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第17話 実家からの命令書とシュレッダー

「……いいわね」

 私は試験浴槽の澄んだ湯を眺めながら、満足そうに頷いた。

 ビアンカの『清流ユニット』のおかげで、昨日に比べて臭気が格段に減っている。


「当然よ。わたくしが徹夜で考えた回路ですもの」

 白い作業服姿のビアンカが、目の下に隈を作りながらもツンと胸を張る。

「寝てください」

「倒れるぞ」

 ハイナとファルカシュに即座にツッコミを入れられ、「これは考えている顔よ!」と反論しようとした彼女の腹が、『くうぅ』と裏庭に明瞭に響き渡った。


 エルジェがすかさず蜂蜜を塗ったパンを差し出す。一口かじって「美味しい……」と悔しそうに呟くビアンカを見て、私は笑みをこぼした。


「浄化回路がこの性能なら、清潔な湯を維持できるという最高の売り文句になる」

 予算表を睨むイシュトヴァーンに、ゾルターンが同意する。

「清潔は魔術的安定にもつながる。汚れた水は魔力の流れを乱すからね」

「まだ不完全だわ。濾過層の交換手順が面倒すぎる。職人が嫌がる構造は駄目よ」

「保守性を理解している……!」

 私が感動して目を輝かせると、ビアンカは「褒めないで!」と顔を赤くした。


 そんな騒がしくも平和な空気が、一通の書状によって一変した。

「お嬢様! コヴァーチ家本邸より、至急の書状でございます!」


 その瞬間、裏庭の空気がスッと冷えた。

 見覚えのある重苦しい家紋と封印。

 私は分厚い羊皮紙を開き、そこに書かれた仰々しい文面を淡々と読み上げた。

「『コヴァーチ家令嬢ハイナへ。貴殿が家名を省みず職人まがいの行動に走っているとの報告を受けた。しかし、貴殿が生み出した全ての技術および特許収益は、コヴァーチ家の教育の賜物であり家産に属する。速やかに全ての権利と収益を当家へ移譲せよ』」


 イシュトヴァーンの目が細くなり、ファルカシュの手が剣の柄へ動く。

「『また、王子殿下への不敬を詫び、家の定める婚姻に従うこと。背く場合は一族より処罰し、社会的立場を剥奪する。即日返答せよ』……以上です」


 沈黙が落ちた。

「要約すると、私が泥まみれで作ったものを、後から家名の成果と言い張って丸ごと奪いたいということね」

「身も蓋もございませんが、その通りでございます」

 ビアンカが吐き捨てるように言った。

「最低ね。わたくしはあなたを気に入らないけれど、徹夜の成果を横取りされる不快さくらい分かるわ」

「ありがとうございます」

「礼を言わないで。気持ち悪いわ」


「返答はどうする?」

 ファルカシュの問いに、私はにっこりと笑って作業部屋へ向かった。

「新作の実地試験をします」


 ▲▽▲▽▲▽▲▽


 作業部屋の中央に置かれたのは、腰の高さの奇妙な木箱。

 内部には風魔石と土魔石で回転する金属製の細かい刃が並んでいる。


自動紙裁断魔道具シュレッダーです」

「機密書類や失敗した図面を処分する道具かい? 素晴らしい、魔術塔にも必要だ!」

 ゾルターンが目を輝かせ、イシュトヴァーンも「秘密を守れる道具は売れる」と算段を始める。


「お嬢様、本当に命令書を?」

「ええ。返答は後で正式に出します。これは精神衛生のための前処理です」

 私は魔道具のレバーを倒し、実家からの理不尽な命令書を迷いなく投入口へ突っ込んだ。


 しゃりりりりりりりりりっ!!

 威厳ある家紋も、傲慢な文字も、一瞬にして細い紙片へと物理的に分解されていく。

「……見事でございます」

「本当に、一瞬で刻んだわね」


 ビアンカが呆然とする中、ファルカシュが静かに頷いた。

「いい判断だ。読めば不快になる紙は、早く処分した方がいい」


「では、精神衛生の処理は終わったね。次は法的処理だ」

 イシュトヴァーンが腹黒い商人の顔になり、机に新しい書類を広げた。

「これほど傲慢で証拠価値の高い要求書は貴重だ。複写は取ってあるね?」

「もちろんです。原本を刻む前に、エルジェ、公爵閣下、ゾルターン様の魔術複写印(改ざん防止付き)で三部保管しています」

「……あなたたち、抜け目がなさすぎない?」

 ドン引きするビアンカをよそに、イシュトヴァーンが素早くペンを走らせる。


「今後の特許収入は、ハイナ嬢が代表を務める『独立事業体』へ入れる。家長権限で押さえられないように財布を遠ざけるのだ。そして『権利の根拠を示せ。示せない場合、不当請求として商業裁判所へ訴える』と正式回答を出す。守るだけではなく、高い塀と弓兵を見せるべきだからね」

「実家が強硬手段に出るなら、私が制圧する」

 ファルカシュが短い言葉で絶対の安全を保証した。


「独立事業体の名前はどうする?」

「……ハイナ工房」

 私が静かに答えると、全員が頷いた。

「シンプルで良い」「商標としても扱いやすい」「変に飾っていないところがあなたらしいわ」


 コヴァーチ家の令嬢ではなく。王子の元婚約者でもなく。

 ただの「ハイナ」として、自分の生活を自分で快適にするための場所。

 その名前が、今ここに誕生した。


 ▲▽▲▽▲▽▲▽


 実家への正式回答書(法的かつ物理的な完全反撃の予告)が完成し、公爵の商会から証人付きで発送された。


「今日は頭を使ったので、甘いものが欲しいわね」

「お嬢様、実家絶縁の直後に新しいデザートを考えるのですね」

「甘いものは心の補修材よ」

「記録しておこう」とゾルターンがメモを取る。


「……なら、焼き菓子がいいわ。浄化回路の改良案を考えるには糖分が必要なのよ」

 顔を背けながらちゃっかり要求してくるビアンカに、私は笑って応えた。

「では、焼き菓子に冷蔵庫で冷やしたクリームを添えましょうか」

「別に一緒に食べたいわけではないわ!」

「はいはい」

「はいは一回!」


 命令書はシュレッダーで粉砕され、家名の鎖も断ち切られた。

 残ったのは、自由な手。

「もう、誰にも私の成果(QOL)は渡さないわ」

 私はただの『ハイナ工房』代表として、力強く前を向いた。

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