番外編④
本編より長く……
皇宮・エルナ私室
ひと騒動の後。
エルナの私室では、改めてヴィンセントの新しい武器について話が続いていた。
ヴィンセントは当然のように、あの金色の鐘鎚を持ったままだった。
「ところで、ヴィンセント?」
「はい?」
エルナが鐘鎚へ視線を向ける。
「あなた、その鐘をずっと持ってらっしゃいますけれど……」
少し考えてから尋ねる。
「ずっと身体強化をしているのですか?」
「いえ?」
ヴィンセントは首を傾げた。
「身体強化は使ってないですよ?」
「…………」
「…………」
エルナとアイリスが顔を見合わせる。
「……まさか」
アイリスが恐る恐る口にする。
「それ、素の筋力ですの?」
「はい」
ヴィンセントはあっさり頷いた。
「ただ持ち上げて振るだけでしたら、なんの問題もありません」
「…………」
「…………」
二人の視線が、ヴィンセントの持つ鐘鎚へ向く。
そして。
「リゼット」
「はい!」
「ちょっと、それを持てるか試してもらえますか?」
「お任せください!」
リゼットが意気揚々と鐘鎚の柄を握る。
「では……」
力を込める。
「…………」
動かない。
「…………っ!」
さらに力を込める。
「む、無理です!」
「やはり……」
リゼットが唸る。
「身体強化を使って……!」
さらに力を込めた。
「……っ!」
「…………」
「…………」
しばらくして。
「あっ!」
鐘鎚がほんの少しだけ動いた。
「動きました!」
リゼットが嬉しそうに叫ぶ。
エルナとアイリスは、無言でヴィンセントを見る。
「…………」
「…………」
「……ヴィンセント」
「はい?」
「それならば……」
エルナが頭痛を堪えるように額へ手を当てる。
「手合わせの際も、身体強化を使う必要はないのではなくて?」
「あ!」
ヴィンセントが目を見開く。
「そうですね!」
納得したように頷く。
「今度からそうします」
「それがよろしいですわ」
「はい!」
ところが。
「えっ!?」
リゼットが声を上げた。
「身体強化を使ってくださらないのですか!?」
「…………」
「…………」
エルナとアイリスが同時にリゼットを見る。
「リゼット」
「はい!」
「黙ってなさい」
「はい……」
リゼットはしょんぼりと俯いた。
ヴィンセントだけが不思議そうに首を傾げる。
「でも、その方が安全ですよね?」
「ええ」
エルナは即答した。
「あなたにとっても、相手にとってもですわ」
「なるほど」
ヴィンセントは素直に頷いた。
「では、次からそうします」
その横でリゼットが小さく呟く。
「……身体強化したヴィンセント殿と戦い続けたかった……」
「リゼット」
「はい、黙ります!」
エルナの私室に、また静かな午後が戻った。
――ただし。
(ごーん……)
「…………」
金色の鐘だけは、相変わらず勝手に鳴っていた。
「ヴィンセント」
「はい?」
アイリスが、ふと思いついたように尋ねる。
「あなた、私を片手で持ち上げられます?」
「はい! 喜んで!」
「……いえ」
アイリスが苦笑する。
「可能かどうかを聞いているのですが……」
「はい!」
すでにヴィンセントは片手を差し出していた。
「…………」
アイリスはその手を見る。
「なぜもう手を出しているのですか……」
「試してみた方が早いかと思いまして」
「まあ、それもそうですわね」
アイリスがヴィンセントの手のひらへ足を乗せる。
「では……」
ヴィンセントがゆっくり手を持ち上げる。
ぐん、と。
アイリスの身体が持ち上がった。
「まあ……」
アイリスが目を丸くする。
「本当に持ち上がりましたわ」
ヴィンセントの手は微動だにしない。
まるで――
「……地面の上に立っているみたいですわ」
「そうですか?」
「ええ。びくともしませんわ」
アイリスが軽く足踏みしてみる。
それでもヴィンセントの手は揺れない。
「まあ……」
それを見ていたエルナも興味を持った。
「では、私も試してみましょうかしら」
「もちろんです」
ヴィンセントが空いているもう片方の手を差し出す。
エルナがその手のひらへ乗る。
「……」
こちらも、微動だにしない。
「本当に……」
エルナが足元を見る。
「まったく揺れませんわね」
「はい」
ヴィンセントは両手を水平に保ったまま立っている。
その両手の上に、皇女姉妹。
「…………」
「…………」
「…………」
部屋に妙な沈黙が落ちる。
傍から見れば――
金色の鐘を携えた規格外の騎士。
その両手の上に立つ二人の皇女。
なんとも言えない光景だった。
「……なんでしょう」
アイリスが周囲を見回す。
「なんだか、宗教画みたいですわね」
「奇遇ですわね」
エルナも真顔で頷く。
「私も今、まったく同じことを考えていましたわ」
「…………」
ヴィンセントが二人を見上げる。
「降ろしましょうか?」
「いえ」
アイリスが即答する。
「もう少しこのままでお願いします」
「かしこまりました」
ヴィンセントはそのまま立っている。
(ごーん……)
どこからともなく、鐘の音が響いた。
「…………」
「…………」
「…………」
エルナがぽつりと呟く。
「……余計に宗教画っぽくなりましたわね」
☆☆☆☆☆
「……これ」
エルナがふと呟いた。
「絵師に描かせませんこと?」
