第六十八話 エルナの誕生日
皇后の懐妊が発表されてから、しばらく。
皇宮では。
もう一つ。
ささやかな祝いの日が近づいていた。
「エルナお姉様!」
「はい?」
アイリスが、嬉しそうにエルナのもとへ駆け寄る。
「もうすぐお誕生日ですわね!」
「ええ」
エルナは穏やかに頷いた。
「今年で十七歳になります」
「まあ!」
アイリスの目が輝く。
「でしたら盛大に――」
「しなくて結構ですよ」
「…………」
先回りされた。
「まだ何も言っておりませんわ!」
「盛大に、と言いましたよね?」
「途中ですわ!」
「では、その続きをどうぞ」
「…………」
アイリスが少し考える。
「盛大に……お祝いしたいと思っておりましたのに」
「やはり同じではありませんか」
「うぅ……」
エルナは小さく笑った。
「今年は、家族や身近な者たちだけで静かに過ごせれば十分です」
「本当にそれだけでよろしいのですの?」
「ええ」
「パーティーも?」
「大きなものは必要ありません」
「催しも?」
「必要ありません」
「野球も?」
「必要ありません」
「…………」
アイリスが少し残念そうな顔をする。
「そんな顔をしないでください」
「ですが……」
「一緒に祝ってくださるのでしょう?」
「もちろんですわ!」
「でしたら、それで十分です」
「…………」
アイリスは少し考え。
「分かりましたわ!」
元気よく頷いた。
「今年は静かにお祝いします!」
「お願いしますね」
「はい!」
そのやり取りを。
少し離れた場所でヴィンセントが聞いていた。
「…………」
◇
数日後。
「アイリス殿下」
「何ですの?」
「少しよろしいですか?」
「もちろんですわ」
ヴィンセントに呼ばれ。
アイリスは彼のもとへ向かった。
「エルナ殿下への贈り物なんですが」
「まあ!」
アイリスが一気に身を乗り出す。
「決まりましたの!?」
「まだです」
「では、一緒に探しましょう!」
「そのつもりでお呼びしました」
「任せてくださいまし!」
ヴィンセントが板を取り出す。
二人で覗き込む。
「これなどいかがですの?」
「少し派手では?」
「ではこちら!」
「エルナ殿下には、もう少し落ち着いた方が似合いそうですね」
「なるほど……」
板の上に。
様々な装飾品が並んでいく。
首飾り。
腕輪。
耳飾り。
髪飾り。
その中で。
ヴィンセントの指が止まった。
「……これ」
「どれですの?」
「こちらです」
アイリスが覗き込む。
青い宝石をあしらった。
白銀の髪飾りだった。
派手すぎず。
だが。
光を受ければ、静かにきらめく。
「まあ……!」
「エルナ殿下の髪に似合いそうじゃありませんか?」
「とても似合うと思いますわ!」
「では、これにします」
「はい!」
アイリスは嬉しそうに頷いた。
そして。
少しして。
「……ヴィンセント」
「はい?」
「わたくしの時も」
「はい」
「ちゃんと、わたくしに似合うものを選んでくださいましね?」
「もちろんです」
「なら結構ですわ!」
なぜか満足そうだった。
◇
誕生日当日。
エルナが望んだ通り。
大きな宴は開かれなかった。
皇帝。
皇后。
アイリス。
ヴィンセント。
リゼット。
それに近しい者たちだけ。
皇宮の一室で。
小さな祝いの席が設けられていた。
「エルナ」
皇帝が杯を持ち上げる。
「十七歳の誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます、お父様」
「おめでとう、エルナ」
「ありがとうございます、お母様」
「エルナお姉様!」
アイリスが勢いよく抱きつく。
「お誕生日おめでとうございますわ!」
「ありがとう、アイリス」
「今年も素敵な一年にしてくださいまし!」
「ええ」
エルナは妹の頭を優しく撫でた。
「エルナ様」
次に。
リゼットが前へ出る。
「お誕生日、おめでとうございます」
「ありがとう、リゼット」
「こちらを」
「まあ」
リゼットが差し出したのは。
綺麗に包まれた一本の瓶だった。
「…………」
エルナが瓶を見る。
「リゼット?」
「はい」
「これは?」
「お酒です」
「見れば分かります」
「とても美味しいものを選びました!」
「……あなたが飲みたいだけではありませんか?」
「いえ!」
即答だった。
「エルナ様に!」
「本当に?」
「…………」
