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惜敗

村の奥


コーゲンは、泥に沈みかけた身体を無理やり起こした。


足が痛む。


いや、痛みというより感覚が鈍い。


投石。


オーガ鉱石。


あの黒い硬質鉱石を、あの怪物どもは人間の投石器みたいに投げつけてくる。


骨が痛む。


鎧が潰れる。


それを“牽制”として扱っている。


常識が違う。


だが。


それでも。


コーゲンの目だけは死んでいなかった。


視線の先。


ヴォイド。


赤い巨体。


静かだった。


呼吸すら感じない。


戦場の中心にいるはずなのに、あまりにも静かだ。


まるで。


“戦闘中ではない”みたいに。


―――


その顔を見た瞬間。


コーゲンの脳裏に、ある光景が蘇る。


暗い石造りの地下。


血の臭い。


鉄。


汗。


怒号。


幼い頃の記憶。


「遅いぞコーゲン」


木剣を肩に担ぎ、笑う少年。


サタモ。


兄貴分。


同じ組織。


同じ暗殺者養成所。


物心ついた頃から一緒だった。


食事も。


訓練も。


殺し方も。


全部。


サタモが先に覚えた。


コーゲンはその背中を追い続けた。


隠匿魔法。


光魔法。


暗器。


潜入。


逃走。


暗殺。


サタモは何でも出来た。


依頼達成率は異常。


貴族。


裏組織。


他国。


どこからも指名された。


そして稼いだ金を、組織に流した。


子供たちが飢えないように。


訓練場が潰れないように。


「強くなれよ」


「俺みたいにな」


それが口癖だった。


だからコーゲンも必死だった。


兄貴みたいになりたかった。


兄貴に追いつきたかった。


―――


だが。


そのサタモが死んだ。


オーガリーダーに殺された。


王国から情報が来た時。


コーゲンは笑った。


信じなかった。


ありえないと思った。


サタモは完璧だった。


失敗しない。


逃げられる。


隠れられる。


殺せる。


それがサタモだった。


だから。


自分の目で確認しに行った。


現場。


盆地。


そこにはもう戦いの痕しか残っていなかった。


悲惨な光景。


サタモの生が信じられなくなる。


乾いた血。


焼け焦げた土。


崩れた岩。


そして墓。


十二。


十三。


少なすぎた。


王国の報告では百人規模の私兵が全滅したはずだった。


サタモも最後まで杖を構えて戦ったと。


だが。


死体がない。


コーゲンはその土地の埋葬係に聞いた。


返ってきた言葉は、今でも耳に焼き付いている。


「いやぁ……あれは酷かった」


「肉片とか、腕とか、半分になった身体とかを集めて埋めたんだけどさ」


「血の量に対して、遺骸が少なすぎた」


「しかも、変だった」


「皆、顔が狂ってた」


「最後まで恐怖見て死んだ顔だった」


コーゲンはサタモの似顔絵を見せた。


返事は即答だった。


「こんな顔の遺体は無かった」


その瞬間。


コーゲンの中で何かが決まった。


持ち帰った。


あるいは。


食った。


どちらでも同じだった。


許せなかった。


兄貴を。


憧れを。


そんな風に扱われたことが。


―――


そして今。


その相手が目の前にいる。


ヴォイド。


オーガリーダー。


あの時の化け物。


先ほどの言葉。


「最後にいたやつに似てる」


あれで確定した。


コイツだ。


兄貴を殺したのは。


―――


コーゲンはゆっくりと息を吐く。


短刀は落とした。


投石で弾かれた。


だが。


まだ終わっていない。


懐。


そこに短杖がある。


暗殺用ではない。


真正面から敵を焼き殺すための魔法媒体。


爆裂魔法。


暗殺者には向かない。


派手すぎる。


逃げ場がない。


だから封印していた。


だが。


ここだ。


今しかない。


ここで使わなければ、一生使わない。


―――


(殺せる)


