表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/53

第9話 裂け目の向こう、そこは“地球”じゃない

 落ちる。


 足が地面を探す前に、

 肺が先に空気を掴みにいった。


 乾いた匂い。

 アスファルト。

 排気の気配。

 ――地球だ。


 そう思った瞬間、

 背中に冷たい汗が流れた。


 違う。


 匂いは似ている。

 けれど“音”が違う。


 街のざわめきがない。

 人の声がない。

 車の音も、信号の電子音も、ない。


 静かすぎる。


 俺とリナは、硬い地面に転がり出た。

 視界が揺れる。

 胃の中身がひっくり返りそうだ。


 リナが俺を抱えるように起こし、

 周囲を見回した。


「……ここ、は」


 そこは駅前みたいな広場だった。

 舗装された地面。

 看板。

 電柱。


 でも、文字が読めない。

 読めないのに、見覚えはある。


 日本のはずの景色が、

 “模型”みたいに整いすぎている。


 街灯が一本も点いていないのに、

 空は薄明るい。


 曇天の下、光源がどこにもないのに、

 影だけが妙に濃い。


 リナが小さく呟いた。


「……異世界の外に、別の異世界?」


 俺は喉を押さえた。

 声が戻りかけている。

 だが銀鎖が熱を持ち、すぐに引っ込む。


 首の銀鎖。

 それは、まだある。


 そして――

 銀鎖の先が、見えない糸で“どこか”に繋がっている気配がした。


 引っ張られている。

 ゆっくりと。

 ずっと。


「……追われてる」

 リナが低く言った。


 彼女も感じ取ったらしい。

 剣の柄に手を置き、背後を警戒する。


 裂け目は、もう閉じていた。

 さっきまでの風穴は消え、

 空気は何事もなかったように固い。


 ――逃げ道なし。


 それでも、今は塔よりマシだ。

 少なくとも“眼”はない。

 そう思いかけた瞬間、

 足元の影が、遅れて揺れた。


 俺の影が、俺より半拍遅い。

 あの観察室と同じ。


 リナが息を呑む。


「影……また」


 俺は目を逸らした。

 見たくない。

 見たら、思い出してしまう。


 でも目を逸らした先に、

 更に嫌なものがあった。


 広場の中央。

 人影が立っている。


 背教のローブでもない。

 教会の法衣でもない。


 黒いコート。

 細い体格。

 そして――顔が、“紙”みたいにのっぺりしていた。


 目も鼻も口も、薄い。

 印刷されたみたいな顔。


 その人影が、こちらを向く。

 向いた瞬間、顔の薄さが“自然”になった。

 人の顔になる。


 まるで、

 見る者に合わせて形を変えるみたいに。


 リナが剣を抜く。


「誰!」


 人影は答えない。

 代わりに、首を傾げた。


 その仕草が、どこか懐かしい。

 ――日本で見た誰かの癖に似ている。


 俺の胸の奥が痛む。


(やめろ。思い出すな)


 声。

 アークの声が、押し殺したように言う。


 ――ここは“通路”だ。

 ――地球じゃない。

 ――地球へ繋がる皮膜だ。


 皮膜。

 薄い膜。

 裂け目の周辺にできる、世界の表皮。


 そんな言葉、知っているはずがないのに、

 理解できた。


 人影が一歩近づいた。

 足音がない。

 地面を踏んでいない。


 滑るように寄ってくる。


 その瞬間、俺の銀鎖が鳴った。


 カチ、カチ。


 金具の音じゃない。

 骨の節が鳴るみたいな音。


 人影が、俺の首元を見て“笑った”。


「……ああ」


 声が出た。

 低い。

 男とも女ともつかない。


「つながっている」


 リナが前へ出て、俺を背にかばう。


「近づくな」


 人影は首を傾げたまま言った。


「守る者」


 次に俺へ視線を滑らせる。


「名を持つ者」


 言葉が少ない。

 でも一つ一つが、針みたいに刺さる。


 リナが剣先を突きつける。


「お前は背教か」


 人影は静かに否定した。


「背教ではない」


 次に、淡々と付け足す。


「教会でもない」


 じゃあ何だ。


 俺の中のアークが、低く言った。


 ――“裂け目の番人”だ。

 ――いや、番人というより……

 ――裂け目そのものの“免疫”。


 免疫。

 異物を排除する仕組み。

 裂け目を作ると、

 世界は自分を守るための存在を生む。


 それが目の前の人影。


 人影は、俺を見て言った。


「創り主は、戻る」


 創り主。


 またその言葉。

 背教も言った。

 小司祭も匂わせた。


 俺は喉を押さえながら、絞り出す。


「……俺は、堀口健太だ」


 銀鎖が熱い。

 言葉が焦げる。

 でも言い切った。


 人影は少しだけ、嬉しそうに目を細めた。


「名前」


 そして次に、

 俺が絶対に言いたくない方向へ、

 言葉を滑らせる。


「もう一つの、名」


 リナが低く唸る。


「口を閉じろ」


 人影はリナを見ずに続けた。


「名を吐けば、道は開く」


 道。

 地球への道。

 あるいは、

 別の場所への道。


 俺の心臓が跳ねる。

 逃げたい。

 でも、吐いた瞬間に終わる気がする。


 その迷いを見透かしたように、

 人影が告げた。


「吐かねば、追い手が来る」


 追い手。


 その言葉と同時に、

 遠くで、鐘の音がした。


 カン、カン。


 ここに教会の鐘はないはずだ。

 なのに、音がある。


 リナの顔が青ざめる。


「……追ってきてる」


 俺の銀鎖が引っ張られる。

 見えない糸が、強くなる。

 引力が増す。


 まるで、

 塔へ戻れと命令されているみたいに。


 人影が囁く。


「処置は、追跡になる」


 処置。

 首輪。

 名簿。


 全部繋がっている。


 リナが俺の肩を掴む。


「走るよ。今すぐ」


 俺は頷いた。

 足は震えている。

 でも止まったら終わる。


 その時――

 広場の向こうの影が、一斉に揺れた。


 影から影へ、

 黒い点が移動する。


 眼。


 ここにもある。

 塔の外にもある。


 “通路”にまで、眼が伸びてきている。


 俺は息を呑む。


 人影が、最後に言った。


「創り主は、対価を払う」


 対価。

 アークが言った言葉。


 俺の背中が凍り、

 同時に、何かが腹の底で決まった。


 逃げるだけじゃダメだ。

 この銀鎖を、どうにかしないと。


 リナが走り出す。

 俺もついていく。


 背後で、

 鐘の音が近づく。


 カン、カン。


 そして、影の中の眼が、

 嬉しそうにこちらを見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