第六十七話 おめでたい知らせ
有線通信の整備について話し合いが始まってから、しばらく。
アルセリア皇国――皇宮。
「皆に、知らせがあります」
皇后がそう口にした時。
その場にいた者たちの視線が、一斉に集まった。
皇帝。
エルナ。
アイリス。
ヴィンセント。
リゼット。
そして、数名の側近たち。
「知らせ?」
皇帝が首を傾げる。
「はい」
皇后は穏やかに微笑んだ。
「わたくし……」
一度。
お腹へ手を添える。
「新しい命を授かりました」
「…………」
皇帝が固まった。
「……本当か?」
「はい」
「…………」
もう一度。
「本当に?」
「本当です」
「…………そうか」
皇帝の表情が、ゆっくりと崩れる。
「そうか……!」
珍しく。
心から嬉しそうに笑った。
「お母様!」
アイリスが勢いよく皇后へ駆け寄る。
「まあ! 本当ですの!?」
「ええ」
「弟ですの!? 妹ですの!?」
「まだ分かりませんよ」
「どちらでも構いませんわ!」
アイリスは嬉しそうだった。
エルナも母のそばへ寄る。
「おめでとうございます、お母様」
「ありがとう、エルナ」
皇后は二人の娘を見て、柔らかく笑った。
その横で。
「…………」
ヴィンセントが皇后を見ていた。
「ヴィンセント?」
「はい」
「どうしました?」
「いえ」
少し考えてから。
「何か必要なものはありますか?」
「今のところは大丈夫ですよ」
「そうですか」
そう言って。
ヴィンセントはすぐに椅子を引いた。
「どうぞ」
「……ありがとう」
皇后が座る。
少しして。
「お飲み物はいかがですか?」
「では、少しだけ」
「はい」
すぐに用意する。
「…………」
皇帝がそれを見る。
「ヴィンセント」
「はい?」
「お主……」
「はい」
「私より甲斐甲斐しくないか?」
「?」
「なぜ首を傾げる」
「お身体が大事ですから」
「それはそうだが……」
「あらあら」
皇后が楽しそうに笑った。
エルナとアイリスは。
そんなヴィンセントを、少し離れたところから見ていた。
「…………」
「…………」
「エルナお姉様」
「何です?」
「ヴィンセントって……」
「ええ」
「かなり優良ではありませんこと?」
「…………」
エルナもヴィンセントを見る。
強い。
優しい。
気が利く。
料理もできる。
何でも用意できる。
そして。
母と自分たちには、頼まれる前から世話を焼く。
「……そうですね」
エルナが小さく答えた。
「ただでさえ、優しい方ですものね」
「でしょう?」
アイリスは少しだけ満足そうに頷く。
その時。
二人の脳裏に。
なぜか。
部屋の前で這いつくばっていた女性の姿が浮かんだ。
「…………」
「…………」
「まあ……」
エルナが目を逸らす。
「少々、気になる点はありますが」
「?」
アイリスには。
まだよく分かっていなかった。
◇
皇后の懐妊が正式に発表されることになり。
折しも。
サウレア王国。
ウェストリア王国。
両国から使節が皇都を訪れる予定があった。
戦いが終わり。
交易が広がり。
道路整備の話も進んでいる。
せっかく友好国の使節が集まるのであれば。
何か催しを。
という話になった。
「でしたら!」
アイリスが手を挙げる。
皇帝が嫌そうな顔をする。
「……なんだ」
「野球をご覧いただきましょう!」
「なぜだ?」
「楽しいですもの!」
「…………」
「それに!」
アイリスは続ける。
「騎士団の訓練にも使っておりますし、皆さんにも広められますわ!」
「……まあ、訓練の紹介にはなるか」
「でしょう!」
こうして。
皇后懐妊の正式な発表と。
サウレア、ウェストリア両国との親善を兼ねた。
野球の実演試合が行われることになった。
◇
試合当日。
会場には皇国の貴族や騎士たち。
そして。
サウレアとウェストリアの使節団が集まっていた。
試合前。
皇帝が立ち上がる。
「本日は、皆に一つ報告がある」
ざわめきが止まる。
「このたび――」
皇帝は隣に座る皇后を見る。
「皇后が、新たな命を授かった」
一瞬。
静寂。
そして。
大きな拍手が沸き起こった。
「おお……!」
「それはめでたい!」
サウレアの使節も。
ウェストリアの使節も。
次々に祝意を示す。