「リゼット?」
「……一緒に飲めれば、とは思っております」
エルナがため息をつく。
アイリスが横から覗き込んだ。
「リゼット」
「はい?」
「今日はほどほどにしてくださいまし」
「承知しました」
「本当でしょうね?」
「もちろんです」
しばらくして。
席には。
一本。
二本。
三本。
「…………」
アイリスがじっと見る。
「リゼット?」
「はい?」
「増えてませんこと?」
「…………」
「リゼット?」
「……気のせいです」
「そんなわけありませんわ!」
「申し訳ありません……」
そう言いながら。
瓶を置く気配はなかった。
「まったく……」
エルナは呆れながらも。
少し楽しそうに笑っていた。
◇
「エルナ殿下」
ヴィンセントが声を掛ける。
「はい?」
「こちらを」
「わたしに?」
「はい。お誕生日の贈り物です」
小さな箱を差し出す。
エルナが受け取り。
蓋を開けた。
「……まあ」
中に入っていたのは。
青い宝石の髪飾り。
白銀の細工が施された。
上品なものだった。
「綺麗……」
エルナがそっと手に取る。
「ありがとうございます、ヴィンセント」
「いえ」
「これを、あなたが?」
「はい」
「選んでくださったのですか?」
「エルナ殿下に似合いそうだと思いまして」
「…………」
一瞬。
エルナが黙った。
「エルナ殿下?」
「いえ……」
髪飾りを見る。
そして。
少しだけ笑った。
「嬉しいです」
「それなら良かったです」
「つけてみても?」
「もちろんです」
エルナが髪へ添えようとする。
だが。
少し位置を迷った。
「……こちらでしょうか」
「もう少し上の方がいいかもしれません」
「そうですか?」
「はい」
「でしたら……」
エルナがヴィンセントを見る。
「お願いできます?」
「もちろんです」
ヴィンセントが自然に近づく。
青い髪を少し整え。
髪飾りをつける。
「……どうでしょう?」
エルナが振り返った。
「よくお似合いです」
「…………」
また。
ほんの少し。
間があった。
「ありがとう」
「はい」
その様子を。
アイリスが見ていた。
「…………」
「アイリス?」
「何でもありませんわ」
「?」
アイリス自身も。
なぜ少し気になったのか。
よく分かっていなかった。
◇
「そういえば」
ヴィンセントが立ち上がった。
「もう一つあります」
「まだあるのですか?」
「はい」
しばらくして。
ヴィンセントが運んできたのは。
大きすぎない。
落ち着いた見た目のケーキだった。
「まあ!」
アイリスが先に反応する。
「今回はずいぶん大人っぽいですわね!」
「エルナ殿下は、あまり甘すぎるものはお好みではありませんので」
「…………」
エルナがヴィンセントを見る。
「覚えていたのですか?」
「はい」
「いつから?」
「以前、お茶の時に仰っていたので」
「…………」
エルナは。
またケーキを見る。
「本当に、よく覚えていますね」
「そうですか?」
「ええ」
アイリスが。
今度はヴィンセントを見る。
「ヴィンセント」
「はい?」
「わたくしの好みも覚えておりますわよね?」
「もちろんです」
「何ですの?」
「甘いもの全般です」
「…………」
「特にケーキはかなりお好きですね」
「正解ですわ!」
満足そうに頷く。
「なら結構です!」
「何の確認だったのです?」
「何でもありませんわ!」
エルナが。
そんな妹を見て。
少しだけ笑った。
◇
大きな宴ではなかった。
派手な催しもない。
国を挙げての祝いでもない。
ただ。
家族と。
身近な者たちと。
食事をして。
話をして。
笑う。
「こういう誕生日も、良いものですね」
エルナがぽつりと呟いた。
「でしょう?」
皇后が微笑む。
「ええ」
エルナの髪には。
ヴィンセントから贈られた髪飾りが。
静かに輝いていた。
「…………」
エルナは。
それにそっと触れる。
少しだけ。
今までとは違う気持ちが。
胸の中に残っている。
それが何なのか。
まだ。
本人にも分からなかった。
「エルナ様!」
「はい?」
「もう一本だけよろしいでしょうか!」
「駄目です」
「まだ何も言っておりません!」
「お酒でしょう?」
「…………」
「リゼット?」
「……はい」
「今日はもうそのくらいにしておきなさい」
「承知しました……」
静かな誕生日。
だった。
たぶん。




