第八十二話 グランディアからの使節
皇子誕生の知らせは、周辺国だけでなく、さらに東のグランディア帝国へも届いていた。
ちょうどその頃。
帝都では、別の報告も話題になっていた。
「アルセリア皇国を中心に、四か国で定期的な協議を行うことになったそうです」
「四か国?」
「アルセリア、サウレア、ウェストリア、ノルディアです」
官吏が地図を広げる。
南。
西。
北。
そして、その中央にあるアルセリア皇国。
「正式な同盟ではないようですが、交易や道路、技術、情報交換などを共同で話し合うと」
「……なるほど」
重臣の一人が地図を見た。
「皇国を中心に、緩やかな連合ができたようなものか」
「外から見れば、そのように見えます」
「東ではあの騒ぎがあったというのに、西と南と北では着々と関係を深めているわけだな」
神光教の一部による騒動。
エストリアでの衝突。
アルセリア国境まで押しかけた者たち。
中央として正式に命じたことではない。
だが、帝国内の宗教組織が発端となった以上、完全に無関係とも言えなかった。
「今回の皇子誕生の祝いも兼ねて、正式な使節を送りましょう」
「謝罪も必要でしょうな」
「ええ。それに」
一人の重臣が地図から顔を上げた。
「今後の関係強化も考えるべきでしょう」
◇
「関係強化、ですか」
「アルセリア皇国は、今や周辺三国と非常に近い」
「そうですね」
「このまま我が国だけ距離を置く理由もないでしょう」
「しかし」
別の官吏が慎重に口を開いた。
「先の件もあります。まずは信頼を取り戻す方が先では?」
「だからこそです」
重臣は頷いた。
「謝罪し、その上で今後の関係を話す」
「交易だけでも十分ではありませんか?」
「もちろん、交易だけでもよいでしょう」
少し間を置いて。
「ですが、さらに強い結びつきを作れるのであれば、それに越したことはない」
その言葉に、部屋の空気が少し変わった。
「……何かお考えが?」
「アルセリア皇国の第一皇女」
「エルナ殿下ですか」
「まだ婚姻のお話は決まっていないと聞いております」
「ええ」
「ならば、この際、縁談を打診してみてはいかがでしょう」
「…………」
「両国が婚姻によって手を取り合えば、関係はより盤石になります」
何人かが頷く。
「相手としては?」
「皇族から選ぶことになるでしょうな」
「年齢や立場も確認しなければなりません」
「もちろんです。いきなり婚姻を決めるのではなく、まずは打診するだけでもよいでしょう」
「アルセリア側の考えも聞けます」
話は、少しずつまとまり始めた。
◇
数日後。
グランディア帝国では、正式な使節団の準備が始まった。
目的は三つ。
皇子誕生への祝賀。
先の神光教騒動についての謝罪と説明。
そして、今後の関係強化についての協議。
その中には、一つの提案も含まれていた。
アルセリア皇国第一皇女。
エルナへの縁談。
◇
その知らせがアルセリア皇国へ届いたのは、皇后の体調も少しずつ落ち着き、皇宮が普段の様子を取り戻し始めた頃だった。
「グランディア帝国より、正式な使節を派遣したいとのことです」
ノリスの報告に、皇帝は頷いた。
「ようやく、正式に来るか」
「はい。先の騒動についての謝罪も行いたいと」
「それならば、受け入れよう」
「さらに、皇子殿下のご誕生への祝賀も」
「それはありがたい」
「そして」
ノリスが少しだけ間を置いた。
「今後の両国関係についても、お話ししたいとのことです」
「ふむ」
「その一環として」
「何だ?」
「エルナ殿下への縁談を、正式に打診したいと」
「…………」
皇帝が止まった。
アイリスも顔を上げる。
そして、エルナも、わずかに目を見開いた。
「……縁談、ですの?」
「そのようです」
「グランディアから?」
「はい」
エルナは少し驚いた様子で黙り込んだ。
皇帝も娘を見る。
大国グランディア。
そして、周辺三国との関係を深め始めたアルセリア皇国。
両国が婚姻によって結びつけば、確かに大きな意味を持つだろう。
少し前までであれば。
まずは相手の条件を聞こうとしたかもしれない。
「エルナ。まずは――」
「お断りします」
「ええっ?」
皇帝の驚いた声が、部屋に響いた。
アイリスも姉を見る。
エルナは、すでにいつもの落ち着いた表情へ戻っていた。
「お断りしますわ」
「いや、待て」
皇帝が慌てて言う。
「まだ相手の名前すら聞いておらんぞ?」
「関係ありませんわ」
「関係ないのか!?」
「はい」
エルナは迷いなく頷いた。
「わたくしは、グランディアへ嫁ぐつもりはありませんもの」
皇帝は、しばらく娘の顔を見た。
「……そこまで決めておったのか?」
「今、決めましたわ」
「今なのか!?」
アイリスが横で小さく笑う。
だが、エルナの表情は真剣だった。
「お父様」
「何だ」
「友好関係を築くために、必ず婚姻が必要なのでしょうか?」
「いや、必ずというわけではないが」
「サウレアとも、ウェストリアとも、ノルディアとも、婚姻をせずに関係を深めることができました」
「それはそうだな」
「でしたら、グランディアとも同じではありませんの?」
「…………」
「交易をして、使節を送り合い、必要であれば協力する。それで十分に友好は築けると思いますわ」
皇帝は返事をせず、少し考える。
アイリスは、すぐに頷いた。
「わたくしもそう思いますわ!」
「アイリス」
「だって、お姉様が行きたくないとおっしゃっておりますもの!」
「お前はもう少し政治的なところも考えろ!」
「考えておりますわ!」
「本当か?」
「もちろんです!」
皇帝は疑わしそうな顔をした。
その横で、エルナが静かに続ける。
「使節の皆様には、きちんとお会いします」
「うむ」
「先の騒動についてのお話も伺います」
「ああ」
「今後の交易や交流についても、前向きにお話ししたいと思います」
「それならば」
「ですが」
エルナは、はっきりと言った。
「縁談は、お断りいたしますわ」
「……そうか」
皇帝はようやく息を吐いた。
「そこまで言うのであれば、無理に進めるつもりはない」
「ありがとうございます」
エルナは穏やかに微笑んだ。
アイリスも嬉しそうに頷く。
皇帝だけが、まだ少しだけ不思議そうな顔で娘を見ていた。




