怪異は(巨体)で私の眠りを妨げる。迫る「雄の色香」
訪問販売のオジサンを妖気だけで追い返した夜。
私は未だに差し出したから揚げを見つめ続けているミズチを見下ろして、今日何度目か分からない溜息を吐いてしまった。
「はぁ……晩ご飯だよ、ご飯〜」
私は手に持った、お皿からはみ出んばかりの揚げたての唐揚げ(爆弾サイズ)をテーブルにコトリッと置くとミズチの頭をツンツンと指先で小突いた。
「ミズチの大好きな鳥さん(ニワトリ)のから揚げだよ〜? ほら、早く食べないと冷めちゃうよ」
いつもなら「わーい! 鳥さん!」と目を輝かせて飛びついてくるはずなのに、今のミズチはピクリとも動かない。
まだじっと、何かを堪えるように身体を硬くしている。
どうやら、昼間の亜美ちゃんへの嫉妬と、先ほどの訪問販売への怒りは、まだ完全には冷めていないみたいだった。
「ミズチ……? まだ怒ってるの?」
私が覗き込むように声をかけた、その瞬間。
ボフンッ……。
いつもより静かな煙と共に、ミズチが人間の姿へと戻った。
けれど、何かがおかしい。いつもならソファからはみ出して「せまいよぉ」と泣きべそをかく大型犬のような彼なのに、今のミズチからは、空気をピリピリと痺れさせるような、濃密で、どこか艶っぽい妖気が立ち上っていた。
「……ミ、ズチ……?」
『カイ……っ。ミズチ、もう、がまん……できない……』
ドサッ!!!
「きゃっ……!?」
気がついた時には、私はリビングのフローリングに押し倒されていた。
目の前には、全長215cmの質量そのままに、私に覆いかぶさっているミズチの大きな身体。
濡れたような長い黒髪が私の銀髪と絡み合い、深い赤い瞳が、暗闇で光る肉食獣のように妖しく爛々と輝いている。
人間の姿のはずなのに、その肌からは怪異としての、冷ややかで、けれどどこか熱を帯びた「雄の色香」がドクドクと溢れ出ていた。
『カイ……あの女の子も、さっきの男も……みんな、カイに触ろうとする。カイの可愛いお声、聞こうとする……。ずるい、ずるいよぉ……』
いつもより低く、掠れた声が耳元を這うように響く。
ミズチの大きくて冷たい手が、私のジーンズの裾から滑り込み、昼間に佐藤くんを威嚇していた足首をきゅっと掴んだ。そのまま、這い上がるようにして私の太ももをゆっくりと愛撫してくる。
「つ……っ! ミズチ、待って……変なところ触らないで……っ」
『やだ……。ミズチ、お留守番もがまんしたぉ。ここ(胸)でチロチロするのも、もっといっぱいしたいのに、がまんしたぉ……。カイは、ミズチの『お嫁さん』でしょ……?』
ギザギザの歯の隙間から、赤い割り舌がチロリと覗く。
その瞬間、ミズチの長い髪から、雨上がりの森のような、脳を麻痺させるような甘い香りが部屋中に広がった。怪異が持つ、人を惑わすための「本気の色香」だ。
私の青い瞳が、その妖艶な美しさに一瞬だけ吸い込まれそうになる。
ドクン、ドクンと、私の無駄に大きいたゆんたゆんの胸が、ミズチの胸板に押し潰されながら激しく高鳴った。昼間のイタズラとは比べ物にならない、本物の「雄」としてのプレッシャーに、身体の奥がじんわりと熱くなっていく。
(だ、ダメ……っ。このままだと、本当に怪異に『たぶらかされて』しまう……っ。お父さんの言う通りになっちゃう……!)
