第42話 課題の外側――「はい」を言わずに首輪を外す方法
課題。
背教を一つ潰せ。
椅子の声は冷たく優しい。
教主の声は優しく冷たい。
どちらも同じ匂いがする。
“はい”を言わせる匂い。
俺は台帳を抱えたまま、沈黙した。
返事をしない。
返事をすれば同意になる。
免疫が淡々と囁く。
「観測:沈黙=保留」
保留。
保留は許される。
でも保留は、期限をつけられる。
教主が微笑んだ。
声だけ。
「返事がないのは、賢いね」
そして、司祭へ軽く顎を動かす。
合図。
司祭が黒い手帳を開き、淡々と読み上げた。
「処置:仮拘束」
仮拘束。
首輪の“仮”版。
拒否したままでも、動きを制限できる。
床の輪が光り、俺の足元へ細い線が伸びた。
線は鎖じゃない。
紐みたいに柔らかい。
柔らかいのが、いちばん怖い。
抵抗しにくい。
嫌だと言いにくい。
教主が言う。
「君は自由だ。
ただし、道順だけは決めさせてもらう」
道順。
導線。
予定の作り方。
俺は足元の線を見て、息を吐いた。
この線は“同意なしで付けられる”拘束。
だから逆に、同意の鎖ではない。
扱いが違う。
なら――切れる。
制度の首輪ではなく、処置の縄なら。
教主が指を鳴らす。
扉が開く。
廊下に出される。
司祭二人が左右につき、一定の距離を保つ。
近すぎない。
逃げさせる気がある距離。
逃げたら罠が完成する。
そういう距離。
免疫が淡々と言った。
「観測:誘導」
誘導。
俺を“課題”へ向けて動かす。
回廊を歩く間、
俺は胸の奥の鍵を握り直した。
鍵は嘘を壊せる。
制度の言葉の嘘を。
でも“課題”は嘘じゃない。
やらせたいことが現実にある。
だから必要なのは、
課題を受ける“形”を奪うこと。
椅子は俺に「背教を潰せ」と言った。
だがそれは命令ではない。
取引の提案だ。
報酬と引き換え。
提案なら――
条件を書き換える余地がある。
廊下の先で、窓が見えた。
外は夕方。
空が赤く、城下の煙が見える。
王都近く。
司祭が無表情で言う。
「対象の背教は、王都地下に潜伏」
王都地下。
地下は嫌な予感しかしない。
回収路、処置室、同意輪。
教主側は地下が好きだ。
見えないから。
制度が強くなるから。
司祭が続ける。
「あなたの護衛として、
“背教修道士”が同行します」
背教修道士。
味方のふりをした鎖。
俺の背中が冷えた。
背教は教主の犬。
その犬を俺の横につける。
課題の達成も監視も同時にできる。
廊下を曲がると、
小さな待機室。
そこで一人の男が立っていた。
黒い法衣。
胸に、舟の刻印。
背教の印。
男は薄く笑った。
「はじめまして。
“案内役”です」
案内役。
殺すための案内。
男は俺を値踏みする目で見て、
妙に丁寧な口調で言った。
「あなたが地球帰りのブレード様。
噂は聞いております」
噂。
情報が早い。
教主の席は、窓口を持っている。
背教修道士は続けた。
「課題を受けるなら、
今ここで“誓約”を」
誓約。
同意の別名。
“はい”の別の形。
俺は息を吐いた。
ここで誓約したら終わる。
課題が命令に変わる。
だから――誓約の形を奪う。
俺は背教修道士を見て、
わざと曖昧に言った。
「……誓約は、椅子へ」
背教修道士の笑みが一拍止まる。
椅子。
教主の座。
上位の窓。
背教は教主に忠誠を誓う。
椅子へ誓う形は、階層を乱す。
免疫が淡々と囁く。
「観測:階層矛盾」
背教修道士が、言葉を選ぶ。
「椅子へ誓うのは、恐れ多い」
恐れ多い。
つまりできない。
誓約が作れない。
俺は畳み掛けた。
奪われた音を避けながら、
でも制度の穴へ刺す言葉で。
「教主へ誓うなら、
椅子の許可が要る」
背教修道士の目が細くなる。
制度に強い者ほど、屁理屈に弱い。
階層に縛られているから。
背教修道士は、一拍置いて言った。
「……なら、口約束で」
口約束。
同意の別の形。
俺は首を振る。
言葉は吸われる。
輪に吸われる。
鎖になる。
背教修道士が少し苛立つ。
「では、どうする」
俺は台帳を抱え直し、答えた。
「……条件は一つ」
背教修道士が目を細める。
「何だ」
俺は言った。
“はい”を言わずに首輪を外す条件。
「背教を潰す。
だが“教主席の受領”は無効にする」
室内の空気が凍る。
司祭が息を呑む。
背教修道士が、ゆっくり笑った。
「無理だ。
受領は椅子が決める」
俺は頷いた。
「だから、椅子をズラす」
背教修道士の笑みが消えた。
その反応で確信する。
椅子は絶対じゃない。
ズラせる。
俺が一ミリ傷つけた時、輪が乱れた。
制度は物理に弱い。
観測に弱い。
背教修道士が低い声で言った。
「あなたは危険だ」
俺は静かに返す。
「……そう」
危険でいい。
安全は椅子のものだ。
背教修道士が手を上げ、
司祭へ合図した。
「監視を強めろ」
足元の仮拘束の線が、少し太くなる。
喉が焼ける。
自由が狭まる。
免疫が淡々と告げる。
「観測:拘束強化」
強化。
反動。
俺が穴を突いた分、制度が締まる。
背教修道士が言った。
「王都地下へ行く。
そこで“背教”を狩る」
背教が背教を狩る。
笑えない冗談。
でも分かる。
それは“手続き”だ。
狩ったという実績を作り、
俺が課題を受けたことにする。
同意の代わりに、実績で縛る。
だから――俺は実績の形も奪う必要がある。
廊下へ出る。
遠くで鐘が鳴った。
教会の鐘。
その音に混じって、
胸の奥でアークが低く囁いた。
――思い出せ。
――背教の地下には、“裂け目の原型”がある。
原型。
俺が作ったはずの重要なもの。
チャプターの根。
背教修道士が振り返り、薄く笑う。
「逃げるなよ、ブレード様」
逃げない。
逃げたら同意が完成する。
俺は台帳を抱え、歩き出した。
はいを言わずに、首輪を外すために。
免疫が淡々と呟いた。
「観測:課題進行」
進行。
そして次に来るのは――
“課題の中での反転”。
背教が狩られる側じゃない。
狩る側でもない。
背教が、地下で“別の何か”を育てている。
その匂いが、既にした。




