第9話 お引き取りください
「ふざけるな! 私の話を聞け、ハイナ!」
完全に無視された屈辱で理性を飛ばしたマーチャーシュ王子が、私の腕を乱暴に掴もうと手を伸ばした。
だが、その手は私には届かなかった。
「そこまでだ」
低い声と共に銀の光が走り、ファルカシュの剣が王子の手首寸前でぴたりと止まる。少しでも動けば皮膚が裂ける、本物の殺気だ。
「き、貴様、私に剣を向けるのか! 鍋と私、どちらが優先だ!」
「今は鍋です」
一切の迷いのない即答だった。
「ふざけるな……!」
王子が一歩踏み出そうとした瞬間、今度は青白い魔力の鎖が彼の足元に絡みついた。
「動かない方がいいよ、殿下。いま君の周囲に転倒防止用の拘束術式を展開している。無理に動けば鼻から転ぶよ」
「私を縛るのか!」
「安全確保だ。ハイナ嬢のコンソメスープのね。君の存在は、繊細な火加減を濁らせる要因なんだ」
「私が濁りだと!?」
そこへ、大柄な料理長ベルナートが城門のように立ちはだかる。
「殿下。この鍋にはお嬢様の執念が詰まっております。それを濁らせる者は、たとえ王子殿下であろうと厨房の敵です」
「私が……厨房の敵……?」
「殿下、これ以上騒がれますと、床掃除を終えたポルカちゃんにも迷惑でございます」
エルジェがにっこりと笑ったその足元で、ポルカ一号機がこつこつとやって来て、王子の靴を汚物のようにくるりと避けて方向転換した。
「木箱にまで避けられた……!」
誰も自分に跪かない。それどころか、全員が完全に私の防衛に回っている。
その事実が、王子の薄っぺらいプライドを容赦なく削り取っていた。
▲▽▲▽▲▽▲▽
一方の私は、鍋の火加減に全集中していた。
「……よし。ベルナート、味見を」
レードルで透き通る黄金色のスープをすくい、器に注ぐ。
一口飲んだベルナートは、静かに泣いた。
「鶏の旨味が深く、野菜が甘いのに重くない……全てが澄んでおります。これはスープではありません、魂の湯でございます……!」
「急に宗教になったわね」
私も一口飲む。
……合格。舌の上に広がる深い旨味が、体に染み渡っていく。
「解析のために一口」
「スープは液体だから危険だ、毒見を」
「旨味の層を観測したい」
「それは騎士の責務だ」
横でハイスペック男子たちが醜い争いを始めたが、一旦放置する。
「お前たち……私を無視して、スープの話ばかり……!」
拘束術式の中で震える王子に、私はようやく視線を向けた。
「まだいらしたのですか。用件は終わったのでは?」
「終わっていない! 私はお前を迎えに来たのだ! 反省するなら許してやっても――」
「頼んでいません」
「お前は私の婚約者だった!」
「過去形です」
「私に尽くしていた!」
「黒歴史です」
「私を愛していた!」
「頭を打って治りました」
私の容赦ない即答の連打に、ゾルターンが吹き出し、ファルカシュが口元を引き結んだ。
「な、なぜそこまで私を拒む!? 私の姿を見るだけで顔を赤くし、嫉妬で震えていたではないか!」
「ええ。思い出すと、排水溝に詰まった髪の毛くらい厄介な執着でしたわ。でも、詰まりは無事に取れましたのでご安心を」
「私への愛を排水溝の詰まりに例えるな!」
私は深くため息をつき、まっすぐ王子を見据えた。
「殿下。私はようやく自由になったのです。誰に選ばれるかではなく、自分のために浴室を直し、料理を作り、掃除道具を作り、椅子で公爵を溶かす今の生活の方が、ずっと好きです」
「最後が急におかしい」とゾルターンが呟くが無視する。
「そんなもの認めない! 認めないと言っている!」
「殿下が認める必要はありませんわ」
私はレードルを置き、手を拭いて背筋を伸ばした。
かつて婚約破棄を受け入れた時と同じ、誰のためでもない自分の意思で言い放つ。
「帰れっ!!!」
厨房の空気が震えた。
「ここは私の快適な生活を作るための場所です。殿下の自尊心を修理する工房ではありません。それに、修理するには構造的欠陥が多すぎますわね」
「ハイナ……!」
「お引き取りください。そして二度と、私の生活を濁らせないでください」
完全に拒絶されたことを理解した王子は、屈辱と焦りが入り混じった顔で歯を食いしばった。
「社交界はお前を笑うぞ! 王家を敵に回すことになる!」
「王家が欠陥バルブより面倒なら、分解方法を考えますわ」
「国家制度まで生活改善の対象に入ったぞ」とゾルターンが感動しているが、入れていない。
ファルカシュが冷酷に一歩踏み出し、ゾルターンが転倒防止術式をスタンバイし、エルジェが流れるような所作で扉を開ける。
「覚えていろ、ハイナ……!」
「忘れますわ」
「忘れるな!」
「努力いたしますわ。殿下」
捨て台詞すら粉砕された王子は、入ってきた時の傲慢さが嘘のように、無惨に厨房から叩き出されていった。
「……お嬢様。スープはご無事です」
「それが何よりね。さあ、仕上げましょう」
王子の襲来など、背景のノイズに過ぎない。厨房は再び、美味しい香りに満たされた。
▲▽▲▽▲▽▲▽
その日の夕食は、自家製生パスタの究極のコンソメ仕立てだった。
小麦の香りと卵のコクがあるもちもちのパスタに、澄み切った黄金色のスープが絡む。
「美味い。戦の後に飲んだら兵が黙る」とファルカシュ。
「最小構成で最大効果を発揮する古代魔法陣のようだ」とゾルターン。
「本日を第二の誕生日とします!」と泣くベルナート。
エルジェも頬を押さえて幸福そうにパスタをすする。
私も一口食べ、その完璧な味に頷いた。
「今日も最高ね」
王子が来て、騒いで、追い出された。普通なら一日が台無しになる出来事だが、今の私にとっては「美味しいコンソメスープができた最高の日」でしかない。
食後、私は作業部屋で新しい図面を引いていた。
「お嬢様、これは?」
「足を伸ばして入れる、広くて温かくて、心の底から溶けられる入浴設備(お風呂)よ」
「また大きな計画が始まる予感がいたします……」
「ただ、保温と浄化の魔石の組み合わせを検証しないとね」
「魔の山に良質な耐熱魔石がある」とファルカシュ。
「危険だから一般の採掘隊は入らないがね」とゾルターン。
「じゃあ、そこに行きましょう!」
私の即決に、エルジェが悲鳴を上げた。
「危険と聞いて即決なさいましたか!? 魔物もおりますのよ!」
「ファルカシュ卿とゾルターン様がいるから平気よ。それに、耐熱魔石の方が王子よりずっと有益ですもの」
「王子殿下、耐熱魔石に負けました」
「勝てる要素がない」「同感だ」と男たちが真顔で頷く。
熱湯と氷水のシャワーを直し、焦げ付くフライパンを改良し、掃除魔道具を作り、腹黒公爵と契約し……そして、ポンコツ王子を完膚なきまでに叩き出した。
「さあ、行きましょう! 究極のスパリゾートを作るために!」
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