第39話 自己同意の裏返し――「俺が行く」が君を救う
裂け目は細い。
光はほとんど漏れない。
でも匂いが違う。
土と香。
エイル側の匂い。
手続き係が暗闇で舌打ちした。
「……勝手に扉を作るな」
輪が光る。
床の署名代替装置が反応する。
同意を吸い上げようとする。
免疫の声が、淡々と重く落ちた。
「観測:扉生成」
生成。
世界は嫌う。
だから徴収が来る。
でも今は、徴収より早く動く。
セラが堀口健太の腕を掴み、裂け目へ向けた。
堀口健太が首を振る。
「え、無理、こんな――」
言いかけて、口を塞がれる。
セラの掌。
喋るな。
“はい”を言うな。
リナが無言で堀口健太の背中を押す。
声はない。
でも“生きろ”の圧がある。
堀口健太が足を出しかけた瞬間、
手続き係が低く言った。
「外へ出るには同意が必要だ」
同意。
ここは手続き室。
出る行為すら、同意に変換される。
そして彼は、わざと優しい声を作った。
「君は助かりたいか?」
答えたら終わる。
沈黙でも、息でも吸われる。
床の輪が、淡く脈打つ。
呼吸を数えている。
心拍を数えている。
セラが俺を見る。
目が言う。
(条件は“自己同意”)
自己同意。
なら、同意させる相手を変える。
堀口健太ではなく――俺。
俺は一歩前へ出た。
裂け目の前に立ち、輪の中心に立つ。
手続き係が静かに言った。
「賢い。
君が同意すれば、処理は軽い」
軽い同意なんてない。
でも“同意の矛盾”なら作れる。
俺は胸の鍵を握り、
言葉を選ぶ。
奪われた音を避ける。
でも“同意”の形は残す。
俺ははっきり言った。
「私は、移送に同意する」
床の輪が、カン、と鳴った。
同意が成立した音。
首輪が締まる音。
堀口健太が目を見開く。
「な、なんで――!」
セラが首を振る。
今は黙れ、の合図。
手続き係が微かに笑う。
「良い。
では対象を“外来”へ変更する」
変更。
台帳の追記通り。
堀口健太ではなく、ブレードへ。
免疫が淡々と告げる。
「観測:名の分配成立」
成立した。
この世界の“堀口健太”は、堀口健太だけになる。
俺は“ブレード”として回収対象になる。
これで矛盾が減る。
世界は削除を急がない。
だが――
手続き係が俺の胸へ手を伸ばした。
「鍵も受領する」
受領。
教主席へ渡すつもりだ。
セラが叫びそうになって、喉を押さえた。
声を出したら、輪が吸う。
同意が増える。
リナが無言で飛び込み、手続き係の指を叩く。
でも相手は装置側。
痛みで止まらない。
だから――奪う。
俺は台帳を手続き係の顔の前へ突きつけた。
ページを開く。
“受領:教主席”。
その行を指で叩く。
俺は言った。
「これを公開する」
手続き係の目が、一拍だけ揺れた。
制度は、表で動くと弱い。
“秘密の手続き”は、秘密であるほど強い。
手続き係が低く言った。
「公開しても無意味だ。
人間は理解しない」
俺は頷いた。
その通り。
理解はされない。
でも――観測には刺さる。
免疫には刺さる。
世界には刺さる。
免疫が淡々と呟いた。
「観測:手続き露出」
露出。
制度が表に出る。
世界は“予定”を守るために、
一時的に手続き係を引っ込める。
手続き係が舌打ちする。
「……余計なことを」
その一拍の隙に、セラが堀口健太を裂け目の外へ押し出した。
リナも続く。
裂け目は細いが、二人は“外来じゃない”。
世界の抵抗が少ない。
堀口健太が転げるように外へ出た。
旧連絡路のさらに奥の通路へ。
ここはまだ地球。
でも“手続き室”の輪の外。
堀口健太が振り返り、叫ぶ。
「待って! 置いてくな!」
叫んだ瞬間、輪が弱く光ったが、もう届かない。
同意にはならない距離。
セラが堀口健太の肩を掴み、強く首を振った。
「生きろ」
口の形だけで伝える。
そしてセラは俺を見る。
目が震える。
(戻ってくる)と。
リナも俺を見る。
声はない。
でも目が言う。
(生きて)と。
その瞬間、徴収が来た。
耳が痛い。
空気が薄い。
免疫が淡々と告げる。
「徴収:別れ」
別れ。
世界は、矛盾を減らすために、
感情を削る。
繋がりを削る。
“戻りたい”を削る。
胸が冷えた。
セラとリナの目が遠くなる。
大事なはずなのに、
大事だと感じる場所が薄くなる。
怖い。
これが一番怖い。
手続き係が、冷たく囁いた。
「同意は取れた。
では移送する。ブレード」
ブレード。
呼ばれると、銀鎖が鳴る。
“名”が締まる。
床の輪が強く光り、
裂け目が一気に太くなる。
エイルの匂いが溢れる。
香。土。鉄。
その瞬間、俺の胸の奥でアークが低く笑った。
――やっと戻れる。
――だが、代償はまだ終わらない。
俺は最後に、堀口健太を見た。
彼は通路の向こうで、必死に叫んでいる。
俺には“健太”の音が言えない。
だから、口の形だけで伝えた。
(生きろ)
次の瞬間、世界が反転した。
光が裂け目を飲み、
俺の身体が“回収”される。
手続き係の声が、遠くで言った。
「受領先:教主席」
教主。
やっと本丸へ繋がった。
――でも。
裂け目の縁で、
セラが小さく台帳を投げてきた。
俺の手に当たる。
予定の台帳。
地球側の証拠。
彼女は口の形だけで言った。
(これで、逆に回収する)
背筋が凍るほど、頼もしい。
俺は台帳を抱えたまま、
エイル側へ落ちた。
世界の匂いが変わる。
地球の雨が、遠ざかる。
そして最後に、免疫が淡々と告げた。
「観測:予定の分岐」
分岐。
予定が割れた。
だから次は――
教主が自分で動く。




