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第13話 冷えたエールと、騎士の不器用な夜

 魔の山から帰還した翌日。

 初夏に向かう王都の気候と、作業部屋での火属性魔力を用いた素材検証の熱気により、私は暑さで限界を迎えていた。


「お嬢様、井戸水で冷やしたお茶をお持ちしました」

 エルジェが差し出してくれた杯を呷る。

 常温よりはマシだが……ぬるい。前世の記憶にある、冷蔵庫でキンキンに冷やした麦茶や炭酸飲料の圧倒的な爽快感には遠く及ばない。


「……足りないわ。冷たさが足りない」

「お嬢様、また何か新しい敵を見つけたお顔ですね」

「ええ。ぬるさと戦うわ。冷蔵庫を作るのよ」


「冷たさを蔵する箱、実に良い響きだね」

 なぜか床下からぬっと顔を出したゾルターン(床材の温度変化を測っていたらしい)と共に、即席の冷蔵庫開発が始まった。


 魔の山で採取した保温鉱石を粉末にして断熱層とし、水魔石の冷却を小型の風魔石で循環させる。結露対策に底面へ排水管を通し、扉の密閉性を高めるためにスライム素材で特製パッキンを成形した。

「スライム素材は夢見のクッションだけでなく、隙間を埋めるパッキンにも最適ね。地味だけど極めて重要よ」

「魔術の理論と同じだ。細かい術式の隙間を埋めることで全体の精度が上がる」


 順調に組み上がり、起動テストに移行したその時だった。

 ぴしり、と嫌な音がして、扉の隙間から猛烈な白い霧が噴き出した。


「きゃっ!?」

「ポルカが冷気の中で『もきゅっ』と鳴いて停止しました! 凍えています!」

「掃除魔道具は凍えないよ、布袋満杯通知だ。限界を見たかったから水魔石の出力を少し上げてみたんだが」

「限界実験を事前申告なしにやらないでください!」


 駆けつけたファルカシュが力技で扉を押さえ込み、緊急排気弁を開けて事なきを得たが、作業部屋は一瞬にして冬山と化した。

「次は限界実験の前に申告を」

「……はい」

 私に怒られ、王宮筆頭魔術師がシュンと縮こまる。

「お前は放っておくと危険だ」とファルカシュが凄むが、彼もまた中に入れた水瓶が霜を纏うほど冷えているのを見て、金色の瞳を限界まで輝かせていた。


 冷えたエールを飲むための、性能確認。

 騎士団長はそう主張して譲らなかった。


 ▲▽▲▽▲▽▲▽


 その夜。二階のベランダに、ささやかな宴席が設けられた。

 星空の下、完成したばかりの冷蔵庫一号機から取り出された冷えたエールの瓶と、昼から仕込んでおいた自家製シャルキュトリー(魔の山で仕留めた火角鹿の燻製肉と、岩皮熊の脂のテリーヌ)が並ぶ。


「……冷えている。冷蔵庫の性能確認だ」

 重々しく宣言するファルカシュ。

「保存食文化が劇的に変わるね」と解析目線で語るゾルターン。

「これは売れる。夏の夜の酒場の概念が変わるぞ」と、いつの間にか現れて商機を計算しているイシュトヴァーン。


「理屈はいいから、まずは飲みましょう!」

 私の合図で、冷えた杯が鳴る。


「……っ!」

 一口飲んだ瞬間、喉を突き抜ける圧倒的な冷たさと、引き締まった苦味、軽やかな麦の香りが全身の熱を一気に洗い流していった。

「これよ……これなのよ……!」

 私が前世の記憶を噛み締めていると、男たちも次々と驚愕の声を上げた。


「……美味い。体の熱が引き、胸の奥が静かになる。戦いの後に飲んだら、剣を置ける味だ」

 ファルカシュが色気のある低い声で呟く。

「冷えることでエールの重さが消え、喉越しが極立っている。温度が味覚を支配する……これは魔術ではなく味覚設計だ!」

 ゾルターンがテリーヌをバゲットに塗りたくりながら天を仰ぐ。

「脂の滑らかさも冷却で安定している。ハイナ嬢、冷蔵庫の製造と流通は私の商会に任せてくれ」

「術式部分の改良と解析優先権は魔術塔にあるぞ」


 冷えたエールの前で商業と魔術の火花を散らす二人を放置し、私はベランダの端で夜風に吹かれているファルカシュの隣に立った。

「ファルカシュ卿。魔の山では、ありがとうございました。おかげでこの冷蔵庫も完成しましたわ」

「……君は危なっかしい。素材を見ると目が変わる。だが、危険地帯では私の指示に従い、前に出たいのを我慢して踏みとどまった」


 ファルカシュは夜景を見つめたまま、静かに語り始めた。

「昔、遠征で焦った部下を失った。命より欲や意地を優先する者は多い。だから危険地帯で前に出ようとする者を見ると腹が立つんだ。……だが、君は素直に戻る」

「私の快適ライフには、私自身が無事でいることが絶対条件ですから」

「命を大事にする理由が快適ライフか。悪くない」


 ファルカシュは杯のエールを飲み干し、ふっと表情を和らげた。

「私は長く誰かと食事をするのが苦手だった。食事は補給でしかなかった。だが、今は味が分かる」

「それは良かったです」

「良くない。戻れなくなった。君の料理を知ってから、騎士団の食堂がただの苦行だ」


 文句を言っているのに、その金色の瞳は夜風の中で信じられないほど甘く、そして真剣だった。

「ハイナ。私は、君の料理と君自身以外、受け付けない体になった」


「…………ええと」

 私がフリーズした数秒後、ファルカシュは自分の口走った言葉の破壊力に気づいたらしい。

「違う。いや違わないが、言い方が違う。料理の話だ」

「私自身も入っていましたけれど」

「……入った。忘れろ」


「騎士団長閣下、大変よいお言葉だったと思いますわよ」

 エルジェがにっこりと笑い、ゾルターンが「孤高の狼、エールと燻製肉の前に実質的な求愛を行う、と記録しておこう」と茶化す。

 百戦錬磨の騎士が、自分の不器用すぎる言葉に耳を真っ赤にして敗北している。

 私は思わず笑ってしまった。胸の奥が、冷えたエールを飲んだはずなのにほんのりと温かい。


「私の快適ライフはまだ始まったばかりで、恋愛に全力を割く余裕はありませんわ」

 私は少しだけ照れ隠しにテリーヌの出来を確認しながら言った。

「でも、美味しいものを一緒に食べる相手がいるのは、悪くないと思っています」

「……そうか。なら、十分だ」

 ファルカシュはそれだけで満足したように、静かに杯を傾けた。


 こうして冷蔵庫一号機は無事に完成し、男たちの胃袋と心をさらに強固に掴んでしまった。

 そして次に待つのは──自らの手で人生を切り拓く私の姿を前に、誰かに愛されるだけの人生を信じていた白い聖女の価値観が粉々に砕け散る瞬間である。

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