第25話 地下礼拝堂――“家の井戸”は、最初から教主へ繋がっていた
夜。
屋敷の灯りが落ちる時間。
セラは迷いなく俺とリナを連れて、
廊下の奥へ向かった。
「門じゃない。
出るなら“下”」
下。
地下。
井戸。
俺の背中が冷えた。
井戸はもう信じられない。
でも井戸しかない。
廊下の途中、リナが小さくうめく。
首筋の烙印が熱を持つ。
俺は反射で銀鎖の内側を思い出す。
『忘却』
だがリナに使えば、
彼女の誓約が裂けるかもしれない。
セラが言った。
「烙印は“名”で燃える。
あなたの名を声に出させようとしてくる」
リナが歯を食いしばる。
「……私の名を?」
「そう。
自分で名乗ったら確定して、首が締まる」
俺はリナの目を見る。
彼女は頷いた。
「……言わない」
強い。
でも熱は強まる。
地下への階段の前に、
見張りが一人いた。
あの若い騎士。
顔色が悪い。
目の焦点が合っていない。
「通すな」と言うべきなのに、
彼は動かない。
セラが小さく呟いた。
「……遅い」
遅い?
次の瞬間、若い騎士の胸元が裂けた。
ズン。
音もなく、背中から刃が抜ける。
黒い刃。
背教の刃。
若い騎士は、声も出せず崩れた。
背後に立っていたのは、
伯爵家の侍女だった。
いや、侍女の服を着た“刺客”。
顔は優しいまま。
目だけが冷たい。
胸に、舟の紋章。
リナが叫ぶ。
「背教……!」
刺客は笑った。
「夜明けまで?
そんなに待つと思った?」
セラが歯を食いしばる。
「内通者は一人じゃない……!」
刺客が俺を見る。
「第三候補。
井戸へ行くんでしょ?」
知っている。
誘導している。
俺の中のアークが低く唸った。
――教主の手だ。
――ここで剥ぐ気だ。
刺客が指を鳴らす。
階段の下から、祈祷文のざわめきが聞こえた。
教会の声じゃない。
背教の祈り。
地下に、礼拝堂がある。
セラが俺の腕を掴む。
「下へ。
下に行けば出口がある」
「また井戸?」とリナ。
「井戸じゃない。
“礼拝堂の裏口”」
刺客が笑う。
「正解。
でも裏口は、教主の席に繋がってる」
教主。
処置室の男。
俺は息を吸い、喉が焼ける前に言った。
「……忘却」
銀鎖が冷え、刺客の目が一拍だけ曇る。
「……あ?」
その隙に三人で階段を駆け下りた。
地下は冷たい。
香が濃い。
鉄の匂い。
松明の灯りの先に、
石造りの小さな礼拝堂があった。
床に円。
祈祷文。
棘の輪。
塔の処置室と同じ構造。
違うのは、壁に描かれた紋。
黒い輪。
ウルボロス。
最悪だ。
伯爵家の地下に、最初からあった。
リナが震える声で言った。
「……伯爵家は、最初から……」
セラが答える。
「違う。
“誰かが”作った。
家が気づかない形で」
礼拝堂の奥、
祭壇の上に黒い手帳が置かれていた。
教会のものに似ていて、
でも紙の質が違う。
黒く、艶がある。
生き物みたいだ。
そして祭壇の前に、
椅子が一つ。
そこに座っていた。
あの男。
教主。
穏やかな笑顔。
「おかえり」
喉が凍った。
ここまで来るのも、彼の想定通り。
教主は指を組み、リナを見る。
「異端の烙印、綺麗だね」
リナが歯を食いしばる。
首筋が熱で光っている。
教主は俺を見る。
「第三候補。
奉納者。
そして――」
教主の目が細くなる。
「空白持ち」
空白。
死の記憶を捨てた穴。
教主は優しく言った。
「埋めてあげる」
その瞬間、偽記憶がまた押し寄せた。
俺は自分から首輪を望んだ。
俺は教会に助けを求めた。
俺は――
違う。
セラが叫ぶ。
「健太!
空白を埋めるな!」
俺は心の中で名を杭にする。
(堀口健太)
教主は微笑んだまま、
祭壇の手帳を開いた。
「では次の取引」
ページがめくれ、
そこに書かれていた言葉に、セラが息を呑んだ。
『次のサド候補:ブレード・ファン・エイル
期限:八年』
八年。
残り八年。
設定と一致する数字が、現実になった。
俺の胸の奥が熱くなる。
アークが低く言った。
――見たか。
――こいつらは“予定”で世界を動かす。
教主が穏やかに言う。
「君は八年で完成する。
完成したら、ウルボロスの前に座る席がもらえる」
恐ろしい誘惑。
完成=自分が消える。
リナが叫ぶ。
「ふざけるな!」
教主は微笑んだ。
「怒るのは正しい。
怒りは名前を強くする」
そして教主は、リナの烙印へ指を向ける。
「名乗って」
リナが喉を押さえ、息を詰まらせる。
烙印が燃える。
名を吐かせようとする。
俺は反射で叫びそうになった。
忘却で止めろ、と。
でもリナに忘却を打てば、
彼女の誓約が裂ける。
彼女が壊れる。
セラが囁いた。
「健太。
あなたの奉納の権利を使って」
奉納。
また代償。
俺は歯を食いしばり、免疫を探す。
礼拝堂の影が遅れて揺れた。
免疫が、そこに“いる”。
観測している。
俺は喉が焼けるのを無視して言った。
「……世界へ」
奉納の言葉を先に置く。
教主の言葉をズラす。
免疫が淡々と言った。
「観測:介入可能」
教主の笑顔がほんの僅かに歪んだ。
「やるね」
その瞬間、礼拝堂の床の円が光った。
裂け目が開きかける。
だが――
祭壇の裏の影から、もう一人が現れた。
黒い傘。
冷たい銀鎖。
落ち着いた目。
“完成品”の堀口健太。
影の世界で消えたはずの、あいつ。
彼は静かに言った。
「今度は、逃がさない」
俺の背筋が凍った。
残骸は奪い返した。
なのに“器”が残っている。
教主が微笑む。
「二人の健太。
どっちが本物か、決めよう」
最悪の舞台が整った。




