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#16

倒れた救護テントから出た後、美月は邪魔になる眼鏡は外して白衣のポケットに突っ込み、テントの倒壊に巻き込まれた際に乱れた(かつら)の長髪はまとめ直していた。そして坊坂にパンプスを持って行かれたままなので、ストッキング裸足である。動きにくい格好ではあるがどうしようもなかった。その姿で、末永医師を手伝い、他の保健委員と共に、戸辺山田に…というか赤い靴の付喪神に…蹴り倒された三年生二人の手当をしていた。三年生たちは頭部を(かば)うだけの体勢は取れていたらしいが、アスファルトの地面に全身を叩き付けられていて、あちこちが青く変色していた。一人に一箇所、骨にひびが入っているかもしれないという診断が下りたが、それ以外は打ち身だけだったので、()がれにくいように様々な形に切ったり、切れ目を入れたりした湿布を作成しては、末永医師に渡していた。

その作業が行われていたのは、校舎の西側の前の通路である。東側にある美術室で何事か起こっていることや、戻って来た長距離走の出場者たちがそれぞれに散らばって行くのは感づいていたが、何が起こっているのか詳細は分からないままだった。近くに悲鳴と怒声が上がったのは、手当がほぼ終わり、美月だけでなく、医師や患者の三年生たちにも、一息()く余裕が出来た頃だった。五人は一斉に、声の上がった方に顔を向けた。正面玄関から、長く続く悲鳴を上げて、戸辺山田が飛び出してきた。赤い靴の付喪神に走らされているうちに意識を取り戻したらしい。

「ひっ…くふっ。おっ…たすっ…けえええ!」

『止まれえええ!』

息も絶え絶えの戸辺山田の後から、手に手に棒や練習用の槍を取った十人ばかりの生徒が続いていた。わざわざ武道場から持ち出して来たらしい。先頭が久井本であることから、棒・槍・杖術の部の部員たちだと断言出来た。藤沢と森南も混じっている。部員たちは戸辺山田の速度に付いて行くのに必死で、息は荒かったが、同じくらい鼻息も荒かった。言うまでもなく戸辺山田は、久井本に嫌がらせをした件で棒・槍・杖術の部全体から恨まれていた。ここぞとばかりに攻め立てられ、戸辺山田は半泣きだった。転ぶなりなんなりして止まってしまえば、それ以上追い立てられることもないのだが、久井本が、まるで危険な魔物に立ち向かう戦士のような真剣そのものの面構えでいるため、止まれずにいた。久井本に戸辺山田への意趣返しの意はなく、単に付喪神に動かされている戸辺山田を心配しているだけなのが、大崎がやらかしたことに対してのやましさ(ゆえ)に、単純に考えられなくなっていた。もっとも、玄関から出て運動場に入ると、遮蔽(しゃへい)物、障害物がなくなったせいで、それまでより段違いの速さで赤い靴の付喪神は駆け出し始め、追跡者たちを振り切ったので、戸辺山田の思考など意味をなさなかったのだが。

爆走する戸辺山田の後ろ姿を見、久井本が片手を上げて、部員たちを制した。

「広い場所であれを仕留(しと)めるのは無理だ」

久井本は真顔でそう言い切った。建物内ならとにかく、運動場で無闇に追い回すのは体力の無駄遣い以外の何者でもない。部員たちにもそれは理解出来るので、皆、無言で従った。

「何か手を…」

続けられた久井本の言葉は(なか)ばで途切れた。久井本は、眉をひそめると、周囲を探るように見回した。美月も同じような仕草をしてしまった。ハウリング現象を止めてから、風の音や人の声以外には聞こえていなかった運動場だが、音楽が聞こえたのだ。三拍子の覚えやすそうな曲調である。久井本が、音の発生源だと思ったのか、倒れたままの放送委員のテントを見たので、その場にいた他の面々も、ついそちらを見てしまった。ひとり、テントの下敷きになった放送機材を片付けていた放送委員も顔を上げていた。だが他と違い、久井本たちの後ろ、正面玄関の方を向いて、目を丸くしている。その表情を見とめて、一旦放送委員のテントに向けた顔を皆、今度は正面玄関の方に向けた。

正面玄関から、足取りも軽やかに、一人の美しい少女が舞い出て来た。少女が動く都度、流れる黒髪が風に舞う。その少女のいる辺りから、音楽が流れて来て、少女は、その音楽に合わせているような、ないような、微妙な踊りを披露していた。全寮制男子校である学院に、十歳かそこらの少女がいる筈がないので、これも戸辺山田の暴走に関係する怪異のひとつであるということは、皆、確信していた。ただ、踊っているだけ、見掛けが少女、ということで、久井本や他の居合わせた面々も戸惑ったのか、手出しをすることなく無言でその不思議な動きを眺めていた。誰にも邪魔されること無く、少女は正面玄関から通路に出、通路からさらに運動場に下りた。依然、踊り続けている。運動場に出たところで、くるりと回転した。赤いスカートが花びらが(ほころ)んだように広がった。そこで、少女は、他者と同じく少女をただ眺めているだけだった美月と目が合った。少女は微笑むと、スカートの端を掴んで、膝を折り、品の良いお辞儀をした。美月は反射的に会釈を返してしまった。美月の会釈に、少女は、ちょっと目を見張り、首を傾げたが、微笑みを満面の笑みに変えると、その(まぶ)しいばかりの笑顔のまま、美月に向かってふわりと舞いつつ近づき、目の前まで来た。左手を、手の平を下にして差し出す。

それまで、ただ少女を目で追うだけだった美月だが、少女の仕草の意味に気付いてその手を取った。片膝をついた体勢だったので、ちょうど貴婦人に対する礼のような格好になった。美月は少女の手を取ったまま立ち上がると、少女と共に踊り出した。

『須…』

「大丈夫です」

久井本や藤沢、末永医師が、慌てて大声を上げかけたが、上げかけたところで、美月が顔だけそちらに向けて、(さえぎ)った。美月に言葉を封じられたものの、その場の一同は皆、不安この上ないと行った表情で、踊り出した美月と笑顔の少女を見守り続けた。


音楽が二巡目に入りかけたところで、次第に遅くなってきた。少女は、またちょっと首を傾げると、それまでスカートの裾をつまんだり、美月の胸辺りに当てたりしていた右の手を、美月に差し出して来た。美月が取ると、両者は正面で向かい合い、両手をつないでいる形になった。少女は足を止めると、その場に両膝を折ってしゃがみこんだので、美月もならって同じ行動をした。この音楽は、日本で言う『とおりゃんせ』と似た遊び唄で、最後は、こうやって腕を下ろして下を通っていた誰かをさんを捕まえるものだったな、と美月は英語の授業を思い出した。日本の『とおりゃんせ』も聞き様によっては不気味だが、この遊び唄は、ベッドに案内する蝋燭と、首を切りに斧が来る、という直接的に怖い表現だった。

美月と少女がしゃがみ込んだところで、ぜんまいが切れた音がした。少女の姿が消え、美月の両手に楓の木で作られたオルゴールが残った。美月は立ち上がると、心配この上ないといった表情でこちらを(うかが)っている一同に声を掛けた。

「踊りたかっただけみたいです」

胸をなで下ろす音が聞こえて来そうだった。実際に聞こえて来たのは、運動場の東側からの悲鳴だった。

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