白家の嫁
白寿子の邸に行くのは二度目だ。門扉は封鎖されているはずだったが――
「開いてる……?」
不思議に思って入ってみると「出ていけ。出て行かないと逮捕するぞ」と粗暴な声が飛んできた。
院子の奥に見覚えのある男が立っている。
「栄明こそ、こんなところで何をやっているの」
「わ、びっくりした。汪炯絲か。なんで女の格好してるんだ。へんてこな眼鏡がなきゃ気づかなかった」
栄明は青鴻班の同僚である。無双黒は縦割りの組織で、おおまかに四つの班で事件を分担している。青鴻班はそのひとつだ。
「驚いたのはこっち。白寿子殺人事件には興味なさそうだったのに、ここでなにしてるの?」
「ああ、まあ、ちょっとな」
栄明はちらちらと後ろを気にしていた。背後には正房の入口がある。
「そこどいて。中に入りたいの」
「いかん。女に現場は無理だ。幽鬼が怖くないのか」
「幽鬼? そんなものが怖くて無双黒が務まりますか」
「何を隠してるんだ」
「なんだ、あんた……」
言いかけて、栄明ははっと息を飲んだ。炯絲の後ろにのそりと立つ大男が誰かわかったのだろう。慌てて拱手の礼をとる。
「皇太子殿下と高英耀さま……!」
「なかを検めたい」
「は……しかし……その」
栄明は正房を守るようにその場を動かない。
邸の中からかすかに物音がした。誰かが中にいるのだ。英耀は舌打ちした。
「盗人仲間を引き入れたのか?」
「い、いいえ、けしてそんなことは」
栄明は顔を真っ青にして首を振った。
「どけ」
「は」
栄明は海老のような仕草で後退した。
「おれは左の房室を見てくる。炯絲は右へ行け」
英耀の指示に従った。
かすかな物音を耳が捉え、紙を焼く匂いを鼻が捉え、臥室に若い女がいるのを目が捉えた。
手には紙の束を抱えている。足下には火桶があり、紙の燃えかすが炎に煽られて羽虫のように舞っている。
女は闖入者に気づいて顔色を変えた。
「貴女はどなたですか。ここで何を焼いているのです」
「……この家の嫁です。貴女こそ勝手に押し入って。どなたですか」
「失礼。無双黒の汪炯絲といいます。調査のために立ち寄ったのです」
「調査ですって」
そこに英耀が遅れてやってきた。
「他の部屋には誰もいない。その女だけのようだ」
炯絲はうなずき返し、女に目をやった。
「もう一度うかがいます。何をされていたのですか。白単の嫁の李氏ならば離縁ののち実家に戻っているはずですが」
炯絲は詰問を繰り返した。
「……その李氏です。私物を取りにきただけです」
「これが私物か。なぜ燃やす」
「あ」
英耀は李氏から紙を取りあげた。詩が書かれている。流麗な筆致で始まり、半ばで荒々しい字体に変貌し、癇癪を起こした童子が筆を投げ出したように中途半端に終わっていた。 どれもこれも、同じような反故である。
「李氏の私物ではなかろう。白寿子の詩作だな。病の身を嘆いた内容に読めるが……。なぜこれを焼いたのだ。答えよ」
英耀の詰問に李氏はその場にひざまずいた。
「お願いでございます。見逃してくださいませ。夫のためでございます」
「なぜ白寿子の遺稿を燃やすことが白単のためになるのだ」
炯絲は詩文を読んだ。白寿子が病に苦しんでいたことは事実のようだ。
「その病というのは、物忘れがひどくなったり、言葉が出なくなったり、疑い深くなったり、怒りっぽくなったりするやつですか?」
炯絲の問いに李氏がはっと顔をあげた。
「老人に見られる症状だな。しかし、白寿子はそこまで老いていたのか。李氏よ、どうなのだ」
李氏はうつむいて答えない。
「よく見ると誤字や誤引用も多い。博学を頼みにしていた白寿子にとって頭が鈍っていくのはさぞつらかったでしょう」
そう言って、炯絲が李氏の肩に手を置くと、李氏は堪えきれずに泣き出した。
「文字が書けるうちはまだよかったのです。殺してくれと、よく夫に頼んでいました。もちろんそんなことできるはずもなく。やがてわたしや夫の顔まで忘れてしまい、暴力をふるったり、ところかまわず排泄したり……義父はすっかり人が変わってしまいました。どうか夫の白単に恩情をお与えください。夫は、彼の出来る最良の孝行をしたのです」
英耀は溜息を吐いた。
「……事情はわかった。李氏よ、裁判でその旨、証言できるか」
「い、いいえ」
「なぜだ」
「夫が望みません」
「なぜ望まぬ。白単は世間から蛇蝎のように忌み嫌われているぞ。そなたが証言すれば、夫の名誉も多少は回復するだろうに」
尊属殺人は重罪だ。情状は考慮されない。皇帝による赦免があれば別だが、英耀はそこまで考えているのかと炯絲は疑問に思った。
「わたしの推測ですが、陛下が赦免を与えるとは思えません。孝をないがしろにすれば国の根幹が揺らぎます」
「陛下が民に、仁を示す機会になる」
なるほど、英耀の言には一理ある。今上帝がいかにも民を思いやっているように演出できる。だがそこに礼(仁にもとづく行動)はない。
英耀は白単に同情したのではなく、民への印象操作に利用できると目論んでいる。
ついさきほどまで、事件が起これば、たとえ無実でも罪を負う者が必要だと説いた口が言うのか。尊属殺は死刑だ。民が罰を望むのだと民のせいにまでしたくせに。
李氏は英耀の足下に平伏した。
「どうか、どうか夫を助けてください。けして悪人ではありません」
「どう思う?」
英耀はなぜか天翔に問う。天翔は「うーん」と首をひねった。
「このひと、かわいそう。ちちおやも、むすこもかわいそう」
「そうですな。陛下ならば民には寄り添うことができる。慈愛を示してもいいのかもな」
「……どうぞ、お好きになさってください。ですが李氏は証言したくないようです。英耀殿が刑部に口添えなさいますか」
「横槍を入れる形になるのはあまり好まないが……。おまえ、白単の自白には裏があると疑っていたではないか。誰かをかばっているかもしれないと考えていただろう。おまえはあれか、真実さえ追及できれば満足なのか。白単は死んで当然と切り捨てるのか」
「そんなことは言ってないでしょう」
痛いところを突かれた。真実を暴くことは好きだが、それは正しく裁かれるべきだという信念に基づく。人に寄り添いたいわけではないのだ。我ながら冷たいとは思う。
いや、そうではない。
誰に対しても平等でいたい。犯人か被害者かを問わず、等距離でいたい。それだけだ。
英耀が気まぐれすぎるのだ。
「帰りましょう」
帰ったら追加の報告書を作らなければ。証言者である李氏の署名と拇印をもらうのは諦めた。
「もうなかないで。ぼくがちちうえにいっとくね」
天翔は李氏の涙にもらい泣きしている。
「白単の命が助かる保証はない。期待せずに待っていなさい」
李氏は肩を震わせながら何度も頭を下げた。
外に出ると今度は栄明が同じように地面に這いつくばっていた。
「賄賂をもらったか」
「は……はい」
栄明の額に脂汗が落ちる。生きた心地がしないに違いない。英耀はふっと笑った。
「李氏の用が済んだら家まで送り届けてやれ」
こういう気まぐれの優しさが、炯絲には信用できないのだった。