皇后は穏やかに微笑み。
エルナとアイリスも嬉しそうにしていた。
しばらくして。
拍手が落ち着く。
そこで。
アイリスが立ち上がった。
「では!」
皇帝が横を見る。
娘は、今日も張り切っていた。
「皆さま!」
アイリスが会場を見渡す。
「お祝いも兼ねまして!」
大きく手を広げる。
「野球をご覧くださいませ!」
「……元気なものだ」
皇帝は小さく呟いた。
◇
「……これが」
ウェストリアの使節が、グラウンドを見る。
「例の野球か」
「ご存じなのですか?」
サウレア側の使節が聞く。
「以前、我が国の者が皇国で見たことがある」
「ほう」
「球を投げて」
「はい」
「棒で打ち」
「はい」
「走る」
「……はい」
「そして女性たちが応援する」
「最後だけ説明がおかしくありませんか?」
「私もそう思う」
だが。
実際に試合が始まると。
印象は変わった。
投げる。
走る。
捕る。
打つ。
味方と声を掛け合う。
相手の動きを読む。
誰が、どこへ動くか。
瞬間的に判断する。
「……なるほど」
サウレアの使節が頷く。
「確かに、訓練としては面白い」
「そうだろう」
ウェストリア側も認める。
「兵士が楽しみながら身体を動かせるというのも大きいな」
「ええ!」
近くにいたアイリスが嬉しそうに答える。
「ですから皇国では、騎士団の訓練として使っておりますの!」
「なるほど……」
その時。
次の打者が、打席へ向かった。
「…………」
ウェストリアの使節が固まる。
「どうしました?」
「……あれは」
黒髪の青年。
バットを持っている。
「ヴィンセントですわ!」
アイリスが答えた。
「…………」
ウェストリア側。
一万五千の軍勢を止めた男。
サウレア側。
第二王子と精鋭騎士たちをまとめて吹き飛ばした男。
両国の使節が。
揃って黙る。
「彼も……出るのか?」
「もちろんですわ!」
「…………」
投手が構える。
投げる。
ヴィンセントが振る。
カキィィィン――!
「…………」
球が。
消えた。
「…………」
「…………」
両国の使節が、遠くを見る。
「今のは……」
「ホームランですわ!」
アイリスは嬉しそうだった。
しばらくして。
ヴィンセントの次の打席。
相手側から声が上がる。
「申告敬遠!」
「…………」
ヴィンセントが止まる。
バットを持ったまま。
少しだけ。
寂しそうな顔をした。
「…………」
ウェストリアの使節がそれを見る。
「……打たせないのか?」
「はい」
「それでよいのか?」
「ルール上は問題ありませんわ!」
「…………」
使節は少し考えた。
そして。
「我々は……」
「はい?」
「一万五千の兵を用意したのだが」
「はい」
「必要だったのは……」
一度。
ヴィンセントを見る。
「敬遠だったのか?」
「野球の時だけですわ!」
即答だった。
「…………そうか」
◇
試合が終わる頃には。
両国の使節たちも、すっかり興味を持っていた。
「これは、我が国でも取り入れてみたいな」
サウレア側の使節が言う。
「ウェストリアでも、試してみる価値はありそうだ」
「まあ!」
アイリスの目が輝く。
「でしたら!」
嫌な予感。
「皆さんでやりましょう!」
「……皆で?」
「はい!」
「皇国だけではなく!」
アイリスは。
サウレアの使節を見る。
ウェストリアの使節を見る。
「南国でも!」
「はい」
「西国でも!」
「ああ」
「野球を広めるのですわ!」
皇帝が。
少し離れた場所で。
静かに額を押さえた。
「……今度は競技まで輸出し始めたか」
「あらあら」
隣で。
皇后が楽しそうに笑った。
その横には。
いつの間にか。
飲み物と軽食を持ったヴィンセントが立っていた。
「皇后陛下」
「はい?」
「少しお疲れではありませんか?」
「少しだけ」
「では、こちらを」
「まあ」
使節たちとの話を終えたアイリスが、エルナの隣へ戻ってきた。
二人は。
また。
そんなヴィンセントを見る。
「…………」
「…………」
やはり。
かなり。
優良なのではないか。
二人の中に。
ほんの少しだけ。
今までとは違う光が。
芽生え始めていた。
たぶん。
まだ。
本人たちも。
それが何なのかは分かっていなかった。




