蛟龍の嫉妬、カイとミズチの関係ー。
カバンから秒速で飛び出したミズチは、駅のホームの床に着地した瞬間、黒い霧のような妖気をまとって人間の姿へと変わった。
(というか、何故!? どこから出したの、その高級そうな黒い着物……!?)
215cmの巨体に黒い着物をバサリと羽織って現れたミズチの赤い瞳は、怒りで爛々と大きく見開かれ、綺麗な顔の口元は怒りのあまり半開きになっている。
その隙間からは鋭いギザギザの歯が完全に剥き出しになっており、カチカチ、ギチギチと骨の軋むような音を立てて威嚇をしていた。
(うそでしょぉぉぉぉ!!! 一難去って、大怪異降臨とか、どんな無理ゲーよ!!!)
靈影暁人が張っていた結界が完全に壊れたことで、周囲の『隔離空間』の雰囲気がガラガラと崩れ、現実の駅の音が戻りつつある。このままじゃ、黒着物の超絶美形巨漢が、床に倒れた男子大学生をギザ歯で威嚇しているという、別の意味で明日発売の週刊誌に載りそうな大スキャンダルになってしまう!
(ヤバいぃぃぃーーー!!! 結界が解けきる前に何とかしなきゃ、社会的に死ぬ!!!)
私は下敷き(馬乗り)にしていた靈影暁人の顔面からバッと視線を外し、ミズチの鳥さんの油の匂いが残るカバンを掴んだまま、弾かれたように彼から離れて床に飛び退いた。
暁人はというと、鳩尾への私の強烈な肘打ち(肋骨にヒビ入り)の激痛と、さっきの「むにゅん」という柔らかすぎる感触のショック、そして目の前に突如現れた黒着物の化け物の放つ圧倒的な神格の霊圧に完全に圧倒され、「ぐ、あ……っ」と床に伏せたまま身動きが取れなくなっている。
けれど、それ以上に目の前の「嫉妬の化身」と化した大蛇がヤバい。
ミズチの足元から、床をドロドロに溶かしそうなほどの漆黒の妖気が広がり始めている。
(えええいい!!! 壊したら弁償とか、もう四の五の言ってられないわよ!!!)
私は持っていたカバンをドサッと地面に落とすと、狂ったように両手の指先を交差させ、実家の神威から「これだけは絶対に完璧にマスターしろ」と叩き込まれた最高位の遮断結界の『印』をマッハの速度で結んだ。
「九字護身――臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!! 結ッ!!」
ドンッッッ!!!!
現実の世界と完全に繋がりかけていた駅のホームの空間が、私の放った純白の霊力の壁によって、再び強引に外界からシャットアウトされる。暁人の張った認識阻害なんかとは比べ物にならない、物理的な破壊の衝撃すら外に漏らさない「本物の神域結界」だ。
「はぁ、はぁ……っ! これでとりあえず、一般人に見られるのだけは防げた……っ!」
私が額の汗をぬぐいながら息を荒くした瞬間、黒い着物の袖をパサァと揺らしながら、ミズチがゆっくりと私の方へ振り返った。その赤い瞳には、嫉妬の涙がうっすらと浮かんでいる。
『カイ……。あの男、カイの大事なところ(胸)に触ったぁ……。ミズチ、ぜったい許さない。あいつ、いまここで、ミズチの毒でドロドロに溶かして、駅のゴミ箱にポイしてくるぅぅぅ……!!!』
「ゴミ箱にポイとかいう可愛い表現で、恐ろしいこと言わないでぇぇぇ!!! ミズチ、お願いだから鎮まってぇぇぇ!!!」
結界は張った。一般人の目は誤魔化せた。
しかし、私の目の前には、過去最高にブチ切れて手が付けられない「過激派ヤンデレ旦那(蛇神)」が立ちはだかっているのだった。私の胃のライフはもう、完全に砂に還りそうよ……トホホ。
◇◆◇
怒り狂うミズチの赤い瞳と視線を合わせたまま、私は地面に落としたカバンの回収すら完全に忘れ、弾丸のような速さでミズチの元へと駆け寄った。
今更、床で「ぐ、ふ……っ」と鳩尾を押さえて苦しんでいる三白眼(靈影暁人)なんぞ、もう私の頭の中から綺麗さっぱり消え失せていた。
現状、最大の脅威はこの蛟龍サマになりかけている目の前の大蛇神だ。
(いや、これ以上ちょっとでも刺激したら、確実に完全体の大蛇に戻って駅が更地になる!)
