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誘い誘われ

北砂漠。


それは、地図の上では一本の帯でしかない。


だが。


実際は違う。


山を越えた先。


さらに北。


乾いた死の海。


昼は焼ける。


夜は凍る。


砂嵐。


流砂。


魔物。


そして。


水がない。


どれだけ強かろうと、

どれだけ名を上げようと。


準備を間違えれば死ぬ。


それが北砂漠だった。


ヴォイド国。


会議部屋。


丸太机へ、北砂漠の簡易地図が広げられている。


ディスナイズが指を動かした。


「ここから中央山脈」


「その後、寒冷高原地帯」


「さらに北砂漠です」


若いオーガ兵が顔をしかめる。


「遠すぎねぇか……?」


ニズムが頷いた。


「普通の国家なら、まず交易路を維持できません」


「だからこそ、スパイダーウェブは特殊なんです」


リナイズが笑いながら言う。


「生きて辿り着くだけで、一種の資格だからねぇ」


別のオーガが首を傾げた。


「馬とか使えねぇのか?」


「荷物持ちとか」


その瞬間。


三智将が揃って首を振った。


「無理です」


ディスナイズが続ける。


「砂へ足を取られます」


「さらに、砂下生物に狙われる」


「水消費も激しい」


「結果、荷物か食料になります」


若いオーガ達が嫌そうな顔をした。


「クソ地形だな……」


ニズムが静かに言う。


「だからこそ、渡り方に流派があります」


「飛行型魔物で越える者」


「疾走型で一気に抜ける者」


「野宿を繰り返し、少しずつ進む者」


「魔術で水を確保する者」


「砂へ潜る種族と契約する者」


リナイズが肩を竦める。


「あと、死ぬ奴」


空気が静まる。


メントが腕を組んだ。


「成功率は」


ディスナイズが答える。


「熟練者でも八割」


若いオーガ達が固まった。


「……は?」


「いや待て」


「二割死ぬのか?」


ニズムが頷く。


「十回に二回は帰れません」


「それで、“プロ”です」


沈黙。


その空気の中。


例の使者二人は、ようやく治療を受け終えていた。


背中。


焼印。


皮膚は爛れている。


ノゲシが薬を塗っていた。


獣人の男が、苦笑しながら言う。


「悪いな」


「高い薬だろ」


ノゲシは無表情で返す。


「別に」


だが。


塗る手は少し乱暴だった。


男は笑う。


「はは……」


「怒ってる?」


ノゲシは少し黙る。


そして。


「……嫌い」


短く言った。


男は目を細める。


「そりゃそうだ」


「でもな」


「これでも、向こうじゃマシなんだ」


若いオーガ兵が睨む。


「どこがだ」


人間の使者が、静かに答えた。


「家族が生きる」


「それだけで、十分だからだ」


空気が重くなる。


そこへ。


リナイズが、別の羊皮紙を机へ置いた。


「スパイダーウェブの追加情報です」


「金で買いました」


若いオーガ兵が驚く。


「もう手に入れたのか!?」


リナイズが笑う。


「情報は速さですよ?」


羊皮紙。


そこには。


大量の文字。


賭場。


商会。


奴隷市。


債務記録。


暗殺依頼。


裏競売。


国家間融資。


若いオーガ兵達が頭を抱える。


「訳わかんねぇ……」


ニズムが説明した。


「スパイダーウェブでは、情報も商品です」


「冒険者は情報を売る」


「商人は情報を買う」


「国家も買う」


「真実かどうかは、金額次第です」


メントが低く呟く。


「ほんっとおうに…クソみてぇな場所だな」


だが。


ディスナイズは否定しなかった。


「しかし、だからこそ栄えている」


「世界中の金が集まる」


「大きな国の国家予算数年分の金貨が、一晩で動くこともあります」


若いオーガ兵が口を開ける。


「意味わかんねぇ……」


リナイズが笑う。


「大金持ちが、朝には奴隷」


「奴隷が、夜には貴族」


「普通にあります」


「だから皆、夢を見る」


ニズムが静かに続けた。


「大きな金は、持つ者を崩す」


「だから流れる」


「持つ者から、持たざる者へ」


「そしてまた逆へ」


「金そのものが、生き物みたいな国です」


遠く。


工事音。


丸太を打つ音が響く。


その中。


使者の獣人が、ぽつりと言った。


「俺は元冒険者だ」


「魔物素材を持ち込んだ」


「だが買い叩かれた」


若いオーガが眉を寄せる。


「ギルド行けばいいだろ」


男は苦笑した。


「砂漠越え往復の金」


「水」


「護衛」


「時間」


「全部計算すると、ここで売るしかねぇんだ」


「足元見られる」


「でも売る」


「生きるためだ」


静寂。


ヴォイドは黙って聞いていた。


すると。


人間の使者が、震える声で言う。


「でも……」


「スパイダーウェブは、終わった国じゃない」


「夢がある」


「本当に」


「一発で変わる奴がいる」


「借金まみれから、一夜で億万長者になる奴もいる」


「逆もある」


「だから皆、やめられない」


リナイズが笑った。


「なるほど」


「賭場っていうより、巨大な熱病ですねぇ」


ディスナイズが地図を見る。


「問題は」


「我々が、その国へ行く価値があるか」


その瞬間。


ヴォイドが口を開いた。


「……ある」


全員がそちらを見る。


ヴォイドは短く続けた。


「……こいって言ってる」


「……なら行く」


シンプルだった。


だが。


オーガ達は静かに頷く。


それで十分だった。


その夜。


北砂漠の向こう。


無数の灯りが輝く巨大都市。


スパイダーウェブ。


歓声。


怒号。


悲鳴。


笑い。


泣き声。


金貨の音。


そこでは今夜も。


人生が賭けられていた。


巨大賭場。


最上階。


紫煙の中。


マダム・ドーメック=グランチョが、

静かに帳簿を閉じる。


側近が頭を下げた。


「本日分利益です」


帳簿には国家予算の2倍はあろうかという金貨が

記されている。


だが。


マダムは興味なさそうだった。


「で?」


「オーガ達の様子は?」


側近が答える。


「向こうは動き始めました」


「もういくつかの情報が流れているとのこと」


マダムが笑う。


「良いわぁ……」


「強い奴は、動きが速い」


窓の外。


賭場の灯り。


そこには。


欲望そのものみたいな街が、広がっていた。

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