闇の思想
海。
灰色。
空も。
水面も。
境界が曖昧なまま、重く沈んでいる。
波が鈍い。
打ちつけるたびに、船体が軋む。
中型船。
板は裂け、傷だらけ。
帆は破れ、風を掴みきれない。
進んでいるのが不思議なほどだった。
隣にぴったりとつけるは立派な大型船。
その上——
縛られた者たち。
騎士。
手は後ろ。
膝は崩され。
誰一人、自由はない。
その中に——
一人。
ヴァレリア。
膝をついている。
剣はない。
鎧も剥がされている。
だが——背は落ちていない。
視線だけが、生きている。
海風が、髪を揺らす。
塩の匂い。
血の匂い。
混ざる。
足音。
板を踏む、乾いた音。
一定。
無駄がない。
現れる。
ダークエルフ。
黒い肌。
整った顔。
静かな美しさ。
だが——温度がない。
視線だけが、鋭い。
その中心。
一人。
長身。
動きが、わずかに違う。
洗練されすぎている。
目が、冷たい。
底がない。
ヴァレリアの懐に入っていた書状を読む。
ヴァレリアを見下ろす。
「……なるほど」
低く。
静かに響く。
「海を回ったか」
誰も答えない。
答える必要がないと、全員が理解している。
ヴァレリアは、睨む。
ダークエルフは気にしない。
一歩、近づく。
距離を詰める。
「貴様らは、学がない」
淡々と。
「ここは——我々の海だ」
沈黙。
波の音だけが残る。
そのまま、手を上げる。
合図。
一人の捕虜が引きずり出される。
抵抗はない。
できない。
ロープがかけられる。
柱へ。
吊られる。
身体が浮く。
だが——落とさない。
止める。
中途。
首にかかる負荷。
呼吸が潰れる。
ヴァレリアの目が動く。
(……違う)
処刑ではない。
“見せている”。
ダークエルフが口を開く。
「我々は、奪われた」
静かに。
だが——断定。
揺るぎがない。
「この世界樹が生まれる前」
一拍。
「この地にあったのは——黒の魔属石だ」
空気が、わずかに軋む。
見えない何かが、そこにあるように。
「我々は、そこから生まれた」
「そこに在り」
「そこを守ってきた」
時間を重ねる声。
「何代も」
視線が、遠くへ向く。
森の方向。
見えないはずの場所。
だが——確かに見ている。
「だが、後から来たエルフが」
わずかに。
声が低くなる。
「木を植えた」
「根を張らせた」
「我々の上に」
静寂。
「そして言った」
一拍。
「ここは自分たちのものだと」
風が強くなる。
帆が鳴る。
ヴァレリアの眉が、わずかに動く。
ダークエルフは続ける。
「ならば——取り戻す」
一歩。
「これは侵略ではない」
「回帰だ」
言葉に迷いはない。
「聖戦だ」
吊られた捕虜の身体が、わずかに揺れる。
呼吸が、削られていく。
「我々は、強きものに従う」
「理に従う」
静かに。
「勝つ者が——正しい」
視線が、ヴァレリアへ落ちる。
突き刺さる。
「貴様ら人間も、同じだろう?」
返答はない。
できない。
否定すれば、自分たちの歴史を否定する。
ダークエルフは、わずかに口角を上げる。
「だから——選ぶ」
指を鳴らす。
捕虜の身体が、さらに引き上げられる。
喉が締まる。
音が出ない。
「価値があるか」
「ないか」
一拍。
「使えるか」
「使えないか」
ヴァレリアの拳が、震える。
爪が食い込む。
「……やめろ」
低い。
絞り出すような声。
ダークエルフは見ない。
視線すら向けない。
「貴様らが守るという“世界”」
一歩。
さらに近づく。
距離が消える。
「我々にとっては——ただの異物だ」
一拍。
「だが」
わずかに目が細くなる。
「そこに、我々の聖域がある」
静かに。
「だから——奪い返す」
言い切る。
そこに迷いは、一切ない。
ヴァレリアを見る。
「さて」
一拍。
「聞こう」
声が、少しだけ低くなる。
「貴様は——どちら側だ?」
沈黙。
長い。
波の音だけが響く。
ヴァレリアの中で、何かが軋む。
王国。教義。任務。
そして——
あの盆地。
あの存在。
(……どちらだ)
答えが、出ない。
その時。
風が、変わる。
わずかに。
だが——確実に。
空。
遠く。
一点。
影。
小さい。
だが——速い。
一直線。
ダークエルフの見張りが目を見張る。
「……何か来る!」
警戒の声を張り上げる。
全員が気づく。
ざわめきが、広がる。
ヴァレリアも見る。
目を細める。
(……速い)
異常な速度。
船の上の全員が、無意識に息を止める。
近づく。
空気が、震え始める。
まだ——見えない。
だが。
全員が理解する。
“普通ではない”




