惨敗
隔離区画。
登り網のように組まれた木壁。
その一角。
血と土と砕けた石にまみれた狭い空間で、ジシレは呼吸を乱していた。
耳鳴りが酷い。
どこかで誰かが叫んでいる。
だが、もう言葉として聞き取れない。
音。
衝撃。
悲鳴。
骨が砕ける音。
それだけが断片的に頭へ入り込んでくる。
「ぐっ……!」
横にいた兵士の頭部が砕ける。
黒い球体。
オーガ鉱石。
回転しながら飛来したそれが、兜ごと顔面を潰した。
赤黒いものが散る。
ジシレの頬に温かい液体が飛び散った。
「っ……!」
吐きそうになる。
だが、その前へ。
巨体が立つ。
聖十三字軍軍団長。
全身鎧。
だがもう、その鎧は原型を保っていなかった。
肩が陥没している。
胸部装甲はひしゃげ、脚甲には亀裂。
それでも男は立っていた。
まるで。
“倒れることを忘れた壁”のように。
「魔法は使えるかァ!!」
怒鳴り声。
ジシレの肩が跳ねる。
「え……」
「使えるのかと聞いている!!」
黒い球体が飛来。
軍団長が盾で受ける。
鈍い音。
盾が歪む。
腕ごと持っていかれそうな衝撃。
それでも男は踏み込んで耐えた。
「……っ、範囲指定とか、精密制御とか、そういうのを無視すれば……!」
「威力だけなら……!」
「A級相当は……!」
その瞬間。
軍団長の目が変わる。
希望ではない。
“使える”
その一点だけを確認した戦場の目。
「なら後方だ!!」
怒鳴る。
「聖女様側へ抜ける通路を塞いでいる盾兵を吹き飛ばせ!!」
「血路を作れ!!」
また投石。
今度は鎧へ直撃。
鈍い。
嫌な音。
軍団長の身体がわずかによろめく。
だが倒れない。
「お前たちィ!!」
周囲の兵へ怒鳴る。
「ジシレ殿を守れ!!」
「命に代えても詠唱を通せ!!」
「道を開くぞ!!」
「おおおおおおおッ!!」
兵たちが吠える。
半壊した盾を構える。
脚を引きずりながら前へ出る。
その姿に、ジシレの喉が震えた。
(無理だ)
思ってしまう。
(こんなの無理)
死ぬ。
その感覚が近すぎた。
冒険者として危険は見てきた。
魔物とも戦った。
人も死んだ。
だが。
これは違う。
戦場そのものが、自分たちを殺しに来ている。
音速のような風切り。
耳元を黒い弾が通り抜ける。
直後。
腕。
衝撃。
「ぁっ……!」
熱い。
見る。
血。
腕が裂けている。
次。
膝。
太腿。
衝撃。
骨の奥まで響く。
怖い。
怖い怖い怖い。
逃げたい。
全部投げ出したい。
その時だった。
ふと。
昔の記憶がよぎる。
洞窟。
湿った岩肌。
巨大虫型魔物。
あの時。
討伐成功だと思った瞬間。
腹が裂けた。
中から。
小型虫が洪水みたいに溢れ出た。
囲まれた。
視界が黒く埋まった。
あの時も、怖かった。
泣きそうだった。
でも。
「落ち着いて!!」
チシャが叫んでいた。
支援魔法。
光。
身体が軽くなった。
コースイが前へ出た。
笑いながら。
「こういう時は前だけ見ろ!」
コーゲンが位置を叫ぶ。
「右上! そこだジシレ!!」
みんながいた。
だから撃てた。
酒場では散々その話を擦られた。
「虫見て腰抜かした魔法使い」
そう言われるたび、ジシレは本気で嫌がった。
でも。
今。
その記憶が、胸を支える。
(……帰ったら)
(また笑われるかな)
ふっと。
少しだけ。
笑いそうになる。
血だらけの戦場で。
そんなことを考えた。
「——っ、ぅぅ……!」
息を吸う。
肺が痛い。
でも。
杖は無い。
制御も甘い。
それでも。
魔力はある。
なら撃てる。
両手を前へ。
震える。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
「……」
魔力が集まる。
空気が歪む。
熱。
周囲の兵が顔をしかめる。
軍団長が叫ぶ。
「伏せろォォォォ!!」
詠唱。
完成。
次の瞬間。
轟音。
後方。
盾壁。
オーガ兵。
全部まとめて。
爆ぜた。
赤熱。
衝撃。
木壁が吹き飛ぶ。
盾が宙を舞う。
一直線。
道が開く。
「……や、った……」
成功した。
杖無しで。
ここまでの威力。
やれた。
生きて帰れる。
そう思った。
次の瞬間。
衝撃。
「ぇ——」
巨大な質量。
横から。
身体へ。
叩きつけられる。
潰れる。
肺。
喉。
空気が全部押し出される。
何が起きたのかわからない。
視界。
赤。
目の前。
鎧。
血。
聖十三字軍軍団長。
「あ……」
理解する。
倒れてきたのだ。
男が。
限界だった。
ずっと。
限界を超えて立っていた。
その重さ。
鎧。
屈強な肉体。
肩書。
責任。
全部まとめて。
細身のジシレの上へ落ちてくる。
重い。
あまりにも。
重すぎる。
「っ……ぁ……!」
呼吸できない。
軍団長の顔が近い。
血まみれだった。
片目が潰れている。
口から血を流している。
でも。
最後まで。
前を向いていた。
まるで。
倒れた後すら。
まだ兵を守ろうとしているみたいに。
その瞬間。
投石が止む。
静かになる。
不自然なほど。
ジシレは震える目で周囲を見る。
兵はいない。
動く者がいない。
みんな倒れている。
その中で。
ただ一人。
旗持ちだけが立っていた。
聖十三字軍の旗。
地面へ突き立て。
身体中から血を流しながら。
それでも旗を離さない。
立っている。
いや。
違う。
もう死んでいた。
死んだまま。
旗だけを支えていた。
風が吹く。
旗が揺れる。
血が滴る。
ジシレの目から涙が零れた。
恐怖か。
痛みか。
わからない。
ただ。
理解だけはできた。
これは戦争ではない。
“狩り”だ。
自分たちは。
いま。
殺される側なのだと。




