閑話:ツツジ旅立つ9
ヤトノとツツジ。
二人は。
互いに一歩も動かず。
ただ。
見つめ合っていた。
ヤトノは。
目の前のオーガを観察していた。
大きい。
自分よりも。
身体そのものが大きい。
しかし。
それだけではない。
立ち方。
呼吸。
視線。
重心。
全てが妙に静かだった。
ヤトノは。
自分でも気づかないうちに。
身体へ力を込めていた。
翼が僅かに開く。
漆黒の鱗の隙間へ。
魔力が流れ込む。
筋肉が硬くなる。
いつでも飛び出せるように。
いつでも攻撃できるように。
全身を戦闘態勢へ移行させる。
だが。
ツツジは動かない。
ただ。
こちらを見ている。
ヤトノは。
その視線から逃げなかった。
「……一つ聞きたい」
ツツジは黙っている。
「お前は」
「あの映像のオーガを知っているのか?」
ツツジの目が。
僅かに細くなる。
「ヴォイド様のことか」
「ヴォイド」
その名前を聞いた瞬間。
ヤトノの心臓が跳ねた。
「知っているのか」
「当然だ」
ツツジは。
静かに答えた。
「ヴォイド様は我らの王だ」
「私はそのヴォイド様の功績を」
「そして」
「その素晴らしさを」
「世界へ伝えるために旅をしている」
ヤトノの目が輝いた。
「王……」
「そうか」
「なら」
ヤトノは。
拳を握った。
「そいつに会わせてくれ」
「なぜだ」
「決まっている」
ヤトノは。
真剣な顔で言った。
「そいつをつがいにする」
「……」
ツツジが。
初めて少しだけ眉を動かした。
「つがい?」
「そうだ」
「そいつほどの強者なら」
「竜神家の全員を相手にしても勝てるかもしれない」
「そして」
「そいつに全権を渡せば」
「私は自由になれる」
ヤトノは。
自信満々だった。
ツツジは。
しばらくヤトノを見つめた。
そして。
小さく息を吐いた。
「……分かった」
「会わせてやろう」
「本当か!」
ツツジは。
ヤトノへ背を向けた。
「ついてこい」
「……」
ヤトノは。
その背中を見つめた。
そして。
すぐには動かなかった。
「待て」
ツツジが振り返る。
「…何だ」
「お前」
ヤトノは。
改めてツツジを見る。
「かなりの手練れだな」
ツツジは。
答えない。
「オーガという種族」
「どれほどの強さなのか」
ヤトノの口元が。
僅かに笑った。
「俺に見せてくれないか」
「……」
ツツジは。
深いため息をついた。
「……面倒なことになった」
そして。
腰に差していた武器を。
地面へ放り投げた。
カラン。
乾いた音が響く。
「……では」
「少しだけだ」
ツツジが。
構えた。
拳を軽く握る。
足を僅かに開く。
力が入っているようには見えない。
むしろ。
隙だらけだった。
ヤトノは。
その姿を見て。
笑った。
「舐めているのか?」
返事はない。
ヤトノは。
さらに魔力を高めた。
全身の筋肉が膨れ上がる。
翼へ魔力を集中させる。
漆黒の鱗が。
魔力を帯びて淡く輝く。
自分は強い。
竜神家の中でも。
自分は上位だ。
幼い頃から。
そう言われてきた。
そして。
今まで。
その言葉を疑ったことはなかった。
「行くぞ」
ヤトノが。
腰を落とす。
次の瞬間。
ツツジが。
歩き始めた。
一歩。
ただ。
歩く。
二歩。
また。
歩く。
ヤトノは。
動かなかった。
三歩。
四歩。
ツツジが近づいてくる。
ヤトノは。
動こうとした。
しかし。
身体が動かない。
なぜだ。
攻撃すればいい。
飛び退けばいい。
翼を広げればいい。
何でもできる。
なのに。
動けない。
ツツジの目が。
自分を見ている。
その視線だけで。
身体が。
動くことを拒んでいる。
ヤトノの間合いへ。
ツツジが入った。
それでも。
ヤトノは動けない。
「な……」
ヤトノの喉から。
声が漏れた。
ツツジの身体から。
何かが揺らめいている。
殺気ではない。
威圧でもない。
ただ。
強者だけが持つ。
圧倒的な存在感。
ヤトノは。
その中にいた。
そして。
理解した。
動いたら。
負ける。
そんな理屈ではない。
本能が。
そう告げている。
動けば。
殺される。
ヤトノの身体が。
そう判断してしまっている。
「……嘘だろ」
ツツジが。
ゆっくりと拳を引いた。
ヤトノの目が。
その拳を追う。
だが。
身体は動かない。
次の瞬間。
拳が。
顎へ入った。
ドン。
それだけだった。
派手な音すらしない。
ヤトノの身体が。
宙へ浮いた。
漆黒の鱗が陽光を反射する。
そのまま。
地面へ落ちた。
ドサッ。
静寂。
ヤトノは。
目を開けたまま。
意識を失っていた。
ツツジは。
倒れたヤトノを見下ろす。
そして。
何事もなかったように言った。
「手加減はしています」
「数刻もすれば目を覚ますでしょう」
周囲にいた人間達は。
誰も声を出せなかった。
先ほどまで。
S級のドラゴノイド。
そう呼ばれていた存在が。
一撃で。
沈んだ。
そして。
その本人だけが。
地面に横たわりながら。
意識の底で。
何度も同じ言葉を繰り返していた。
強い。
俺は。
強いはずだった。
竜人の里で。
俺は。
強者だった。
なのに。
上には。
上がいる。
その事実を。
ヤトノは。
生まれて初めて知った。




