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第37話 選ぶのは世界じゃない――「堀口健太」を手放す準備

地下は湿っていた。

 駅の旧連絡路。

 コンクリが古い。

 蛍光灯が点滅して、影が遅れて揺れる。


 俺たちは奥の空き倉庫に押し込まれた。

 鉄扉が閉まる。

 外の足音が遠ざかる。


 助かった――ように見える。

 でも世界は、助けるためにここへ誘導したわけじゃない。

 “選別”のためだ。


 セラが息を吐き、倉庫の隅に座り込む。

 堀口健太は壁に背をつけ、震えた手でスマホを握っている。


「……警察呼ぶ?」


 セラが冷たく言う。

「呼んだら終わる。

 “事故”の言い訳が完成する」


 堀口健太が眉をひそめる。

「事故? なに言って――」


 リナが無言で近づき、空に指で書いた。


『あなたは今日、死ぬ予定』


 堀口健太の顔が引きつった。

「……は?」


 セラが短く言う。

「笑い事じゃない」


 俺は手続きの台帳を開いて見せた。

 文字の音は読めない。

 でも時間と“移送先:エイル”の行を指で示す。


 堀口健太が覗き込み、目を見開く。

「……エイル? なにそれ」


 セラが答える。

「別の世界の名前。

 あなたはそこで“別のあなた”になる」


 堀口健太が俺を見る。

 目が揺れる。

「じゃあ……あんたは……」


 俺は言えない。

 健太、と言えない。

 堀口、と言っても音が欠ける。


 だから俺は、表の名だけを口にした。

「……ブレード」


 堀口健太が唇を噛む。

「ふざけてないの、これ」


 セラが低く言った。

「ふざけてたら、あの男が刃を抜く理由がない」


 その時、倉庫の外で“カン”と小さな金属音。

 胸の鍵が反応する。

 近い。

 手続き係が、近い。


 免疫が、淡々と呟いた。


「観測:名の重複継続」


 重複。

 器の健太は落とした。

 でも、まだ二人いる。


 堀口健太。

 そして俺の内側。


 世界はこれを長く許さない。

 だから“治癒”は必ず来る。


 セラが俺の顔を見て、静かに言った。

「健太。あなた、もう分かってるでしょ」


 分かってる。

 このままだと世界は選ぶ。

 削除対象を。

 そして恐らく――“異物”の方を消す。


 異物は、俺だ。

 この世界の堀口健太じゃない。

 裂け目から来たブレード。


 堀口健太が、急に言った。

「待って。

 俺……最近、変な夢見る」


 セラが目を細める。

「どんな」


 堀口健太は額に手を当て、言葉を探した。

「剣……いや、刃じゃない。

 もっと……光る輪?

 首が熱くて……

 それで、誰かの名前を――」


 彼はそこで止まる。

 言えない。

 “言わせない”圧が働いた。


 免疫が淡々と言った。


「徴収:予防」


 予防。

 未来の矛盾を潰すための徴収。

 夢の段階で、名を奪う。

 つまり――堀口健太も“候補”として加工され始めている。


 セラが歯を食いしばる。

「もう始まってる……」


 リナが無言で紙片を探し、床に指で文字を書いた。


『彼は候補?』


 セラが頷いた。

「そう。

 転生が当たり前の世界じゃないのに、

 地球側でも“手続き”が存在する」


 堀口健太が震える声で笑う。

「なにそれ……宗教?」


 セラは冷たく言った。

「宗教じゃない。

 制度」


 制度。

 役所みたいなもの。

 最悪の現実感。


 俺は台帳の最後の行を指で押さえた。

 そこに小さく書かれていた。


 『同名重複:解消推奨/削除候補:外来』


 外来。

 外から来た者。


 俺だ。


 喉の奥が焼けた。

 でも不思議と、恐怖より静けさが来る。

 覚悟が固まる時の静けさ。


 セラが俺を見て、囁いた。

「あなたが決めるしかない」


 堀口健太が俺を見る。

 目が揺れている。

「……俺、どうすればいい」


 俺は言いたかった。

 生きろ。

 逃げろ。

 この世界で生きろ。


 そのために俺ができることは、一つ。


 “堀口健太”を手放す。

 この世界でその名を持つのは、彼だけにする。

 俺は“ブレード”として生きる。

 内側の杭は、別の形にする。


 それは、俺が自分で自分を切る行為だ。

 でも世界に切られるより、俺が切る方がいい。


 俺は息を吸い、声にならない音を避けながら言った。


「……君は、生きる」


 堀口健太が固まる。

「え?」


 俺は続けた。

「……俺は、別の名で行く」


 セラが小さく頷く。

 リナが無言で拳を握る。

 賛成じゃない。

 でも理解している。


 その瞬間、倉庫の外の空気が薄くなる。

 来た。

 世界が“重複解消”を始める。


 免疫が淡々と告げた。


「治癒:名の分配」


 分配。

 名を片方に寄せる。

 片方から剥がす。


 俺の喉が熱くなる。

 奪われた音が、さらに痛む。


 セラが俺の手を掴んだ。

「今なら、主導権がある。

 “世界に任せるな”」


 俺は頷き、胸の鍵を握る。

 そして意志を、世界へ突きつけた。


(堀口健太は、あっちだ)

(俺は、ブレードだ)


 免疫が一拍だけ沈黙した。

 まるで、意外そうに。


「……観測:自己決定」


 自己決定。

 世界は嫌うはずなのに。

 でも――“矛盾を減らす”という目的には合う。


 だから通る。

 今だけ。


 俺の胸の奥が、軽くなる。

 同時に、ひどく寒くなる。

 名を剥がす寒さ。


 堀口健太が、喉を鳴らして言った。

「……俺の名前、奪われるの?」


 俺は首を振った。

 違う。奪うんじゃない。返す。

 元々ここにあるべき場所へ置く。


 その時、鉄扉の向こうから足音。

 静かで規律のある足音。


 手続き係。

 そして別の足音が混じる。

 多い。


 セラが歯を食いしばる。

「来た……」


 リナが無言で立ち上がり、血のついた手を握る。

 声はない。

 でも覚悟はある。


 俺は台帳を握り締めた。

 これは武器だ。

 地球側の“制度”が、教主と繋がっている証拠。


 そして――次の反転が見えた。


 台帳の余白に、細い字で追記がある。


 『対象:堀口健太/代替:ブレード(外来)

  移送条件:自己同意』


 自己同意。

 同意が必要。

 だから手続き係は“事故”で終わらせず、

 俺たちに選ばせようとしている。


 選んだ瞬間、鎖が完成する。

 教主の席へ繋がる。


 セラが低く言った。

「……同意させる気だ」


 俺は息を吐いた。

 世界に選ばせない。

 手続きにも選ばせない。


 選ぶのは――俺だ。

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