第35話 どっちが残る?――世界は“同じ名”を許さない
雨が止みかけていた。
でも路面はまだ濡れて、街の灯りを歪ませる。
角の狭い路地。
そこで俺たちは並んでしまった。
堀口健太。
器の健太。
そして――俺。
同じ名が、同じ場所にある。
世界が一番嫌う矛盾。
免疫の声が、街の雑音の裏で淡々と響く。
「観測:自己矛盾最大」
器の健太が傘を少し持ち上げ、笑った。
「じゃあ、どっちが残る?」
堀口健太が、俺と器の健太を交互に見た。
困惑。恐怖。
そして、理解できない怒り。
「……なに、これ」
俺は言いたかった。
逃げろ。
ここは危ない。
君は“予定”で殺される。
でも“健太”の音が出ない。
名を呼べない。
声は出るのに、肝心の音が欠ける。
世界の徴収。
俺の足元を削る罠。
手続き係の男は、俺の手首を掴んだまま低く言った。
「邪魔するな。
予定は予定だ」
予定。
教主の言葉。
世界の言葉。
セラが背後から滑り込んできた。
目立たない動き。
彼女は手続き係の男の肘を押さえ、俺を引き離す。
「健太、離れろ」
俺は一歩引いた。
だが器の健太の影が伸び、足首に絡む。
冷たい。
影が“触ってくる”。
器の健太が囁く。
「君の死の鍵、まだ温かいね」
胸の奥が痛んだ。
奪い返した核。
鍵。
器の健太は続ける。
「鍵がある限り、君は嘘を拒める。
だから――鍵ごと食べる」
食べる。
奪うじゃない。
“消化”して、戻せなくする。
背筋が凍った。
堀口健太が、ようやく動いた。
スマホを握り直し、手続き係の男を睨む。
「……あんた、誰だ」
手続き係は無表情で答えた。
「役所みたいなものだ」
最悪の比喩。
人を運ぶ役所。
魂を転送する役所。
堀口健太が言った。
「俺、何かした?」
その言葉が胸に刺さる。
何もしてない。
だからこそ殺される。
器の健太が笑う。
「したよ。
生きた」
生きたことが罪。
矛盾が最大になると、世界はそう言う。
免疫が淡々と告げた。
「治癒:統合」
統合。
同じ名を一つにする。
つまり――
堀口健太と俺を、ひとつにまとめる。
そして余剰を捨てる。
余剰は誰だ。
器の健太?
俺?
堀口健太?
世界は優しくない。
合理的に削る。
セラが歯を食いしばり、俺の耳元で囁く。
「健太。
統合されたら、あなたの内側の名が“外”に出る」
外に出たら終わる。
教会にも背教にも拾われる。
そして免疫が、観測の名で固定する。
リナが遅れて路地に入ってきた。
声は出ない。
でも目だけで叫んでいる。
(やめろ)
彼女は手で空に文字を書いた。
『統合=死』
その通りだ。
統合は、俺の消滅か、堀口健太の消滅。
どちらにせよ“俺たちの選択”ではない。
だから、ズラす。
世界の治癒をズラす。
でも奉納はもうしたくない。
削られる。
だから――奪う。
俺は胸の鍵を握り、器の健太を見た。
鍵の核は、あいつから奪った。
なら次も同じ。
“治癒の命令”を、器から奪う。
器の健太は影を伸ばし、俺の喉元へ指を伸ばす。
その指先が触れた瞬間、映像が来た。
駅前。
刃。
熱。
視界の歪み。
今度は、犯人の輪郭が少しだけ鮮明だった。
フードの男。
手続き係の印。
――こいつだ。
手続き係が、通り魔の“役”をやった。
予定の刃は偶然じゃない。
手続きの一部。
俺の中で何かが“カチ”と合った。
鍵が、正しく回った。
器の健太が驚いた顔をした。
「……あ、今、見たね」
見た。
真実に近い映像。
だから次に来るのは、恐怖じゃない。
怒りだ。
俺は声を出さずに、唇だけで言った。
(奪う)
身体が勝手に動いた。
ブレードの肉体が覚えている最短距離。
