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第26話 自分VS自身――“器”は泣かない

地下礼拝堂の空気が、息を拒んだ。

 香と鉄と、祈りの匂い。


 祭壇の前。

 教主の笑顔。

 そして――黒い傘を持つ“もう一人の堀口健太”。


 俺は自分の指先が冷えるのを感じた。

 名を奪い合った影の夜を思い出す。

 いや、思い出せない。

 俺は“死”を捨てた。


 空白がある。

 だからこいつの存在が、妙に現実味を持つ。


 “器”の健太が言った。


「今度は逃がさない」


 声が俺の声に似すぎていて、吐き気がする。


 リナが剣を構える。

 だが首筋の烙印が赤く光り、身体が一瞬止まる。


「……っ、熱い……!」


 教主が優しく囁く。


「名乗って」


 リナの喉が震える。

 言葉が上がってくる。

 自分の名が、強制的に。


 セラが歯を食いしばって叫んだ。


「リナ、噛み殺して!」


 リナは唇を噛む。

 血が滲む。

 それでも烙印は燃える。


 教主は笑った。


「素敵。抵抗は、処置を楽しくする」


 最悪だ。


 俺は“器の健太”へ視線を向けた。

 そいつの首には銀鎖。

 俺のより冷たい。完成に近い。


 アークが胸の奥で低く言う。


 ――あれは、俺の失敗の残りだ。

 ――切り捨てた道の化け物。


 器の健太がゆっくり傘を閉じる。

 傘の先が床に触れた瞬間、

 礼拝堂の影が一枚増えた。


 分裂。

 背教の刺客の時と同じ。


 器の健太が静かに言う。


「僕は“名前”だから、斬れない」


 俺は木剣を握る。

 訓練場で勝手に動いた剣。

 でも今は木剣じゃ足りない。


 セラが囁いた。


「健太。あれは“名の塊”。

 斬るなら――結び目」


 結び目。

 銀鎖の誓約の結び目。

 あるいは偽記憶の結び目。


 教主が指を鳴らす。

 祭壇の黒い手帳が勝手に開き、

 文字が浮かび上がる。


『処置:再結合』


 再結合。

 俺と器の健太を、ひとつにする。

 つまり、俺を“確定”させる。


 器の健太が歩き出す。

 足音が雨の夜みたいに響く。


「欠けた分、返すよ」


 その言葉が怖い。

 返す、じゃない。

 奪うための言葉だ。


 俺の空白――死の記憶。

 それを“返す”と言って、

 代わりに俺の名を奪う。


 リナが踏み出そうとして、

 烙印が焼けて膝が折れかける。


「……っ、やめ……」


 教主が柔らかく言った。


「名乗ったら楽になる」


 セラが叫ぶ。


「楽になるのは“あなた”じゃない!」


 器の健太が俺の前に立った。

 距離、腕一本分。

 近すぎる。


 器の健太が手を伸ばす。

 指先が俺の銀鎖へ。


 触れられた瞬間、

 銀鎖が悲鳴みたいに鳴った。


 ぎち――!


 喉が焼け、目の奥が白くなる。

 空白が開く。

 そこへ何かが流れ込む。


 駅前。

 曇天。

 刃の光。


 ……違う。

 思い出せないはずだ。

 なのに映像が入ってくる。


 器の健太が囁く。


「ほら、返すよ。

 君の“始まり”」


 やめろ。

 それは対価で捨てた。

 戻すなら、別の代償が要る。


 俺は喉の痛みを無視して叫んだ。


「……忘却!」


 銀鎖が冷える。

 器の健太の目が一拍だけ曇る。


「……あ?」


 その一拍で、俺は剣を振り上げる。

 狙うのは喉じゃない。

 首鎖の“結び目”の位置。


 アークの声が導く。


 ――そこだ。


 カン!


 木剣が銀鎖に当たり、

 金属みたいな音がした。


 器の健太が初めて顔を歪めた。


「……痛い?」


 痛いんだ。

 つまり斬れない“名前”じゃない。

 結び目は傷つく。


 教主が笑った。


「いいね。

 壊し方を覚えた」


 最悪の褒め言葉。


 器の健太が後退る。

 だが影が伸び、俺の足首に絡む。

 引き倒される。


 リナが歯を食いしばり、

 烙印の熱に逆らって剣を投げた。


 ガン!


 剣が影を裂き、俺の足が自由になる。

 リナは膝をつきながら叫ぶ。


「……名乗らない……!」


 強い。

 でも限界が近い。


 セラが唇を噛んだ。

 そして――ついに言った。


「リナ、聞いて。

 私、処置室で見た」


 教主が笑う。


「語れ」


 セラは教主を睨み、吐き捨てた。


「教会は“候補”を選んでない。

 “作ってる”のよ」


 空気が冷える。


 セラが続ける。


「処置室は、名を削って都合の良い形にする工房。

 勇者候補も魔王候補も、

 最初はただの“異物”」


 リナの目が揺れる。

 教会騎士としての信仰が、ひび割れる。


 セラが言い切った。


「私が逃げた夜、司祭たちが笑ってた。

 『勇者は増やせる』

 『魔王は育てられる』

 『最後にウルボロスへ捧げる』って」


 礼拝堂が一瞬、凍った。


 教主の笑顔が、ほんの少しだけ固くなる。


「……余計なことを」


 セラは震える声で叫ぶ。


「余計じゃない!

 健太の空白に偽記憶を入れてるのも、あなたでしょ!」


 器の健太が笑った。


「僕は器。

 入れるのは、教主」


 その言葉で、背筋が凍る。

 器の健太は道具。

 本体は教主。


 教主が立ち上がった。

 手帳のページがめくれる。


『処置:強制命名』


 リナの烙印が臨界に達する。

 彼女の口が勝手に開きかける。


 セラが叫ぶ。


「リナ!!」


 リナは涙を浮かべながら、

 それでも唇を噛みしめた。


 血が落ちる。

 床の円が、その血を吸った。


 円が光る。

 裂け目が開きかける。


 免疫が影で呟いた。


「傷、拡大」


 俺は決めた。

 ここで終わらせない。


 俺は教主を睨み、喉が裂けるのを覚悟して言った。


「……奉納する」


 教主の笑顔が歪む。


「誰へ?」


 俺は言い切った。


「……世界へ。

 “この場の支配”を」


 免疫が反応する。

 影が濃くなり、礼拝堂の光が乱れる。


 教主が低く笑った。


「上手くなったね」


 次の瞬間、

 床の円が爆ぜるように光り、

 俺たちの足元が抜けた。

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