちそうがいっぱいあるぉ!』
ミズチは胸元から飛び出すと、机の上に並べられた山菜や川魚の塩焼きに目を輝かせ、豪快に口へ放り込み始めた。お前、完全にこのパーティーを満喫してるじゃないか!
すると、宴会場の中央から、立派な髭を蓄えたぬらりひょんが盃を手にのっそりと歩み出てきた。
「よくぞ参られた、人間界の姐さん……いや、ミズチ様の奥方殿。例の三白眼の祓い屋(靈影暁人)が不在の今、我が自治会の平穏は貴女の寛大な心によって保たれておりまする」
「奥方じゃないです! 寛大な心も持ってないです! ただ河童さんに無理やり回覧板押し付けられただけです!」
私の必死の抗議も、酒の入った怪異たちの耳には一切届かない。
「ささ、今夜のメインイベント! 姐さんへの感謝状贈呈式でございます!」
どこからともなくドンドコと太鼓の音が響き渡り、河童がうやうやしく掲げてきたのは、やはり半紙の裏紙に書かれた巨大な賞状だった。
『感謝状。貴殿は横暴なる三白眼を実家へ隔離し、我ら怪異に束の間の宴と平和をもたらしました。よってここに、川沿い怪異自治会名誉組長として称えます』
「名誉組長ってなに!? 嫌すぎる肩書きなんだけど! あと暁人を隔離したのは私じゃなくて私のお母様だからね!?」
『カイ、かっこいいぉ! 名誉組長さんだぉ!』
「ミズチまで、乗っかるんじゃないの!」
大歓声と拍手喝采が巻き起こり、私は頭を抱えてその場にへたり込んだ。今週末の連休、私は一体何をやっているんだろう。単位の心配はなくなったのに、精神のキャパシティが限界を突破しそうだ。
その時、ポケットの中でスマホが震えた。
涙目で画面を確認すると、深夜二時を回っているというのに、お母様からのLIMEだった。
画面を開くと、そこには動画が送られてきていた。
真夜中の我が家の道場で、竹刀を持ったお母様の前に正座させられ、フラフラになりながら般若心経の写経をさせられている靈影暁人の姿。
あの普段の生意気で冷酷な面影はかけらもなく、青白い顔で「……す、すみません……」と呟いている。
可哀想に。本当に可哀想に。
(……でもね、暁人)
私は奥多摩の山奥で、怪異たちに「姐さん! 飲んでくだせえ!」と酒盃を突きつけられながら、心の中で血の涙を流しながら叫んだ。
(あんたが大学の怪異達を祓おうとして、わたしが助けた結果、いま、散々な目にあってんのよ!)
「さあさあ姐さん! 次はぬらりひょん様とのデュエットカラオケッスよー!」
「歌わないからぁぁぁ!!」
深夜の奥多摩に、私の悲痛な叫びと怪異たちの陽気な狂乱が、虚しく響き渡るのだった。
私の平穏返して…トホホ( ×ω× ;)