「ミ、ミズチ……! から揚げ、冷めたら美味しくなくなっちゃうんだからね……っ! ほら、爆弾サイズなんだから!」
私は恥ずかしさを誤魔化すように、残った霊力を振り絞ってミズチの胸をグイッと押し返した。
『あぅっ……!?』
さすがは神社の娘にして幼少期からのスパルタ教育の賜物のフィジカル(物理)。
215cmの巨体が、私の全力のツッコミによってソファまでズサーッと押し戻される。
「ほら、服着て!」
ソファーのわきに置いていた、男物のスウェットを顔に押し付けて、渡した。
一瞬にして部屋の妖艶な空気が霧散し、ミズチは元の「涙目の大型犬フォーム」に戻ってソファの上で丸くなった。初めから、そうやっておとなしく言うことをきいてくれたら、私も無駄に悩む必要ないのに…。
『う、うう……カイ、やっぱり手厳しいぃぉぉ……。ミズチ、かっこよく、カイを驚かせようとしたのに……から揚げに負けたぁ……っ』
半べそになりながら、ミズチはスウェットを渋々、着用する。
「当たり前でしょ! ほら、食べるの、食べないの!?」
『たべるぉ……っ! カイの作った鳥さん、たべるぅぉぉぉ……っ!』
さっきまでの雄の色香はどこへやら、ミズチはパツパツのスウェットを揺らしながら、嬉しそうに爆弾唐揚げに飛びついた。
ガツガツと美味そうに食べるその姿を見ながら、私は真っ赤になった自分の顔を両手で隠し、冷めかけたお茶をゴクゴクと飲み干すのだった。
ミズチがから揚げを平らげた後、私は片付洗い物を流しに運び、お皿を洗い始めた。とうの本人、ミズチはお皿を洗う私の背後に人の姿のまま立ち尽くし、完璧に密着してきていた。
(カイはミズチの『お嫁さん』…って、私はアンタの番にされるんですかぁ…)
ミズチの『お嫁さん』発言。
(なんで、そんなに執着するんだろ…ミズチは蛟…蛇…執念?)
民俗学の講義で習った知識や、実家の古文書の記述が頭に浮かんでは消える。けれど、私のそんな真面目な思考をあざ笑うかのように、現実の刺激が襲いかかってきた。
背後から回されたミズチの大きな手が、私の(無駄に大きいた)ゆんたゆんの胸を、後ろからガッツリと鷲掴みにしてセクハラを敢行中なのだ。
様々な言葉が頭に浮かんでは消える中、私は最後のお皿を水切り受けに置いて、水道を閉めた。
(マジで、人の気も知らないで…)
「ミズチ、いつまでしてるの?どいてくれないと、お風呂に入れないんだけど?」
(祠の修理、いつ終わるんだろ…お母さまかの返信はないし…LINE、既読もつかないし…)
振り返りたいが、ガッツリ密着し長い黒髪を私の首元に這わせながら、耳元で甘え声を出す。
『やだぁ…。カイっさっきから怖いお顔して、ミズチのこと全然、見てくれないぉ』
大きな手が私の豊かな質量をむにゅ、と掴み形を変えるようにセクハラ続行される。しかしその手つきは、蛇の姿の時とは違い、執拗で強引に私の身体の芯を痺れさせるような「雄」の力強さに満ちていた。
(ちょっと……この体格差は無理があるでしょ!!!)
拒絶しようにも215センチのガタイには何度も抵抗できるほどの余力は今日に限ってない。
(精神的に、疲れてるのに無理ぃ!)
この際お風呂は諦めて、寝るしかない。
時計の時刻は22時を回っている。
「もう寝るわよ…ミズチ。だからさっさと、蛇に戻んなさい!」
『やだぉ!寝るならこのまま、カイとお布団で寝るぉ!』
ひょいと、私の身体を持ち上げるとベッドに直行うした。
今晩、私は無事に夜を過ごし眠りにつけるか、心配で仕方なかった。本気で邪険にもできず、この凄まじい「雄の色香」で迫られ、大怪異の底なしの執着心とじかに伝わる肉体の」質量に翻弄されながら私の心臓は何度目かの爆音を立て始めるのだった。