俺は器の健太の首元へ踏み込み、結び目を狙う。
だが地球に剣はない。
木剣もない。
だから――指で折る。
俺は器の健太の銀鎖の結び目に、指を差し込んだ。
冷たい金属が皮膚に刺さる。
器の健太が呻く。
「……やめ……!」
俺は捻った。
結び目をほどくんじゃない。
“噛み合わせ”をずらす。
カチ。
小さな音。
俺の胸の鍵と同じ音。
器の健太の影が、一瞬だけ静止した。
そして――手続き係の男の目が揺れた。
何かが“繋がった”。
器の健太は教主の道具。
手続き係は地球側の窓口。
その間にある命令系統が、結び目に入っている。
俺はその結び目を、今、掴んだ。
免疫が淡々と言った。
「観測:命令ズレ」
ズレた。
統合の命令がズレた。
手続き係が舌打ちする。
「……余計なことを」
その瞬間、彼がポケットから刃を抜いた。
もう隠さない。
“予定の刃”を、予定外の方向へ使う。
狙いは――堀口健太。
堀口健太が後ずさる。
恐怖で足が絡む。
リナが無言で飛び出した。
声のない叫び。
彼女は素手で刃を掴みにいく。
血が飛ぶ。
赤が雨の残りに溶ける。
セラが叫んだ。
「リナ!!」
リナは叫べない。
でも目で叫ぶ。
(止める)
俺は踏み込んだ。
手続き係の腕を掴み、捻る。
刃が落ちる。
ガン、とアスファルトに当たって鳴る。
その音に、免疫が反応した。
街の空気が薄くなる。
人々の動きが、僅かに遅れる。
世界が介入し始める。
矛盾が大きすぎるから。
免疫が淡々と告げた。
「治癒:削除対象選定」
削除。
誰かが消される。
誰が“余剰”にされる。
器の健太が、結び目を押さえながら笑った。
苦しそうな笑い。
「……ほらね。
世界は選ぶよ」
堀口健太が震える声で言った。
「……俺、どうなってんだよ」
俺は言えない。
名を呼べない。
でも目で伝える。
(生きろ)
セラが俺の手を掴み、低く言った。
「健太。
世界に選ばせるな。
“余剰”をこちらで決める」
余剰をこちらで決める。
つまり――器の健太を切り捨てる?
でも器は道具。
本体は教主。
ここで切っても終わらない。
それでも今は、
世界の削除を回避するには、
矛盾の数を減らすしかない。
器の健太が、俺を見て囁いた。
「君が選べばいい。
僕を捨てる?
それとも、彼を捨てる?」
最悪の問い。
選択が鎖になる。
同情も鎖になる。
免疫が淡々と繰り返す。
「削除対象、選定中」
時間がない。
世界が選ぶ前に、こちらが動く。
俺は決めた。
器の健太を“殺す”んじゃない。
器の健太を“別の場所へ落とす”。
分離。
統合の逆。
裂け目を作る。
それは本来、俺が作った“重要”なもの。
チャプターの根幹。
俺は胸の鍵を握り、地面の濡れたアスファルトに指を当てた。
そして、声にならない音で意志を押し込む。
(裂けろ)
足元の影が、細く割れる。
髪の毛一本の裂け目。
器の健太の影が反応し、吸い寄せられる。
彼の顔が驚きに変わった。
「……え?」
セラが低く言う。
「今!」
俺は器の健太の腕を掴み、裂け目へ突き落とした。
器の健太は笑いも泣きもせず、ただ言った。
「……また、会うよ」
そして影に飲まれた。
裂け目はすぐ閉じた。
薄い線が消える。
地面はただの濡れたアスファルトに戻る。
免疫が淡々と言った。
「治癒:矛盾減少」
空気が少し戻る。
人々の動きが正常になる。
世界の削除が、一拍止まった。
でも――終わりじゃない。
手続き係の男が笑った。
「いい。
予定はズレても、手続きは続く」
彼は堀口健太を見た。
「次の手続きを始める」
俺は歯を食いしばった。
俺はまだ死んでない。
なら、今日の俺も死なせない。




