靈影 暁人(みかげ あきと)と水無瀬 カイ。
ゴールデンウィーク休み明け。
私は結局、何処にも行けず、何一つ連休らしいこともできず、ただただミズチの『餌食』になって終わった……。
「もお、絶対に当分、あのジャンキーミズチには一滴も分けてあげません!!(怒)」
大学に行く準備を朝から慌ただしく整えながら、私は洗面所の鏡に自分の顔を映し出した。
そこには、少し痩せて、うっすらと頬がコケた私の姿が……。
豊かなたゆんたゆんの質量だけはなぜか健在だけれど、顔の生気が明らかに足りない。
「はぁ……。締切に追われる、修羅場直前の漫画家みたいになってるじゃん、私……」
命の危機を感じた私は、冷蔵庫からキンキンに冷えたエナジードリンクを取り出すと、カシャッとプルタブを開けて一気に胃の中に煽り倒した。
(飲まなきゃやってられないわよ! 授業中に寝ちゃうわ!)
そんなボロボロの連休初日に遭遇した、あの生意気な管狐使い――。
「靈影とか言ってたっけ、アイツ……。依頼がどうのこうのって……」
靴の紐をしっかりと締めながら、私は足首にちゃっかりと、まるでアンクレットのように小さく巻き付いているミズチを恨めしげに一瞥した。
ミズチは『えへへ、カイ、エナジードリンクの味の霊力もシュワシュワして美味しいよぉ……』と、脳内でまだ呑気なことをぬかしている。
「あんたはちょっと大人しくしてなさい!」
小さな大蛇の頭を軽く小突いて固定し、私はため息と共にアパートを後にした。
◇
その頃、ゴールデンウィークが明けて賑わいを取り戻した大学のキャンパス内を、一人の青年が歩いていた。
長身のすらりとした体躯に、鋭い三白眼。風にサッと靡く艶やかな黒髪。
すれ違う女子学生たちが「え、かっこいい……」と密かに色めき立つその青年の名は――靈影 暁人、18歳。
祓い屋と裏社会では若き天才として恐れられる祓い屋であり……そして何を隠そう、この大学に籍を置く「普通の(?)新入生」であった。(もとい、最初の方で少し出てきた…)
暁人はポケットに手を突っ込んだまま、忌々しそうに旧校舎の方向を睨みつけていた。衣服の奥にある竹筒(新調したもの)の中で、生き残ったクダ狐たちが、未だに怯えたように小さく震えている。
(クソが……。あの旧校舎にいた化け物は何だったんだ。一撃で俺の結界と天狐たちを消し飛ばしやがって。裏の組織の連中も、ただの地縛霊の集まりだとしか言ってなかったぞ……!)
屈辱に三白眼をさらに鋭く尖らせる暁人。だが、彼の脳裏に焼き付いて離れないのは、あの巨大な蛇神の姿だけではなかった。
(……あの時、あの化け物の前に立ちはだかった、あの銀髪の女……)
神聖で、けれど圧倒されるほどに膨大だった、あの女の『霊力』。
思い出すだけで、自分の魂が粟立つような不思議な感覚に陥る。
「……探して、絶対にタダじゃおかねえ……」
まさか、その「銀髪の女」が、自分と同じ大学のキャンパス内で、エナジードリンクの力で無理やりHPを回復させながらトボトボと歩いているとは、この時の靈影暁人はまだ知る由もなかった――。
大学の近くにあるコンビニに私はふらりと入り、朝ごはんを調達する。
(はぁ……こんな、疲れ果てた休みなんて、休みじゃないわよ……!)
思い出すだけで頭の血管がブチ切れそうなほどの恨みが我が家の大蛇に向けて湧き上がるが、今の私にはそんなことに貴重なエネルギーを割く余裕すらない。慢性的な霊力不足で頭がぼーっとする。私は適当に、糖分補給のための菓子パンと缶コーヒーを手に取る。
(ミズチ……あんたも何か食べる?)