「落ち着いて…! 落ち着いてミズチ! 私とアレ(指をさして靈影暁人を雑に扱いながら)は単なる事故!! そう、ただの物理法則に従っただけの、そう、不可抗力の事故なの!! だから、何にも気にしなくていいのよ!!」
巨体人間のミズチの前に立ちはだかり、私はぶんぶんと両手を振りながら、焦った様子で必死に説明をする。必死すぎてちょっと噛みそう。
主である暁人が私の一撃でダウンしたおかげで、さっきまで周囲を飛び回ってキィキィ騒いでいた管狐たちは、主人からの霊力供給が途絶えてすべて霧のように掻き消えていた。
おかげで周囲の安全だけは確保できている。……できているけれど、最大の安全が今、この黒着物の男によって脅かされているのだ!
『……じこ?』
ミズチはギザ歯を覗かせたまま、低く冷たい声でオウム返しにした。
人間の姿のままだというのに、彼の背後には、まるで巨大な大蛇の影がゆらりと立ち上っているように見える。
『でも、あの男……カイの、ミズチだけのやわらかいところに……。ミズチ、まだ今日鳥さんしか食べてないから、あいつをバリバリ食べて、お腹いっぱいにしたいなぁ……』
「主食を急に唐揚げから人間(祓い屋)に変えようとしないでぇぇぇ!!!」
私は思わず、ミズチの黒い着物の胸元を両手でギュッと掴んだ。
215cmの巨体を見上げる形になる。ミズチの身体からは、怒りのせいか、それとも独占欲のせいか、あの日ベッドの中で私を蕩かした時と同じ、ドロドロに熱い妖気がドクドクと溢れ出ていた。
「いい? ミズチ。私の霊力は、あんただけのもの…でしょう?」
ここで最終奥義【恥ずかしすぎる甘やかし】を発動。
霊力を吸い尽くされて頬がコケた顔で、精一杯ミズチの赤い瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「あんな奴に、私の美味しい霊力は一滴もあげないんだから。だから……ね? お願いだからお家に帰ろ?」
私のその言葉に、ミズチのギザギザの歯がピタッと鳴り止んだ。
溢れ出ていた漆黒の妖気が、一瞬にしてピコピコとした「嬉しそうな波長」へと変わり始める。
『……カイの霊力、ミズチだけのものぉ? あいつには、一滴もあげない……?』
「そう! 1ミリもあげない! だから、事件を起こそうとするのはストップ!!」
なんとか大蛇神の「八つ裂きモード」のブレーキを踏ませることに成功しかけた私。だが、背後の床では、私たちの会話(と私のとんでもないセリフ)を聞いていた暁人が、苦しげに顔を歪めながら、信じられないものを見るような目で私を睨みつけていた――。
◇◆◇
「お前……」
二人の(完全に語弊しかない)会話を聞いていた靈影暁人は、よろよろと床に手をつき、生まれたての小鹿のようにふらついた足取りで、なんとか立ち上がった。
鳩尾への肘打ちが相当効いているらしく、その顔は土気色だが、三白眼の奥の光だけはまだ死んでいない。
「……霊力だと……。まさか、お前……」
暁人の脳裏に、あの連休初日の中庭での記憶がフラッシュバックする。
一撃で自分の天狐たちを消し飛ばしたあの巨大な蛇神。そして、その前に立ち塞がり、神聖で膨大な霊力を男に注ぎ込んでいた私の姿。
(契約、したのか……。この化け物と……!)
裏社会の祓い屋の常識として、「大怪異に人間の身で霊力を与え続ける」など、命を前借りするような狂気の沙汰だ。しかも、その供給方法がなんだか妙に生々しくて『甘く蕩けている』ような雰囲気を察してしまい、暁人の頭の中で最悪の誤解が急スピードで形成されていく。
暁人は口元に滲んだ血を手の甲で無造作に拭うと、激しい苛立ちと、どこか「うわ、こいつマジかよ……」と言いたげな、引きつった表情で私を睨みつけてきた。
「おい、水無瀬……。お前、そんな規格外の神職の血筋のくせに……わざわざあんな、不気味な巨漢の化け物を飼って、霊力を吸わせてんのか……? ――そういう、歪んだ趣味(性癖)なのかよ……っ!?」
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!?????」
ちょっと待て……コラ三白眼(怒)。
今なんつった!? 趣味!? 性癖!? 歪んだ飼育関係!?
(っおい、何!? 今すぐ私が…私の拳で、あんたのその歪んだ脳みそごと、物理的に抹殺してやろぉぉぉかぁぁぁ!!!)
