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第47話 回収路の心臓――核は「椅子」へ運ばれる

規律のある靴音が、地下通路を満たし始めた。

 教会側の足音。

 背教の湿った擦過音じゃない。


 俺は台帳を抱え、闇へ走った。

 免疫は黙っている。

 だから追跡は“世界”じゃなく“人”の脚だ。


 ――だが、教会の脚は人の脚じゃない。


 角を曲がった先で、白い灯が一列に並んでいた。

 灯というより、線。

 床に描かれた輪が、管みたいに伸びている。


 輪が移動している。

 円が“流れて”いる。


 俺は喉の奥で息を殺した。


(回収路だ)


 椅子へ運ぶための道。

 地球の手続き室で見た透明の輪。

 ここではそれが、地下の“輸送”になっている。


 背後で足音が近づく。

 司祭の声が響いた。


「ブレード・ファン・エイル!

 停止せよ!」


 停止。

 命令。

 でもここは無観測域。

 命令は通る。

 同意じゃなくても、力で押す。


 俺の足元の仮拘束の線が、ぬるりと強くなる。

 転びそうになる。


 その瞬間、背後でかすれた声。

 背教修道士――切り離したはずの男が、壁にもたれて立っていた。


「……右……行け」


 声は人間の声。

 さっきまでの蛇の声じゃない。

 彼は苦しそうに喉を押さえ、指で示した。


「……回収路の“裏”…」


 裏。

 表の輸送路の裏側。

 同意を取らずに運ぶ、最短。


 俺は迷わず右へ滑り込んだ。

 壁の陰に、細い隙間。

 輪の線が途切れ、コンクリが剥き出しになっている。


 ――傷。

 制度の傷。


 傷は通れる。

 制度が完全なら通れない。

 だから俺は傷を選ぶ。


 隙間を抜けると、空間が一段下がっていた。

 回収路の“裏側”。

 床に輪はない。

 代わりに、天井から細い管が垂れている。


 管の先に――筒。


 研究所に並んでいた発芽の筒が、

 ここでは輸送用に吊られていた。


 筒の中には眠る人間。

 胸の刻印が薄く光る。

 勇者候補。


 そして、筒の列の中央。

 ひとつだけ、光が違う筒があった。


 黒い脈動。

 石の鼓動。


 ――核。


 俺の胸の鍵が、カチ、と鳴った。

 共鳴。

 あいつはまだ椅子へ到達していない。


 間に合う。


 だが、筒の外側に札が貼ってある。

 黒い手帳の文字と同じ癖。


『受領:教主席/優先輸送』


 優先。

 つまりここには、護衛がいる。


 空気が、冷えた。

 背後からじゃない。

 上だ。


 天井の梁の上に、誰かがいた。


 ローブではない。

 司祭でもない。

 背教でもない。


 首が長く見えるほど痩せた男。

 顔が、のっぺりしている。

 表情が固定された面みたいだ。


 男が、ゆっくり言った。


「回収物に触れるな」


 声が、人間の声じゃない。

 椅子の声とも違う。

 もっと事務的で、もっと空っぽ。


 ――“受領の司”。


 俺の背中が冷えた。

 制度そのものが歩いている。


 受領の司は続けた。


「同意は不要。

 ここは輸送区画。

 君の意思は関係ない」


 関係ない。

 制度が一番好きな言葉。


 俺は台帳を抱え直した。

 角が、武器になる。

 傷を作るための刃になる。


 受領の司が梁から降り、

 俺と筒の間に立った。


「ブレード・ファン・エイル。

 受領先へ同行せよ」


 同行。

 強制の“丁寧語”。


 俺は喉の奥で、取り返した一音を鳴らした。

 声にはしない。

 振動だけ。


(けん)


