海の思想
海。
灰色。
波が重い。
捕縛された船。
軋む音。
吊られた捕虜。
ヴァレリアは、歯を食いしばる。
「……船か?」
誰かが呟く。
違う。
帆がない。
煙もない。
なのに——速い。
波を裂く。
一直線。
まるで——“押されている”。
その正体が見えた瞬間。
ダークエルフの船員が、息を呑む。
小型船。
その後方。
空気が、歪んでいる。
風が——“噴き出している”。
暴風。
見えない力が、船を叩きつけるように前へ押す。
「……なんだありゃ」
船長の女ダークエルフが、目を細める。
だが——
理解した瞬間には、もう遅い。
「備えろっ!」
距離が、一気に詰まる。
減速もない。
そのまま——横付け。
衝撃。
波が跳ねる。
次の瞬間——
影が、飛ぶ。
一人。
軽く。
船へ。
着地。
船が揺れる。
ヴォイド。
遅れて——
ナイザー。
メント。
同じように。
跳躍。
着地。
三体。
それだけ。
だが——
空気が変わる。
ダークエルフの女船長が口を開く。
「……何者だ」
短く。
鋭い。
ヴォイドは答えない。
ただ——周囲を見る。
吊られた捕虜。
ヴァレリアと、目が合う。
一瞬。
それだけ。
船員たちが、武器に手をかける。
「侵入者だ!!」
誰かが叫ぶ。
空気が、一気に張り詰める。
開戦——
その寸前。
ヴォイドが、手を上げる。
止める。
それだけ。
だが——
誰も、動かない。
違和感。
女船長の眉が、わずかに動く。
(……なぜだ)
ただのオーガ。
三体。
それだけのはず。
だが——
動けない。
空気が、重い。
圧。
説明がつかない。
その時。
一人のダークエルフが、前に出る。
苛立ち。
「構うな!!」
踏み込む。
剣を抜く——
その瞬間。
——止まる。
動きが、凍る。
目が、見開かれる。
(……なぜ自分の身体が見えるんだ)
自分の首が、飛ぶ。
胴体が崩れる。
胸に、穴。
背後の仲間も。
船長も。
全員が——
“死んでいる”。
イメージ。
鮮明に。
現実よりも、はっきりと。
汗が、落ちる。
手が——震える。
一歩も、動けない。
それを皮切りに——
広がる。
同じものが。
全員の頭に。
自分が死ぬ。
全員が死ぬ。
何度も。
どう動いても。
どこに逃げても。
——助からない。
理解する。
これは戦いではない。
“結果”だ。
まだ起きていないだけの。
沈黙。
波の音だけが響く。
ヴォイドが、口を開く。
「……話し合おう」
静かに。
それだけ。
だが——
拒否できない。
船長が、ゆっくりと息を吐く。
そして——
剣から手を離す。
「……いいだろう」
低く。
だが、明確に。
「聞こう」
一歩、前へ。
ヴォイドと対峙する。
距離は十分。
だが——
意味がないと、理解している。
「貴様は……何だ」
問い。
ヴォイドは、少しだけ考える。
そして。
「……通りがかりだ」
短く。
ナイザーがわずかに目を細める。
メントが、息を吐く。
船長は——笑う。
わずかに。
「通りがかりが……これか」
視線が、船員へ流れる。
誰一人、動けない。
「で」
戻す。
「何をしに来た」
ヴォイド。
視線だけで、示す。
吊られた捕虜。
「…それ」
一言。
沈黙。
船長は、理解する。
そして——
わずかに目を細める。
「……人間側か、エルフ側か」
問いではない。
確認。
ヴォイドは否定しない。
船長は続ける。
「どちらにせよ——敵だ」
静かに。
確定。
空気が、再び張る。
だが——
先ほどとは違う。
恐怖ではない。
理。
船長は、言葉を選ぶ。
「我々には、我々の正義がある」
低く。
「奪われたものを、取り戻す」
一拍。
「その過程で——邪魔をするなら」
「排除する」
言い切る。
ヴォイドは聞く。
否定しない。
理解する。
その上で——
「……そうか」
短く。
そして。
一歩、踏み出す。
床が、鳴る。
全員の心臓が——跳ねる。
視線が、船長に刺さる。
「…知らん」
静寂。
完全な、選択の提示。
理ではない。
力でもない。
その両方。
船長は——
わずかに笑う。
苦く。
「……なるほど」
息を吐く。
「どちらでもないか」
自分たちの理。
それを、目の前で示されている。
沈黙。
そして——
手を上げる。
合図。
「強者に従う、か」
吊られていた捕虜が、降ろされる。
「今回は——引く」
明確に。
「だが」
目が鋭くなる。
「次はない」
ヴォイドは頷かない。
ただ——
動かない。
それが、答え。