あまりの不名誉な勘違いに、私の頭の中で何かがブチッと音を立てて千切れた。こちとら毎晩毎晩、限界まで吸い尽くされて頬がコケるほど文字通り命を削られてる被害者なんですけどぉぉぉ!! 趣味でこんなジャンキー大蛇にデリヘルみたいな霊力供給するかボケェェェ!!
『……カイ、あの男、また失礼なこと言ってるぉ。ミズチ、やっぱりミンチにして駅の――』
「ミズチは一回黙ってて!!!」
黒着物の胸元を掴んだまま、私は背後の暁人に向かって般若のような顔で振り返った。
「あんたねぇ!! 1から10まで大間違いも甚だしいわよ!! 誰が好んでこんな大蛇の自家発電機になってると思ってんのよ! これは、不可抗力! ぜんぶ、不可抗力の居候トラブルなの!!」
「居候だと……っ? 誤魔化すな、現にそいつはお前にべったりじゃねえか……っ」
「それは、こいつがただの重度の霊力ジャンキーだからよ!!」
満身創痍のくせに的外れな正義感(と偏見)で食い下がってくる暁人と、恥ずかしさと怒りで爆発寸前の私。
結界に隔離された駅のホームで、もはや祓い屋と怪異のバトルではなく、ただの痴話喧嘩(?)のような泥沼の言い合いが始まろうとしていた――。
◇◆◇
ミズチの高級そうな黒い着物をギュッと掴んでいた手を離し、私は目でミズチに向かってと必死の強気シグナルを送った。
(動くな! ステイ! ミンチにするな!)
『ええ〜、カイ……』
ミズチは不満げに頬を膨らませたけれど、とりあえずその場で留まってくれた。よし。
私は方向転換すると、床に手をついてゼーゼー言っている靈影暁人へと、大股でスタスタと歩いて近づいていった。
冗談じゃない――。
変な誤解に、挙げ句の果てには特殊な性癖(趣味)持ちだとぉ!?
そんな不名誉極まりない妄想をこの男の思考の中に放置しておいたら、私の今後のキャンパスライフが文字通り崩壊する。
せっかく東京に出てきて、亜美ちゃんという最高のお友達ができたのだ。前の席の佐藤くんとも、いい感じに健全なクラスメイトの友人関係を築けている。
(※あくまで私の見解であるけれど!)
「水無瀬カイは人外を部屋で飼育して夜な夜な霊力を吸わせているマニアックな女だ」
それなのに、この三白眼にありもしない事を学内で吹聴されたら、溜まったもんじゃない!!
「ちょっと、あんた。耳の穴かっぽじって、私の話をよーーーく聞きなさい」
私は暁人の目の前まで来ると、腰を落として、まだ鳩尾を押さえている彼の顔を至近距離で覗き込んだ。私の青い銀河の瞳に、怒りの炎がメラメラと灯っているのを見せつけるように。
「望んでこうなったわけじゃないのよ! こちとら実家を飛び出して、静かに、フツーーーの女子大生として生きていきたかったの! なのに、このジャンキー大蛇が私の部屋に勝手に不法侵入して(もとい、実家から追いかけてきたと言うか)居座りやがったの!! 分かる!?」
「……っ、不法、侵入……?」
至近距離で凄む私に気圧されたのか、それとも私の胸元の質量がまた視界に入って動揺したのか、暁人の三白眼がわずかに泳いだ。
「そうよ! 私は毎晩、こいつに霊力を吸い尽くされて、今日の朝なんて頬がコケてエナジードリンク2本も煽ってんの! どこが歪んだ趣味よ! 完全なる被害者、もしくはボランティア活動よ!!」
私が怒濤の勢いでまくしたてると、背後から人間の姿のミズチがー。
『ボランティアじゃないよぉ、ミズチはカイの旦那さまだよぉ?』
と余計なガヤを入れてくる。
「あんたは黙ってて!!!」
私が振り返って一喝すると、ミズチは「ひゃんっ」と小さくなって黒い着物の袖で顔を隠した。
その一連のやり取りを、暁人は呆然と見つめていた。
私の必死(というか半ギレ)の形相と、あの圧倒的な強さを誇る大蛇神がなぜか私に完全に尻に敷かれている構図を見て、彼の脳内の「マニアックな飼育関係」というパズルのピースが、急速に別の形に組み替えられていく。
「お前……、本気でそいつに懐かれてるだけなのか……? 呪われてるんじゃなくて……?」
「懐かれてるっていうか、執着されてるのよ! だから、変な噂流したら絶対に許さないからね!!」
ようやく少しだけ話が通じ始めた(?)危うい関係の三人。
しかし、私の張った最高位結界の持続時間も無限ではない。そろそろこのカオスな状況を撤収させなければならなかった。