コーゲンの呼吸が細くなる。


魔力を練る。


集中。


足はまだ動く。


一瞬。


一瞬だけでいい。


懐に入る。


杖を抜き、魔法を叩き込む。


爆裂。


至近距離。


相打ちでもいい。


兄貴の仇を。


―――


ヴォイドは静かにコーゲンを見ていた。


速い。


人間の中ではかなり。


だが。


直線的。


武器は失っている。


なのに懐に手を入れている。


口も動いている。


詠唱。


魔法。


危険。


なら。


詠唱前に潰す。


判断はそれだけだった。


怒りはない。


憎しみもない。


ただ。


戦場判断。


―――


コーゲンが地面を蹴った。


速い。


バフが乗っている。


空気を裂く。


普通の兵士なら視認すら出来ない速度。


「ぉおおおおおッ!!」


叫ぶ。


兄貴。


届く。


殺せる。


今度こそ。


―――


ヴォイドも動いた。


瞬間。


地面が爆ぜる。


速い。


違う。


コーゲンの加速は“技術”。


ヴォイドの加速は“質量”。


巨体がありえない速度で突っ込んでくる。


コーゲンの目が見開く。


(は——?)


理解より先。


衝撃。


タックル。


世界が横転する。


肺の空気が全部抜ける。


身体が浮く。


吹き飛ぶ。


地面。


木。


空。


全部が混ざる。


それでも。


コーゲンは短杖を掴もうとした。


詠唱。


まだ。


まだ間に合う。


口を開く。


その瞬間。


視界の横に。


ヴォイドがいた。


―――


並走していた。


吹き飛んでいる自分と。


同じ速度で。


地面を走って。


追いついていた。


意味が分からなかった。


人間は。


攻撃したら止まる。


踏み込む。


殴る。


終わる。


だが。


この怪物は。


吹き飛ばした相手に追いついてきた。


化け物。


理解が追いつかない。


―――


ヴォイドの視線が短杖を見る。


(それ)


(危険)


次の瞬間。


拳。


顎。


直撃。


―――


ゴキッ。


嫌な音。


視界が白くなる。


詠唱が途切れる。


魔力が散る。


爆裂魔法。


不発。


使わせてもらえなかった。


発動権そのものを奪われた。


―――


コーゲンの身体が地面を転がる。


泥。


血。


空。


全部がぼやける。


意識が沈む。


その最後。


脳裏に浮かんだのは怒りではなかった。


復讐でもない。


ただ。


兄貴だった。


(兄貴……)


(あんたは……)


(こんなのと戦ったのか……)


最後まで杖を構えて。


この怪物相手に。


―――


意識が落ちる。


完全な暗転。


―――


ヴォイドは倒れたコーゲンを見下ろした。


しばらく観察。


呼吸。


脈。


生存確認。


その後。


興味を失ったように視線を外す。


「……終わりか」


それだけだった。


そこに勝利の興奮はない。


復讐への感情もない。


ただ。


危険対象を排除した。


それだけ。


―――

追いついたナイザーとメント。

 

周囲のオーガ兵たちが静かに姿を現す。


投石を止めていた者。


盾を動かしていた者。


槍を構えていた者。


全員が統制されている。


ナイザーが短く言う。


「後方支援へ回れ」


「生きてる奴は捕縛」


「死体は丁重に運べ」


「あとで返す」


オーガ兵たちは頷く。


誰も興奮していない。


虐殺ではない。


戦争。


処理。


役割。


それだけだった。


―――


ヴォイドは村の奥へ歩き出す。


その背中を見ながら。


メントが小さく呟いた。


「……あれ、強かったな」


ヴォイドは少しだけ考え。


「…ああ」


とだけ答えた。


「…かなり速かった」


それだけ言って。


再び前を向いた。


まるで。


それ以上語る必要すらないように。

サタモについては以前の『アングラ』をご覧ください。

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