「え?」
アイリスが首を傾げる。
「この光景ですわ」
エルナは自分の足元を見る。
そして、もう一方の手の上に立つアイリスを見る。
「せっかくですもの。記念に残しておきましょう」
「まあ、それは良いですわね!」
アイリスも楽しそうに笑う。
「ヴィンセントは大丈夫ですの?」
「はい!」
ヴィンセントは平然としている。
「むしろ、何も乗っていないくらいです」
「…………」
「…………」
エルナとアイリスが無言になる。
「……つくづく」
エルナが呟く。
「どんな身体をしているんでしょうね、あなた……」
「普通だと思いますけど」
「それは絶対に違いますわ」
エルナは即答した。
そして部屋の入口へ向かって声を掛ける。
「侍女」
「はい」
「絵師を呼んできてもらえませんこと?」
「かしこまり――」
侍女が部屋へ入る。
そして。
「…………」
固まった。
「……どうしましたの?」
エルナが首を傾げる。
侍女の視線の先。
そこには――
ヴィンセントの両手の上に立つ皇女姉妹。
金色の鐘鎚を床に立て、横に立つ騎士。
なんとも神々しいような、意味不明なような光景。
「…………」
侍女の思考が止まっている。
アイリスが少し申し訳なさそうに言う。
「エルナお姉様……」
「なんですの?」
「流石に一度、降りた方がよろしいかと……」
「あら」
エルナも周囲を見回す。
「そうですわね」
「侍女がびっくりしてますわ」
「ええ。では――」
二人がヴィンセントの手から降りる。
ようやく侍女が復活した。
「……はっ!」
「では、絵師を呼んでまいります」
「ええ、お願いしますわ」
侍女が退出する。
そして――
「絵師が来るまで少し時間がありますわね」
エルナがふと思いつく。
「リゼット」
「はい!」
「あなた、ヴィンセントの手の上に乗って待ってなさい」
「えっ……」
リゼットの顔が固まる。
「わ、私がですか!?」
「ええ」
エルナは当然のように頷く。
「先ほどの二人だけでは、少々面白味がありませんもの」
「面白味……」
リゼットがヴィンセントを見る。
ヴィンセントはすでに手を差し出している。
「どうぞ!」
「…………」
「リゼット殿?」
「は、はい……!」
リゼットが恐る恐る手のひらに乗る。
ヴィンセントは微動だにしない。
「…………」
リゼットも次第に慣れてくる。
「……本当に安定していますね」
「そうですか?」
「はい」
そこへ。
「失礼いたします。絵師の――」
扉が開く。
「…………」
絵師が固まった。
視線の先には。
金色の鐘鎚を持ったヴィンセント。
その両手の上に立つ皇女姉妹――ではなく。
今はリゼットが立っている。
「…………」
「…………」
「…………」
絵師がゆっくり瞬きをする。
「……これは?」
「絵にしてくださいませ」
エルナが即答した。
「は、はい……!」
絵師は何も聞かなかった。
聞いてはいけない気がした。
_______
そして数日後。
完成した絵画が皇帝の執務室へ届けられた。
「陛下、こちらを……」
「うむ?」
皇帝が絵を見る。
「…………」
そこには。
金色の鐘鎚を横に立つヴィンセント。
その両手の上に立つ、エルナとアイリス。
神々しい光景。
背景には皇宮。
妙に荘厳な構図。
「…………」
皇帝が絵を持ったまま固まる。
「…………なんじゃ、これは……」
ノリスも横から覗き込む。
「…………」
「ノリス」
「はい」
「余は……」
皇帝が絵を指差す。
「こんな光景を見た覚えはないぞ」
「……私もございません」
「そもそも、なぜ二人がヴィンセントの手の上に立っておる」
「私に聞かれましても……」
そして絵の端には。
後から追加されたリゼットの姿まで描かれていた。
「…………」
皇帝はしばらく絵を眺め。
「……これ、何の宗教画だ?」
誰も答えられなかった。
■
訓練場。
(ごーん……)
ヴィンセントが鐘鎚を軽く振る。
(ごーん……)
また鐘の音が響く。
ヴィンセントは武器を眺めながら、少し考え込んだ。
「これ……かなり戦場で目立つことになりますね……」
「ええ……まあ……」
エルナもなんとも言えない顔で頷く。
(ごーん……)
「……」
また鳴った。
「ですが」
ヴィンセントが少し考える。
「この音を聞いたら、相手が怖がって引き上げてくれたりしませんかね?」
「おそらく……そうなりますわね」
アイリスも苦笑する。
「というより――」
エルナが鐘鎚を見る。
「教会の鐘の音が聞こえただけでも、不届き者は怖がるようになると思いますわ……」
「なるほど」
ヴィンセントが頷く。
「それなら、目立つのも悪いことばかりではありませんね」
「ええ」
アイリスが微笑む。
「戦う前に帰っていただけるなら、それが一番ですもの」
「では、良い武器ですね」
「そうですわね」
(ごーん……)
「…………」
三人が鐘鎚を見る。
エルナがぽつり。
「……ただ、その音が聞こえるだけで敵が逃げるようになったら、少々面白いことになりそうですわね」
「ええ」
アイリスが楽しそうに笑う。
「『鐘が鳴ったら撤退』が西方の常識になったりして」
「それはそれで便利ですね」
「便利で済ませてよろしいんですの!?」
――金色の鐘は、また小さく鳴った。
(ごーん……)




