第2話 最悪な水回りとの戦い
王宮から屋敷へ戻る馬車の中で、ハイナは真剣な顔で告げた。
「欠陥バルブを許さない」
婚約破棄されたばかりの令嬢が口にする言葉ではない。向かいに座る侍女のエルジェが青ざめるのも無理はなかった。
「お嬢様、やはり頭を強く打たれたのでは……」
「エルジェ。屋敷に戻ったら、まず浴室へ行くわ」
「浴室?」
「戦場よ」
「戦場!? どちらの軍勢と戦われるおつもりで!?」
「熱湯と氷水」
「水!?」
前世の記憶(日本の素晴らしい水回り)を取り戻した私にとって、あの欠陥シャワーは人類の尊厳に関わる問題だ。恋愛なんかより、まず水回りである。
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屋敷に戻るなり、私は自室へ直行した。
「お嬢様、まずは旦那様へご報告を――」
「あとで」
「せめてお召し替えを! そのドレスは王宮用の――」
「今やる」
私は机の裁ち鋏を手に取り、ドレスの脇腹に迷いなく刃を入れた。
ジョキン。
「きゃあああああああ!? 金貨百枚の特注ドレスがぁぁ!」
「可動域を殺し、呼吸を妨げる欠陥品よ。吸水性は良さそうだから残りは雑巾にするわ」
「ドレスを雑巾に!?」
エルジェの悲鳴をBGMに、私は動きやすい室内着へ着替え、髪を結んだ。
呼吸ができるって素晴らしい。
「行くわよ、エルジェ」
「どちらへ……?」
「浴室。今夜、私は人類の尊厳を取り戻す」
片手には愛用の工具箱。恋に狂っていた時分から、なぜか私の部屋にはドライバーやレンチが揃っていた。DIYの素質は十分だ。
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コヴァーチ家の浴室。
優雅な石造りの壁に、魔石を組み込んだシャワー設備がある。
「問題はこの魔導噴水調整弁よ。少し捻ればぬるま湯、もう少し捻れば熱湯。慌てて冷水を足せば氷水」
「皆様、気合で避けておられます」
「毎秒そんな根性試したくないわ」
私は手早く導刻調整筆で外装と取っ手を外した。
「ああっ、お嬢様が壊す!」
「壊すんじゃない。分解するの。愛よ」
「意味が分かりません!」
魔石ケースを取り出し、中身を確認する。
「やっぱりね。温水と冷水をただぶつけてるだけ。温度を監視する仕組みがない」
私は工具箱から、宝飾用の『感応石』を取り出した。温度変化に反応して魔力波長が変わる石だ。
「これを中継させて、温度が高すぎたら火魔石の出力を絞る。低すぎたら上げる。前世でいうサーモスタット式混合栓よ」
「さもすた???宝石を水回りに!?」
「美しいだけの石より、役に立つ石の方が偉いわ」
前世の知識と、今世の魔法技術を噛み合わせる。
回路を組み替え、調整弁を作る。
……すごく楽しい。王子に愛されようと必死だった時より、ずっと胸が躍る。
「よし、試運転するわ」
「爆発しませんように!」
「しないわよ。前世の叡智を信じなさい」
温水の取っ手を捻る。魔石が起動し、魔導噴水頭から水が出た。
指先を入れる。
冷水から、少しずつ温かくなり……。
「……来たわ」
熱すぎず、冷たすぎない。完璧な適温。
「成功よ、エルジェ!」
カチン。
「あ」
配管が震え、シャワーヘッドからとんでもない水圧の湯が噴き出した。
「きゃああああ!」
「ぐっ、圧力逃がし忘れてた!」
天井に当たった湯が浴室中に降り注ぐ。二人してずぶ濡れだ。
「お嬢様ぁ!」
「でも温度は安定してる! 水圧はあとで絞ればいいの!」
「私は今、びしょ濡れでございます!」
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その夜。
私は、この世界で初めて「まともなシャワー」を浴びた。
「……はあああ。これよ、これなのよ」
一定の温度で降り注ぐ優しい湯。熱湯に怯えることもない。
王子に捨てられたことなど、完全にどうでもよくなった。
「人類は……ここから始まるのね」
「浴室から人類史を始めないでくださいませ」
扉の向こうから、呆れたエルジェの声がする。
「明日からあなたも使っていいわよ。ただし使用後は水滴を拭くこと」
「……ありがとうございます、お嬢様」
エルジェの声は嬉しそうだ。
自分の手で不便を解体し、快適さを組み上げる。最高じゃないか。
だが、一つ快適になると、次の不快が気になり始める。
脳裏に蘇るのは、昨日のパサパサで焦げた魚料理。
「……次は、厨房ね」
「お嬢様? 今度は魚と戦うのですか?」
「違うわ」
私はシャワーを止め、にやりと笑った。
「魚を冒涜する調理器具(鉄鍋)と戦うのよ」
次なる敵は、焦げ付く鉄鍋。
目標は、完璧な魚のムニエルである。
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