第22話 第三候補――名簿に刺さる針と、剣が勝手に動く朝
朝の空気は冷たかった。
伯爵邸の中庭に霜が残っている。
なのに俺の首の銀鎖は、熱いままだ。
観測継続。
世界が見ている。
だから呼吸さえ、誰かに数えられている気がする。
俺は歩きながら、心の中で名を繰り返した。
(堀口健太)
(堀口健太)
表の名は、ブレード。
内側の名は、健太。
矛盾の杭。
これが抜けたら、俺は倒れる。
廊下の先、扉の前にセラが立っていた。
寝不足の目。
でも笑っている。
「こっち」
案内された部屋は、小さな書庫だった。
壁一面に帳面。
赤い背表紙、黒い背表紙、白い背表紙。
どれも“名”が詰まっている。
机の上には、
伯爵家の家印が押された分厚い台帳。
横に、銀色の針。
針。
ペンじゃない。
セラが言う。
「第三候補の登録は“書く”んじゃない。
刺すの」
刺す。
名簿に針を刺して、穴を作る。
穴に名前を通す。
それで鎖の繋ぎ替えが起きる。
リナが眉をひそめた。
「……気持ち悪い儀式ね」
セラは淡々と頷く。
「気持ち悪いほど、よく効く」
俺は台帳を覗く。
行が並び、
ところどころに小さな穴がある。
穴が開いた行。
そこが“第三候補”だ。
セラが針を持ち上げ、俺へ言った。
「名前は二つあるでしょう?
でも刺せるのは一つだけ」
表の名。
ブレード。
セラが針先を台帳の上に置く。
「刺す瞬間に、心の中でだけ本名を言って。
声に出したら教会が拾う」
リナが俺の肩に手を置く。
「大丈夫。私が外を見てる」
外。
廊下。
気配。
でも監視者は、壁の内側にもいる。
免疫は見ている。
だから油断できない。
俺は息を吸い、
喉の焼けを抑えて頷いた。
セラが針を振り下ろす。
ツン。
紙に刺さる音は、小さかった。
なのに頭の奥で、金属音が鳴った。
カン。
鐘の音に似ている。
銀鎖が反応し、ぎち、と締まる。
息が詰まる。
セラが冷たく言う。
「心で言って」
俺は心の中で叫んだ。
(堀口健太)
すると銀鎖の締め付けが一拍だけ緩む。
熱が分散する。
首の皮膚が息をした。
台帳の穴が、ほんの僅かに光った。
紙の繊維の奥に、道が開く。
セラが頷く。
「通った」
リナが小さく息を吐いた。
「これで教会の名簿と切れた?」
セラは首を横に振る。
「切れない。
でも“直結”じゃなくなる」
直結じゃなければ、
回収班の手が一瞬遅れる。
背教の刃も一瞬遅れる。
その一瞬が、生存時間。
机の上の台帳の行に、
新しい記載が浮かび上がった。
『第三候補:ブレード・ファン・エイル
保護者:伯爵家
監視:世界(免疫)』
世界(免疫)。
監視者として明記された。
俺は笑えない。
逃げ道が増えた代わりに、
檻の形が変わっただけ。
セラが針を置き、俺を見る。
「次は訓練場。
ここから先は“紙”じゃ守れない」
力。
剣。
身体。
俺は頷いた。
*
訓練場は広かった。
砂地。
木剣の並ぶ棚。
見学の騎士たち。
その中央に、伯爵家の若い騎士が立つ。
昨日、真名薬を持っていた男。
目が冷たい。
「第三候補ブレード。
お前の実力を確認する」
確認。
また確認。
俺は木剣を取った。
重い。
でも握った瞬間、
指が“正しい位置”に勝手に収まった。
身体が覚えている。
リナが小声で言う。
「……構えが変わった」
俺は驚いた。
俺が構えたんじゃない。
剣が俺を構えさせた。
若い騎士が木剣を構える。
「始め」
砂を蹴る。
踏み込み。
木剣が振られる。
俺は――考える前に避けた。
最小の動き。
剣先が頬をかすめる。
次の瞬間、
俺の腕が勝手に動いた。
スッ。
木剣が相手の喉元に止まっていた。
静かすぎて、
自分でも怖い。
訓練場が凍る。
見学の騎士が息を呑む。
若い騎士の目がわずかに揺れた。
敗北の揺れ。
「……」
俺は木剣を下げようとして、
下げられなかった。
身体が、まだ“狩り”を続けたがっている。
胸の奥のアークが、低く言った。
――それが元の剣だ。
――ブレードの肉体は、俺の影響を受けている。
影響。
俺が強くなったんじゃない。
元々強い身体が、戻ってきただけ。
それでも、力は力だ。
若い騎士が小さく笑った。
嫌な笑い。
「……やはり、異常だ」
異常。
この世界での“異端”の呼び方。
その瞬間、訓練場の端の影が揺れた。
風がないのに、旗が揺れる。
砂が逆に流れる。
リナが剣を抜いた。
「来る!」
見学席の騎士たちがざわめく。
でも誰も“見えていない”。
見えているのは俺とリナとセラだけ。
そして――
影の中から現れた黒いローブ。
背教。
狩人ではない。
もっと無口な“刺客”。
顔が布で隠れている。
胸に舟の紋章。
刺客は俺を見て、
短く言った。
「第三候補、確保」
確保。
回収と同じ言葉。
若い騎士が一歩引いた。
驚いていない。
……知っている。
この屋敷内に背教がいる。
伯爵家の中に、手引きがいる。
セラが低く呟いた。
「……来た。
登録の穴を嗅ぎつけた」
俺の首の銀鎖が熱を持つ。
背教の“剥ぎ”と教会の“修正”が、
同時に近づいてくる合図。
刺客が跳ぶ。
速い。
剣を抜く動作が見えない。
リナが前に出て受ける。
ガン!
