第六十四話 なんだったんだ
アルセリア皇国――皇宮。
同じ頃、南方からも続報が届いていた。
サウレア軍と皇国軍は蛮族を押し返しつつあり、戦況は安定しているという。
西方から戻った使者の報告を、皇帝は黙って聞いていた。
「――以上が、ウェストリア王国との停戦交渉で合意された内容となります」
「…………」
皇帝は机の上に置かれた報告書へ目を落とした。
国境付近での軍事行動を停止する。
双方の軍は所定の位置まで後退。
捕虜がいれば相互に返還。
そして。
今後は両国間の交易を拡大する。
街道の整備について協議する。
商人の往来を活発化させる。
技術交流についても検討する。
ウェストリアの港を利用した交易についても、今後協議を進めていく。
「…………」
皇帝は報告書をめくった。
もう一枚。
さらにもう一枚。
「…………」
「陛下?」
ノリスが声を掛ける。
皇帝は顔を上げた。
「これは」
「はい」
「停戦の条件なのか?」
「…………」
ノリスが報告書を見る。
「停戦交渉の結果でございます」
「そうではない」
皇帝が眉間を押さえる。
「内容だ」
「はい」
「領土の割譲はない」
「ございません」
「賠償金もない」
「ございません」
「ウェストリア軍の武装制限もない」
「はい」
「代わりに交易を増やす」
「はい」
「街道を繋ぐ」
「はい」
「技術交流も進める」
「そのようです」
「港も使わせてもらう」
「今後、その方向で協議すると」
「…………」
皇帝はしばらく黙った。
そして。
「ただの友好では?」
「…………」
ノリスも少し考えた。
「……まあ」
「まあ?」
「結果だけを見れば、そのようにも見えますな」
「…………」
皇帝は椅子へ深くもたれた。
「なんだったのだ?」
「はい?」
「この戦争は、なんだったのだ?」
「…………」
南方でサウレア王国へ蛮族が侵入。
援軍要請を受け、皇国軍の一部を南へ派遣した。
その隙を突き。
ウェストリア王国が約二万の兵を動かした。
そのうち前線へ進んできた軍勢、およそ一万五千。
それを。
ヴィンセント一人が止めた。
ウェストリア軍は撤退。
その後。
第二皇女がウェストリアを横断して海を見に行き。
ついでに各地を見て回り。
戻ってきて停戦交渉に参加し。
出てきた結論が。
交易を増やしましょう。
道路を繋ぎましょう。
仲良くしましょう。
「…………」
皇帝は額を押さえた。
「本当に、なんだったのだ……」
「まあ……」
ノリスは苦笑する。
「こちら側に、ほとんど被害が出なかったことが大きいのでしょう」
「…………」
「ウェストリア側も、負傷者こそ非常に多かったようですが、死者はそれほど多くなかったとのこと」
「……そうらしいな」
「もし多くの死者が出ていれば、ここまで早く関係を修復することは難しかったでしょう」
「…………」
「互いに遺恨を残すほどの血が流れなかった。それが幸いしたのかと」
「……それは確かにな」
皇帝も頷いた。
ウェストリア軍は大損害を受けた。
だが、その多くは負傷と装備の損失。
軍事行動を継続できなくなるには十分だったが。
国中に憎しみを残すほどの死者は出ていない。
「ヴィンセントが手加減したのか?」
「本人に聞いても分からぬでしょうな」
「……精神を乱されていたのだったな」
「はい」
「それで死者が少ないというのも、よく分からん男だ……」
皇帝はため息をついた。
そして。
改めて報告書を見る。
「しかし……」
「はい」
「ウェストリアが恐れておったのは、皇国との交易拡大ではなかったのか?」
「そのようです」
「それを防ぐために戦争を始め」
「はい」
「負けた結果」
「はい」
「交易を拡大することになった」
「……はい」
「…………」
皇帝は天井を見上げた。
「やはり、なんだったのだ?」
ノリスは答えなかった。




