第七十六話 ごーん
「……何をするつもりだ」
神光教側から声が上がった。
ヴィンセントは鐘鎚を少し持ち上げ、足元を示す。
「人を殴らないようにと言われましたので、こちらを叩きます」
「地面を?」
「はい」
アイリスが親衛隊とともに一歩下がった。
「ヴィンセント。ほどほどにお願いしますわね」
「分かりました」
「本当にですわよ?」
「はい」
親衛隊長はアイリスをもう少し後ろへ案内した。
「……念のためです、殿下」
ヴィンセントは鐘鎚を構え、振り下ろした。
ごぉぉぉぉぉん――!!
凄まじい鐘の音とともに地面が弾けた。
「うわっ!?」
土と石が舞い上がり、街道の中央が大きく抉れる。
飛び散った土は双方の手前へ降り、誰もいなかった場所に穴が残った。
剣の柄を握った神殿騎士は、そのまま動けなくなっていた。
土埃が晴れるまで、誰も口を開かなかった。
「ヴィンセント。これは、ほどほどですの?」
「かなり抑えました」
「そうですの……」
アイリスは、それ以上聞くのをやめた。
◇
「……あれ?」
親衛隊の一人が、ヴィンセントを見ていた。
身体が淡い金色の光に包まれている。
「ヴィンセント、光っておりますわよ」
「そうなんですか?」
「ええ。今回は教会でもありませんのに」
アイリスは辺りを見回した。
ここは東部国境の街道である。
神殿も祭壇もなく、今したことといえば、地面を叩いただけだった。
「なぜですの?」
「さあ?」
神光教側から、小さな声が漏れた。
「本人も分からないのか……」
その時、遠くから別の鐘が響いた。
ごぉぉん……。
ヴィンセントの手は動いていない。
兵士の一人が振り返った。
「町の方角です!」
国境から少し離れた町には、太陽教の教会があった。
そちらから、もう一度、低い音が届く。
「誰が鳴らしている」
神殿騎士の問いに、皇国側の指揮官が首を振った。
「こちらから鳴らすよう命じてはおりません」
「では、この男が鐘鎚を振ったからか?」
「以前にも、こうなったことはありますわ」
アイリスが答えた。
「なぜだ!」
「分かりませんわ!」
「またそれか!」
「それをわたくしが知りたいですわ!」
アイリスの声も大きくなった。
◇
一人の年嵩の聖職者が、抉れた街道とヴィンセントを見比べていた。
「地面を叩き、本人が光り、離れた教会の鐘まで鳴った。それで、理由は分からないと?」
「はい」
ヴィンセントは普通に頷いた。
聖職者は口を閉じ、手にしていた杖を握り直した。
報告で聞いた時には、誇張か、何かの仕掛けかとも思った。
ところが、実際に目の前で起きると、何を聞けばよいのかさえ分からなくなった。
「……偽りだ!」
後方から男が叫んだ。
「神光教の知る加護ではない!」
「それは、わたくしに言われましても……」
「正体も分からぬ力に、太陽教の鐘が応えている!」
「応えているのかどうかも分かりませんわ。聞こえているのは、皆様と同じ鐘の音ですもの」
男はなおも何か言おうとして、光るヴィンセントを見た。
その手には、金色の鐘鎚がある。
先ほどの一撃を思い出したのか、声は続かなかった。
「皆様。確かめたかったものは、今ご覧になったのでしょう?」
アイリスが一団へ声を掛ける。
「ですが、わたくしたちにも理由は分かりません。これ以上聞かれても、お答えできませんわ」
遠くで、また鐘が鳴った。
ごぉん……。
一人の神殿騎士が、ゆっくりと剣の柄から手を離した。
それを見て、隣の者も武器を下ろす。
誰も納得した顔ではなかった。
ただ、目の前の大きな穴を越えて進もうとする者は、もういなかった。