木剣のはずの俺の剣が、
金属みたいな音を出した。
砂が跳ねる。
リナが叫ぶ。
「健太!
あなた、剣を合わせて!」
合わせる。
チーム。
三人パーティ。
俺は息を吸い、
心の中で名を打ち込む。
(堀口健太)
木剣を握り直し、
身体が覚えている動きに任せる。
刺客の刃を、横から叩く。
ガン!
リナの剣が同時に入る。
刺客の体勢が僅かに崩れた。
崩れた瞬間、セラが叫ぶ。
「今!
首を見て!」
刺客の首元。
そこに銀鎖はない。
代わりに、輪の刻印が皮膚に直接焼き付いている。
それは教会の封印じゃない。
背教の“刻印”。
セラが震える声で言う。
「……背教は、首輪じゃなく“焼く”のね」
怖い。
どっちも同じだ。
名を縛る。
魂を管理する。
刺客が低く言った。
「抵抗、不要」
そして――
刺客の影が分裂した。
二体。
いや、影だけが増える。
免疫が、訓練場の外で淡々と呟いた。
「傷、拡大」
観測が強まる。
世界が介入を始める。
伯爵家の若い騎士が、ようやく叫んだ。
「守れ!」
遅い。
遅すぎる。
これは最初から用意された襲撃だ。
第三候補の登録をした瞬間、
背教が屋敷内で動くように。
俺の胸の奥のアークが、低く言った。
――殺せ。
――迷うな。
――こいつは、剥ぐ。
殺せ。
木剣で?
でも相手は殺しに来ている。
リナが叫ぶ。
「健太!
あなたの“忘却”で影を止めて!」
忘却。
また呪いの武器。
代償が怖い。
でも今は――
俺は喉が焼けるのを無視して叫んだ。
「……忘却!」
銀鎖が冷え、
刺客の影の動きが一拍だけ止まる。
影が“目的”を失う。
その隙に、
リナの剣が刺客の腕を弾き、
俺の木剣が喉元へ入った。
止まる。
ギリギリで止める。
殺すか、止めるか。
迷った瞬間――
刺客の口元が布の下で笑った気がした。
「……それでいい」
刺客は自分から後退し、
影に溶けるように消えた。
逃げた?
違う。
“確認”だ。
俺たちの動きを、
戦い方を、
呪いの使い方を、
確認して去った。
セラが小さく呟いた。
「……教主に報告する」
背教の刺客は、
ただの殺しじゃなく、偵察だった。
訓練場の空気が戻らない。
騎士たちがざわめき、
伯爵家の若い騎士が俺を睨んだ。
「……お前が呼び込んだ」
俺は何も言い返せない。
呼び込んだのは事実だ。
第三候補の穴が匂いになった。
リナが俺の前に立つ。
「違う。
狙われているから、登録が必要だった」
セラが冷たく言う。
「屋敷の中に背教がいる。
それを隠してるのは誰?」
若い騎士の顔が歪む。
答えない。
答えられない。
そして遠くで、鐘が鳴った。
カン。
教会の鐘じゃない。
背教の合図でもない。
もっと低い。
もっと重い。
世界が鳴らす音。
免疫が“警告”した音。
免疫が淡々と言った。
「次の傷、予告」
予告。
次が来る。
もっと大きいのが来る。
俺は血の味の残る喉で、
心の中だけで名を繰り返した。
(堀口健太)
(堀口健太)
剣が勝手に動く。
敵が勝手に来る。
世界が勝手に監視する。
でも俺は、勝手には消えない。




