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第31話 徴収――言葉が奪われると、人は折れる

森を抜けた先は、痩せた草原だった。

 風が強い。

 匂いが散る。

 追跡が鈍る。


 ――そのはずなのに。


 背中が冷たい。

 見られている。

 免疫の観測が、ずっと背後に貼り付いている。


 セラが小さく言った。


「徴収は、来る」


 俺は掌を握り直した。

 胸の奥に戻った“鍵”。

 空白が勝手に裂ける感覚は、消えた。

 でもそれは勝利じゃない。


 世界は必ず帳尻を取る。


 リナが胸を押さえたまま、歩幅を落とす。

 烙印の熱が、首じゃなく胸の奥に移っている。


「……息が、熱い」


 その言葉が落ちた瞬間、

 空気が“薄く”なった。


 風が止まる。

 鳥の声が消える。

 草の揺れが遅れる。


 世界が、反応した。


 免疫が、どこからともなく淡々と言った。


「徴収、開始」


 セラが息を呑む。


「……来た」


 リナが唇を開き、何かを言おうとした。

 だが――声が出ない。


 喉が動いているのに、音が生まれない。

 口が形を作っても、空気が震えない。


 沈黙。


 リナの目が見開かれ、恐怖が走る。

 彼女は胸を押さえたまま、必死に声を出そうとする。


 出ない。


 セラがリナの頬を叩いた。

 優しさじゃない。確認の叩き。


「……声が、取られた」


 俺の喉が焼けた。


「徴収って……それかよ」


 免疫は淡々と言う。


「例外の代償:音声」


 音声。

 護符で回収を滑らせた代償が、これ。


 声を奪う。

 それは命を奪うより優しいふりをした処置だ。

 でも戦えなくなる。

 助けを呼べない。

 名を否定できない。


 リナは震える手で剣の柄を掴む。

 声がなくても、剣は握れる。

 でも――烙印は、声が出ないことを“別の燃料”にする。


 リナの胸の烙印が赤く脈打ち、

 今度は“言葉”じゃなく“呼吸”を縛り始めた。


 息が細くなる。

 酸素が足りない。

 目の焦点が揺れる。


 セラがリナの背を強く叩き、口元に布を当てた。


「吸って。吐いて。

 声じゃなく、息を数えて」


 リナは頷く。

 声のない頷き。


 俺は歯を食いしばり、草原の先を見た。

 遠くに廃屋がある。

 石造りの小屋。

 屋根が半分落ちている。


「そこまで行く」


 セラが短く頷き、リナの腕を肩に回す。

 俺が反対側を支えた。


 歩く。

 足音だけが世界に残る。


 そして――嫌なことに気づく。


 声が奪われたのはリナだけじゃない。

 世界は“徴収”を一つで済ませない。

 必ず、もう一枚剥ぐ。


 俺は自分の喉に手を当てた。

 声は出る。

 でも――言葉の端が欠けている。


 試しに、心の杭を口にしようとした。


「……堀口……」


 出た。

 続けて言おうとした。


「……健……」


 止まった。


 “健太”の最後の音が、舌の上で消えた。

 言えない。

 音が抜け落ちる。


 俺は息を呑んだ。


(徴収は、リナの声だけじゃない)

(俺の“名”の一部も取られてる)


 免疫が淡々と言った。


「徴収:固有音」


 固有音。

 個人の名に含まれる音。

 つまり、俺の“健太”の核の音が、奪われた。


 名を声にできなければ、固定に抗えない。

 杭が打てない。


 セラが俺の顔を見て、低く言う。


「……喋るな。

 奪われた音を無理に出そうとすると、さらに持っていかれる」


 俺は頷いた。

 声を出すのが、罠になった。


 廃屋へ辿り着き、扉を押す。

 中は暗い。

 獣の匂い。

 でも今は贅沢を言えない。


 リナは壁に寄りかかり、必死に呼吸を整える。

 声がないせいで、苦しいのに助けを求められない。


 セラが床に指で文字を書いた。


『声はいつ戻る?』


 免疫は答えない。

 答える義務がない。

 世界は優しくない。


 その時、外で草が踏まれる音がした。

 複数。

 規律の足音。


 俺の首の銀鎖が熱を帯びる。

 回収。

 来た。


 セラが窓の隙間から外を見て、顔色を変えた。


「……伯爵家の騎士」


 伯爵家。

 追手。

 裏切り。


 セラが続ける。


「教会の巡察司祭もいる」


 最悪の合流。

 家が売った。

 夜明けまで待てと言った教会の期限を、伯爵家が短縮した。


 “取引”だ。

 家族を守るために、俺たちを渡す。


 外から、聞き慣れた声がした。

 伯爵の護衛長の声。


「第三候補ブレード!

 抵抗は許されない!」


 ブレード。

 表の名。

 その呼び名が、鎖を引く。


 リナが剣を握り、無言で立ち上がる。

 声はない。

 でも目は折れていない。


 セラが囁く。


「健太、逃げる。

 戦うと世界が“傷”と判断して介入が増える」


 逃げる。

 でも出口は――一つ。


 その時、廃屋の奥の床板が、きし、と鳴った。

 誰も踏んでいない。


 床板が勝手に“浮く”。

 下に、暗い穴。


 地面の裂け目。

 自然に開いた“逃げ道”。


 免疫が淡々と言った。


「治癒:誘導」


 誘導。

 世界が、逃げ道すら管理する。

 でも今は――使うしかない。


 セラが短く言う。


「降りる!」


 リナが無言で頷く。

 俺たちは穴へ滑り込んだ。


 外で扉が破られる音がする。

 同時に、巡察司祭の声が聞こえた。


「確保だ。名を――」


 その声が途切れ、

 暗闇だけが落ちてくる。

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