「当分霊力はあげない」と怒りはあるものの、大学の講義中にお腹を空かせて、服の奥でグズグズと空腹を訴えられるのはもっと嫌だった。
すると、私の足首からジーンズの内側をシュルシュルと登り、すっかり定位置となった胸の谷間へ収まったミズチが、脳内で嬉しそうに声を弾ませた。
『わぁい! カイ、ミズチの心配してくれるの? お嫁さん優しくてミズチ感激ぃ……! じゃあね、コンビニのレジの横にある、あつあつの『鳥さん』が食べたいなぁ!』
「……はいはい。お買い上げね」
結局、自分用のパンとコーヒー、そしてミズチ用の鳥さんをカバンに押し込んで、私は重い足取りで大学の講義室へと向かった。
◇
一限目の講義室。
ゴールデンウィーク明けでみんなまだ眠そうな空気の中、私はいつものように、ミズチを隠しやすい一番後ろの席へと直行した。
「ふわぁ……、席に着くだけで一仕事終えた気分……」
カバンを置いて、買ってきたコーヒーを一口すする。
すると、前の席から「水無瀬さん、おはよう! なんか……連休前より一段とスリムになった?
と佐藤くんが振り向き、隣からは亜美ちゃんが「カイちゃんおはよう! って、ゲッソリしてるじゃん!? 一体、どんなハードな連休過ごしたの!?」と目を丸くして心配してきた。
「あはは……ちょっとね、家の中で『大物』の相手をずっとしてて……」
私のその不穏な言葉に、胸元のミズチが『えへへ、ミズチのことだねぇ』と嬉しそうにたゆんたゆんの質量を内側からぷにっと押してくる。
そんなトホホな会話をしていた、その時だった。
講義室の前方のドアがガラリと開き、一人の長身の男が入ってきた。
周囲の女子学生たちが「あ、靈影くんだ……」「相変わらずイケメンだけど、ちょっとピリピリしてて怖いよね」と小さな声を上げる。
サッと靡く黒髪に、鋭い三白眼。
和装ではなく私服のパーカーを着ているけれど、その鋭利なガラス破片のような霊気の尖り方は、絶対に間違えようがない。
(げっ――――!? 最悪っ……!!!)
私は思わず、持っていた缶コーヒーを机にガタッと大きな音を立てて置いてしまった。
あの連休初日に、中庭で怪異たちをクダ狐でいたぶっていた過激派の祓い屋――靈影暁人。
鋭い三白眼をさらに細め、不機嫌そうに講義室を見渡していた暁人は、私の出した物音に反応するように、弾かれたように一番後ろの席へと視線を走らせた。
そして、私の美しい銀髪と、青い瞳を捉えた瞬間。
「――っ! お前……!」
暁人の目が、驚愕と、獲物を見つけたような鋭い光にカッと見開かれた。
まさかあの時の「規格外の霊力を持つ女」が、自分の通う大学の、しかも同じ民俗学の講義室に座っているなんて思いもしなかったのだろう。(最初の方でくだりはあったが、存在を気に止めてもいなかった……)
暁人は迷いのない足取りで、長い脚を動かし、真っ直ぐに私の一番後ろの席に向かって歩いてくる。
『……あ。カイ、あの生意気なきつね(狐)使いの男だよ。またミズチのおじいさん(地縛霊)をいじめにきたのかなぁ? ミズチ、またおっきくなって、あいつのツラ分からせてあげようか?』
胸元でミズチの赤い瞳がギラリと危険に輝き、ゴウッと冷たい妖気が漏れかける。
「ちょっと、待ってミズチ! ここで、大きくなったら、講義室の天井が消し飛ぶから本当にやめてぇぇぇ!!」
同じ大学、同じ講義、そして目の前からは怒気を含んだ天才祓い屋が接近中。
私の(ただでさえ屍状態の)キャンパスライフに、最悪すぎる新展開の危険の警鐘が鳴り響くのだった。




