閑話:ツツジ旅立つ5
月明かり。
二体のオーガが静かに向かい合う。
帰らずの森。
風が草木を揺らす。
はぐれオーガは折れた右腕をぶら下げながらも笑っていた。
「ハヤイ……」
「デモ……」
「オデノ……オーガ拳」
「マケナイ」
ツツジは槍から手を離す。
ゆっくりと。
拳を握った。
「なら」
「私も拳で答えよう」
はぐれオーガが笑う。
「オマエモ……オーガ拳!」
地面が砕ける。
一歩。
二歩。
三歩。
巨体が一直線に迫る。
拳が唸る。
狙いは顎。
喉。
膝。
人を壊すためだけに磨かれた拳。
ツツジは半歩だけ動いた。
紙一重。
拳が頬を掠める。
続く拳。
その拳へ。
そっと掌を添える。
流す。
拳は空を切った。
「なっ……」
体勢が崩れる。
ツツジは静かに呟く。
「悪くない」
「人間相手なら脅威だった」
「昔の私でも苦戦したかもしれない」
はぐれオーガが牙を剥く。
「ダロウ!」
「オデハサイキョウ!」
ツツジは首を横へ振る。
「違う」
「今のオーガ国では」
「その程度の力では」
「こどもうちでも最下位だ」
その言葉に。
はぐれオーガの顔が歪む。
「ウソダ!」
「オデガ!」
「サイキョウダ!」
拳が振るわれる。
ツツジは避ける。
流す。
受ける。
いなす。
一切反撃しない。
静かに。
その拳だけを見続ける。
「一点へ力を集める」
「急所だけを狙う」
「なるほど」
「これがお前の技」
はぐれオーガは誇らしげに胸を張る。
「シュギョウシタ!」
「ヒトリデ!」
「ツヨクナッタ!」
ツツジは静かに目を閉じた。
「強さとは」
「何だろう…」
ヴォイドの背中が脳裏に浮かぶ。
飢えた仲間へ食料を分けた姿。
武器を配った姿。
弱い者を守った姿。
誰より前へ立ち。
誰より後ろを気に掛けた姿。
ツツジは小さく息を吐く。
「強さとは」
「守る力」
「仲間を信じる力」
「己を律する力」
「そして」
「背負う覚悟」
「ヴォイド様が」
「私達へ教えてくださったもの」
静かに拳を構える。
はぐれオーガは雄叫びを上げた。
「オーガァ…ふー…ふー…けぇぇん!!」
全力。
一直線。
渾身。
その拳を。
ツツジは真正面から迎え撃つ。
ドゴォォン!!
拳が交差する。
鈍い音。
次の瞬間。
はぐれオーガの右腕があり得ない方向へ曲がった。
尺骨。
橈骨。
同時に砕ける。
「ガァァァッ!!」
それでも。
はぐれオーガは倒れない。
折れた腕を抱えながら。
なお拳を構えた。
脚は震え。
肩で息をしている。
それでも。
逃げようとはしない。
オーガだった。
戦いからだけは。
逃げない。
ツツジはその姿を見て。
静かに頷いた。
「最後まで戦う」
「その一点だけは」
「オーガらしい」
ゆっくりと。
一本目の指を折る。
「一つ」
「オーガの名を汚した」
二本目。
「二つ」
「オーガの評判を地に落とした」
三本目。
「三つ」
「ヴォイド様を侮辱した」
最後。
小指を折る。
「四つ」
「私を怒らせた」
静寂。
ツツジは拳を握る。
「お前の拳は」
「一点を砕く拳」
「なら私は」
「全てを砕く」
一歩。
姿が消えた。
「……ッ!?」
一撃。
胸。
二撃。
肩。
三撃。
肘。
四撃。
膝。
五撃。
肋。
六撃。
背。
七撃。
腰。
八撃。
顎。
そこから先は。
誰にも数えられなかった。
拳。
拳。
拳。
拳。
嵐。
豪雨。
雷鳴。
一撃ごとに。
骨が砕ける音だけが森へ響く。
二百六発。
オーガの体の骨。
一本につき。
一撃。
最後の一歩。
ツツジは腰を沈める。
静かに。
渾身の拳を放つ。
ドォォォォォォン!!
巨体が夜空へ吹き飛ぶ。
木々を薙ぎ倒し。
岩を砕き。
月明かりの下で大きく跳ねる。
着地。
ドサリ。
はぐれオーガは立とうとした。
「オ……デ……」
腕が動かない。
脚が動かない。
全身に細かな亀裂が走る。
膝から崩れ落ちた。
ツツジは静かに拳を下ろす。
「……オーガの名を汚す者には」
「粛清を」
はぐれオーガは何かを言おうと口を開く。
「オ……」
「オデ……は……」
その言葉の続きを。
聞く者は誰もいなかった。
二つの月だけが。
静かに帰らずの森を照らしていた。




