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第16話 ツンデレ聖女の提案書

 コヴァーチ家の裏庭に設置された試験用の小型浴槽から、ふわりと白い湯気が立っていた。


「……温度は安定しているわね」

 小型加熱板と保温鉱石の調整により、湯温の維持は完璧に近い。だが、私の顔は険しかった。

「問題は水質よ。湯を循環させるなら、髪、皮脂、石鹸成分の汚れ対策は避けられない。現状の浄化石だけでは魔力消費が大きすぎて維持費が跳ね上がるわ」

「物理的に汚れを取り除く段階処理が必要だが、最適な配分が見えないね」

 観測盤を覗き込むゾルターンと頭を抱えていると、裏庭の門の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「通してくださる? わたくしは倒れていないわ!」

「ですが、かなり倒れそうなお姿で……!」

 門番を突破して現れたのは、トート・ビアンカだった。

 だが、いつもの真珠のような白いドレスではない。動きやすい簡素な実用服に作業用の靴、そして何より――その目の下には、くっきりと濃い隈が刻まれていた。


「ビアンカ様……寝ていませんね?」

「寝たわ。机に突っ伏して半刻(約1時間)くらい」

「それは寝たうちに入りません」とエルジェが悲鳴を上げる。

「倒れるぞ」とファルカシュが凄むが、ビアンカは悔しそうに唇を噛み、私に向かって分厚い紙束を突きつけてきた。


「これ。温泉の水質浄化回路の改良案よ」

「改良案?」

「勘違いしないでくださる? 別にあなたのために作ったわけじゃないわ。あなたの中途半端な浄化装置が、見ていられなかっただけよ!」


 私は紙束を受け取り、目を通した。そして、瞬時に顔つきが変わった。

 第一段階の沈殿槽。第二段階の浮上分離(油や泡の除去)。第三段階の多層濾過。そして第四段階の『聖水回路』で臭気と魔力残留を分解し、最後に浄化石で安定化させる。

 物理処理と魔法処理の完璧なハイブリッドだった。


「……すごいです」

「え?」

「油汚れと沈殿物を分けて濾過の負担を減らすだけでなく、魔力残留の分解位置まで計算されている。これなら大型浴槽でも実用化できます」

「……」

 ビアンカの顔が、ぽん、と赤くなった。

「とっ、当然よ! わたくしが考えたのだから!」

「ええ。これはビアンカ様にしか作れない案です。本当に素晴らしいわ!」

「だから! 褒めないでくださる!? 調子が狂うでしょう!」


 顔を真っ赤にして怒るビアンカの横から、ゾルターンが図面を覗き込んで叫んだ。

「素晴らしい! この聖水回路、浄化魔法を常時展開ではなく、水流の速度に合わせて脈動させる仕組みだね!?」

「そ、そうよ。水車式の検知羽根を入れて、湯が速く流れるほど浄化魔法の拍を早めるのよ」

「自動制御……! 電気を使わない機械式フィードバックに近いわ! 天才ね!」

 私が大興奮で絶賛すると、ビアンカはついに耳まで真っ赤にした。

「寝ずに考えたのだから当然ですわ!」

「寝ろ」

 ファルカシュのド正論なツッコミを無視し、私たちは即座に小型浄化回路の試作に取り掛かった。


 ▲▽▲▽▲▽▲▽


 泥、油分、石鹸成分をわざと混ぜた試験用の汚水を水路に流し込む。

 ビアンカ案の分離槽と濾過槽を抜け、最後に水車の回転に合わせて白い浄化魔法陣が脈打つように光る。

 ぽう。ぽう。ぽう。

 流れてきた水は、最後の槽を抜ける頃には恐ろしいほど透明で無臭になっていた。


「魔力残留も極めて少ない。生活魔術と聖属性浄化術の融合、これは魔術の歴史が変わるぞ……!」

 ゾルターンが観測盤を抱えて震え、日陰で見ていたイシュトヴァーンが素早く立ち上がった。

「トート嬢。君の浄化システム、権利保護(特許)を考えた方がいい。都市の衛生事業にも関わるな。公的事業にすれば莫大な利益と影響力が生まれる」


「わたくしが……発明者?」

 ビアンカは呆然と呟いた。

「当然です」

 私はまっすぐ彼女を見た。

「試作し、記録し、改良案を出した。立派な発明です。正式にスパリゾート計画の『水質浄化担当』として、共同開発契約を結びましょう」


 愛され聖女。神に選ばれた令嬢。守られる存在。

 そんな飾り物の名前ではなく、「技術の設計者」「水質浄化担当」という、泥臭くも圧倒的に実用的な肩書き。

 ビアンカの胸が熱くなっているのが、その表情から伝わってきた。


「……礼は言わないわよ。まだ完成ではないもの」

 ビアンカは少しだけ顎を上げ、ツンとした声で言った。

「でも、あなた一人に任せると湯温ばかりに夢中になって水質を雑にしそうだもの。わたくしが見てあげるわ」

「助かります。一緒に不便な水を倒しましょう」

「その言い方は妙だけれど……悪くないわ」


「良い関係だな」

「技術的好敵手関係の発生。記録しておこう」

「商機も広がる」

 男たちが好き勝手な評価を下す中、ビアンカは顔を真っ赤にして叫んだ。

「わたくしはあなたの弟子になったわけではありませんからね! 仲間というのもまだ早いですわ! 対等な技術提供者として来ますの!」

「はいはい、お待ちしていますわ。対等な技術提供者様」

「だから茶化さないでくださる!?」


 怒りながらも、その声は弾んでいた。

 こうして、コヴァーチ家の裏庭に新たな開発班が生まれた。

 中心に立つのは、かつて何もしない聖女と呼ばれたトート・ビアンカ。

 徹夜明けの隈を作り、実用服を着て、図面を睨みつける彼女は、もはや儚いだけの少女ではない。自分の技術と足で大地を踏みしめる、立派な技術者オタクの顔をしていた。


 かつて見下し合った私たちは、互いの技術を認め合う「好敵手ライバル」として、同じ作業台の前に立ったのだ。

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