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第2話 聖痕の検分、保護という名の檻

 鐘の音が、近い。

 さっきまで遠くで鳴っていたはずなのに、

 今はこの屋敷の廊下を歩く足音と一緒に迫ってくる。


 ――カン、カン。


 胸の奥が、嫌な予感で固まった。


「ブレード様……落ち着いて。

 司祭様は“保護”のために……」


 女――屋敷の侍女だろうか。

 必死に笑おうとしているのに、指先が震えている。


 保護。

 その言葉が、妙に冷たい。


 日本で刺された腹は痛まない。

 代わりに、見えない棘が背中に刺さっているみたいだった。


 扉が開いた。


 白い法衣の男が二人。

 銀の飾りを胸に下げ、淡い香の匂いを纏う。

 その後ろに、鎧を着た者が四人。

 兵というより、礼儀正しい牢番の顔をしていた。


 先頭の司祭が、俺を見て微笑んだ。

 優しい笑みだ。

 けれど、目が笑っていない。


「ブレード・ファン・エイル殿。

 目覚められたと聞き、胸を撫で下ろしました」


 俺は上体を起こしたまま、頷く。

 言葉を慎重に選んだ。


「……ご心配をおかけしました」


 司祭は満足げに目を細める。

 その仕草が、誰かを見慣れている感じだった。

 転生者への“対応マニュアル”でもあるのだろう。


「では、聖痕の確認を。

 これは神の祝福であり、同時に試練です」


 祝福。試練。

 ――監視。処分。

 頭のどこかで、勝手に言い換えが浮かんだ。


 司祭が銀の鉢を掲げる。

 透明な液体が光を反射し、わずかに虹色を帯びた。


「聖水です。痛みはありません」


 鎧の男が一歩前に出る。

 逃げないように、という意思表示。


 俺はゆっくりとシャツの襟を引いた。

 鎖骨の下。そこにあるはずの印。


 司祭はその瞬間、呼吸を止めた。


 ほんの一瞬だ。

 だが確かに、表情が崩れた。


「……これは」


 侍女が小さく息を呑む。

 鎧の者たちの視線が一斉に鋭くなる。


 聖痕は二色だった。

 光と闇が交差する、ありえない形。


 司祭は咳払いをして、笑みを作り直した。

 その作り笑いが、妙に上手い。


「珍しい。ですが、恐れる必要はありません。

 教会が導きます」


 導く。

 つまり、従わせる。


 司祭は聖水を指先につけ、印の上へ落とした。


 ――ジッ。


 焼ける音がした。

 痛みはない。

 痛みがないのが、かえって不気味だった。


 聖水が肌の上で滑り、

 聖痕の“光”の線をなぞる。


 司祭は頷いた。


「勇者候補の兆し……」


 次に、司祭は同じ指で“闇”の線に触れた。


 空気が、冷えた。


 聖水が黒く濁り、鉢の中の液体まで波立つ。

 鎧の男が、反射的に剣の柄へ手を置いた。


 司祭の声が、低くなる。


「……魔王候補の兆しも」


 侍女が、唇を噛む。

 俺の胸の奥で、“何か”が目を開けた。


(やめろ)


 誰の声だ。

 俺の声じゃない。

 でも、俺の中から聞こえる。


 司祭は鉢を下ろし、黒い名簿を開いた。

 まるで台本を読むように、淡々と。


「ブレード・ファン・エイル。

 聖光教会は、あなたを“特別保護対象”に指定します」


 特別保護。

 それは檻の別名だ。


「今日から、教会の監督下で生活していただく。

 伯爵家の名誉を守るためにも、必要な措置です」


 その言葉に、部屋の空気が硬直した。

 伯爵家に拒否権はない。

 拒めば、名誉を盾に潰される。


 俺は静かに言った。


「……僕は、危険なんですか」


 “僕”。

 十二歳の子どもとして、自然な一人称。

 口が勝手に演じていた。


 司祭は優しく頷く。


「危険なのはあなたではなく、あなたを狙う者たちです」


 嘘だ。

 半分だけ真実で、半分は嘘。

 教会も俺を狙っている。

 形を変えた狩人だ。


 司祭が合図を送ると、鎧の男が一人、窓際へ歩いた。

 カーテンに手をかける。


 嫌な予感が背骨を走った。


 やめろ。


 俺は言いかけて、喉が固まった。

 窓の外。庭の柵の影。


 そこに、黒いローブが立っていた。


 胸元に、舟の紋章。

 背教。


 今は隠していない。

 むしろ“見せている”。


 ローブの男が、ゆっくりと指を一本立てた。

 “今夜”という合図。


 司祭も見ていた。

 気づいていないふりをしたまま、

 しかし口元だけがほんの少し歪む。


(……繋がってる)


 教会と背教。

 敵同士のはずなのに、

 俺の周りで、妙に噛み合っている。


 その瞬間、

 窓ガラスに俺の顔が映った。


 金色の瞳。

 その中心に、薄い黒い輪。


 そして――映り込んだ“俺”が、

 俺より先に笑った。


 背筋が凍る。

 なのに、口角が勝手に上がる。


 脳の奥で、何かが囁いた。


 ――狩られるのは、勇者候補だ。


 意味が分からないのに、

 その言葉だけが、異様に腹へ落ちた。


 司祭が名簿を閉じる。


「夜には、教会の護衛が到着します。

 それまで、外出は禁じます」


 禁じます。

 命令の形で言い切った。


 そして最後に、司祭は笑顔で告げる。


「安心してください。

 あなたは“守られている”」


 その言葉が終わった瞬間、

 鐘がもう一度鳴った。


 カン、カン。


 まるで――処刑台の合図みたいに。


 司祭たちが去る。

 扉が閉まった。


 侍女が泣きそうな顔で、俺の袖を掴む。


「ブレード様……」


 俺はその手を、そっと外した。


 窓の外の背教が消えていた。

 代わりに、柵の影に何かが残っている。


 黒い布切れ。

 いや、違う。


 血で濡れた白い布――

 包帯の切れ端だ。


 そこには、細い文字で書かれていた。


 『勇者候補は今夜、消す』


 俺の喉が鳴った。

 俺を“守る”と言った教会の夜。

 背教が“今夜”と言った夜。


 この屋敷の中で、

 誰かが死ぬ。


 そして俺は、なぜか知っている。

 ここから先の失敗は、

 “世界そのもの”を裂く。


 ――裂け目。


 また、知らないはずの言葉が口に浮かぶ。


 俺は胸元を押さえた。

 聖痕が、熱くも冷たくもないのに、

 確かにそこに“在る”と主張していた。


(俺は何者だ)


 答えはまだ出ない。

 ただ一つだけ、確信があった。


 この世界は、転生が当たり前で。

 憑依者は特別で。


 特別なものは、

 必ず狩られる。

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