 銀鎖が微かにズレる。

 身体が少しだけ自由になる。


 受領の司の顔が、一拍だけ歪んだ。

 制度が“傷”を嫌がる反応。


「……異物」


 そうだ。

 異物でいい。

 制度を壊すのは異物だけだ。


 俺は一歩踏み込み、

 台帳の角で床を擦った。


 ここは輪がない。

 だから傷を作る場所が違う。


 ――管だ。


 天井から垂れる輸送管。

 その接続部に、小さな継ぎ目がある。

 そこが制度の“結び目”。


 俺は角を、継ぎ目へ突き立てた。


 ガリ、と嫌な音。

 金属の皮が剥ける。


 受領の司が手を伸ばす。

 速い。

 早すぎる。

 人間の速度じゃない。


 だが、その瞬間。

 筒の列の中で、ひとつが揺れた。


 眠っていた少女が、目を開けた。


 黒髪じゃない。

 栗色。

 瞳は、強い琥珀。


 胸の刻印が、薄く青く光る。

 勇者候補の“芽”じゃない。

 芽よりひとつ上。

 “芽吹き”。


 少女が、筒の内側から口を動かした。


「……ここ、どこ……」


 声が出る。

 無観測域なのに。


 受領の司が、少女を見た。

 初めて“反応”した。


「発芽の早期化……不良品だ」


 不良品。

 そう呼んだ瞬間、俺の中で冷たい怒りが立つ。


 少女が俺を見て、息を呑んだ。


「あなた……誰……」


 俺は答えない。

 答えれば形が残る。

 でも放っておけば、彼女は回収される。


 なら、形じゃなく――傷で動かす。


 俺は輸送管の継ぎ目を、もう一度削った。

 傷を広げる。

 制度が嫌う傷を。


 バチッ、と火花。

 吊られた筒の列が、一瞬だけ“止まった”。


 受領の司の動きが、僅かに遅れる。

 制度が詰まった。


 その一拍で、俺は核の筒へ飛びついた。

 筒の外壁は冷たい。

 中の黒い脈動が、俺の掌へ鼓動を返す。


(ここだ)


 だが筒は開かない。

 鍵穴がない。

 同意も要らない区画。

 つまり、“受領権限”が必要な開閉。


 受領の司が、俺の背中へ手を伸ばした。


「触るな」


 空っぽの声。

 その声が、骨に刺さる。


 俺は歯を食いしばり、

 台帳を核の筒の表面へ押し当てた。


 地球の証拠。

 地球側の“窓口の癖”。


 筒の表面に、文字が浮かんだ。

 同じ癖。

 同じ書式。


 ――制度は同じだ。

 なら、同じ穴がある。


 俺は台帳の角で、浮いた文字の“端”を擦った。

 ほんの一ミリ。


 欠けを作る。

 受領の文字に、傷を入れる。


 カチ。


 筒が、微かに鳴った。

 鍵の音じゃない。

 権限がズレた音。


 受領の司の顔が、また歪む。


「……権限競合」


 競合。

 第41話で椅子と教主が競合した。

 今は、筒と台帳が競合した。


 その隙に、筒の下部がわずかに開いた。

 指が入る程度。


 足りる。

 核は石だ。

 小さい。


 俺は手を突っ込み、

 黒い鼓動を掴んだ――


 瞬間、少女の筒が割れた。


 ガラスじゃない。

 膜が破れる音。

 少女が床に落ち、咳き込む。


 受領の司がそちらへ視線を移す。

 制度は“不良品”を嫌う。

 優先処理対象になる。


 俺は核を掌に握ったまま、

 少女の肩を掴み、引いた。


 少女が驚いて俺を見る。


「ちょ、待っ……!」


 俺は言葉を使わない。

 目で命令する。


(来い)


 少女は理解できないはずなのに、

 足が動いた。

 本能で。


 受領の司が、低く言った。


「二件回収」


 二件。

 俺と少女。

 まとめて回収。


 最悪だ。


 背後で司祭たちの足音が近づく。

 表の回収路からも来ている。

 挟まれる。


 俺は核を握りしめ、

 喉の奥で“けん”を鳴らした。

 振動だけ。


 そして、床の傷へ核を押し当てる。


 核は“戻す”ためのものじゃない。

 傷に触れれば、裂け目は口を開ける。


 バキ、と床がひび割れた。

 黒い空洞の匂い。

 どこでもない匂い。


 少女が息を呑む。


「……なに、これ……」


 俺は核を胸へ押し込み、

 裂け目の縁に立った。


 受領の司が一歩踏み出す。

 空っぽの顔が、初めて怒りに歪んだ。


「返せ」


 俺は返事をしない。

 はいを言わない。

 ただ――落ちる。


 少女の腕を掴み、

 二人で裂け目へ飛び込んだ。


 落ちる直前、

 核が胸の鍵と噛み合い、

 喉の奥で次の音が弾けた。


 ――た。


 「けんた」の二文字目。

 まだ全部じゃない。

 でも確かに増えた。


 受領の司の声が、裂け目の向こうで遠ざかる。


「回収対象、逃走」


 逃走。

 違う。

 逃走じゃない。


 これは――

 制度の外へ落ちるための、傷の道だ。


 闇が喉へ流れ込み、

 世界が反転する直前、

 少女が俺の袖を掴み、震える声で言った。


「……私、ユナ。

 あなたの名前は?」


 名前。

 罠になりうる問い。

 でも今は、答えが必要だ。

 答えないと彼女は折れる。


 俺は一瞬だけ迷い、

 それでも“仮”の名を選んだ。


「……ブレード」


 その瞬間、銀鎖が小さく鳴った。

 だが喉の奥の“けんた”の欠片が、

 その鳴りをほんの少しだけ鈍らせた。


 まだ終わらない。

 でも進んだ。


 そして闇の中で、

 椅子の声が遠くから囁いた。


「良いね。

 “二人”は、もっと縛りやすい」


 最悪の予告。

 次の章は、ユナを鎖にするための章になる。

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