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第32話 死の真実に近い音――“通り魔”は便利すぎる

穴の中は、湿っていた。

 土と石の匂い。

 そして――薄い香。


 礼拝堂の香に似ている。

 背中が冷える。


 セラが指先で壁をなぞり、舌打ちした。


「……ここ、捨て道じゃない。

 “回収路”だ」


 回収路。

 逃げる道じゃない。

 回収するための道。


 上で足音が響く。

 伯爵家の騎士が穴の入口を探している。

 教会の巡察司祭も近い。


 リナは声が出ないまま、剣を構える。

 胸の烙印がまだ熱い。

 息が浅い。


 セラが床に指で書いた。


『息、数えて。旅剣。』


 リナは頷く。

 (旅剣リナ)

 心で仮名を握り、呼吸を整える。


 俺は名を杭にできない。

 奪われた音がある。

 だから代わりに――“鍵”を握る。


 胸の奥の欠片。

 嘘を壊した核。

 これがある限り、空白は少しだけ自分のもの。


 通路はゆるく下っていた。

 やがて、鉄の扉が見えた。


 古い。

 でも鍵穴が新しい。

 新しく作り直した痕。


 セラが低く言う。


「……最近使ってる」


 つまり、誰かが。

 教会か、背教か。

 もしくは伯爵家の内通者。


 扉の向こうから、微かな声が漏れた。

 祈祷文じゃない。

 作業の声。

 帳面をめくる音。


 俺は息を止め、耳を当てる。


 ――聞こえた。


「堀口健太、移送完了」


 俺の背筋が凍った。


 “通り魔で死亡”じゃない。

 移送。

 輸送。

 処置の用語。


 しかも、その声。


 俺の声だ。


 自分の声で、自分の死を“手続き”している。

 吐き気がした。

 便利すぎる。

 通り魔は、便利な嘘だ。


 セラが俺の顔を見て、囁く。


「聞こえたの?」


 俺は頷く。

 声にできない。

 奪われた音がある。

 だから胸を指で叩き、示す。


(死は、手続きだった)


 その瞬間、扉の向こうで紙が止まった。

 気配が動く。


「……誰だ」


 低い男の声。

 巡察司祭とは違う。

 伯爵家の護衛長とも違う。


 そして――扉が開いた。


 中にいたのは、教会の回収班。

 黒い手帳。

 銀の輪。

 冷たい目。


 だが先頭の男の首に、銀鎖はない。

 代わりに皮膚に薄い刻印。

 教会と背教の中間みたいな印。


 “管理されつつ、管理する側”。


 男は俺を見て、静かに言った。


「第三候補ブレード。

 空白、鍵、回収」


 短い。

 容赦がない。


 上から、足音が近づく。

 伯爵家の騎士たちが合流する。

 挟まれる。


 セラが低く言った。


「……ここで捕まったら、終わり」


 リナは声が出ない。

 でも剣を構え、前に出る。

 無言の覚悟。


 俺は木剣を握る。

 身体は戦える。

 でも名が弱い。

 言葉が使えない。


 それでも――鍵がある。


 回収班の男が黒い手帳を開いた。


「処置:再結合」


 再結合。

 器の健太と合わせて、確定させる。

 空白を埋め、都合のいい“主人公”にする。


 俺は歯を食いしばり、

 胸の鍵を握りしめた。


 そして“声”じゃなく、

 “観測”に向けて意志を投げる。


(嘘は、入れさせない)


 免疫が、どこかで淡々と言った気配がした。


「観測:矛盾継続」


 矛盾。

 世界は嫌うのに、消せない。

 例外の反動で徴収したのに、まだ足りない。


 回収班の男が眉をひそめた。


「……干渉?」


 その一拍、セラが動いた。

 壁の継ぎ目を蹴り、隠し扉の留め具を外す。


 ガン!


 石壁がずれて、狭い横穴が開いた。

 まさかの逃げ道。


 セラが叫ぶ。


「こっち!!」


 リナが無言で俺の腕を掴み、引く。

 声はない。

 でも力がある。


 回収班の男が手を伸ばす。


「止まれ」


 その言葉で、俺の銀鎖が熱を持った。

 命令。

 名簿の鎖。


 止まるな。

 止まったら捕まる。


 俺は鍵を握り、

 “命令の言葉”の結び目を感じ取る。


 見えない糸。

 音の結び目。

 それを――ずらす。


 俺は声を出さずに、唇だけ動かした。


「……」


 音は出ない。

 でも意志が糸を擦る。


 銀鎖の熱が、一拍だけ散った。

 命令が滑った。


 その一拍で、俺たちは横穴に滑り込む。


 背後で回収班の男が舌打ちした。


「……鍵持ち」


 横穴は狭く、息が詰まる。

 土の匂いが濃い。

 だが進める。


 そして、奥に――薄い光。


 裂け目。

 自然に開いた細い線。

 でも今度は、草原の匂いじゃない。


 乾いたアスファルト。

 排気。

 コンビニの甘い匂い。


 地球の匂い。


 俺の心臓が跳ねた。

 “逆側”。

 俺がかつて飛んだ方向。


 セラが息を呑む。


「……戻り先が、地球?」


 リナは声がないまま、目を見開く。

 帰れるのか。

 それとも――落とされるのか。


 免疫が淡々と言った。


「治癒:分離」


 分離。

 俺たちを分けるつもりだ。

 世界は、矛盾を散らして弱める。


 セラが歯を食いしばる。


「分けさせない!」


 彼女はリナの手を掴み、俺の服を掴む。

 三人を一つに繋ぐ。

 力で。


 上から、回収班の足音が迫る。

 伯爵家の騎士の怒号が混じる。


「捕らえろ!」


 逃げるしかない。

 でも裂け目は危険だ。

 地球に落ちたら、戻れないかもしれない。


 それでも――

 ここで捕まるよりはマシだ。


 俺は息を吸い、

 奪われた音を避けながら、

 口の中だけで誓った。


(俺は、俺の真実を取り返す)


 そして三人で、裂け目へ飛び込んだ。


 最後に聞こえたのは、

 回収班の男の低い声だった。


「堀口健太――」


 呼びかけの途中で、音が千切れた。


 俺の“死”は通り魔じゃない。

 手続きだ。

 移送だ。


 その真実に近い音だけが、

 胸の鍵に残った。

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