第15話 条件はひとつ――“名前の残骸”を取りに行け
馬車の揺れは、一定だった。
護衛が急いでいるのに、無駄な揺れがない。
つまり――慣れている。
襲撃されることにも。
伯爵家は、狙われ慣れている。
車内は薄暗い。
香の匂い。
それが逆に不安を煽る。
セラは俺の首の銀鎖を見つめたまま、言った。
「外せる方法はある」
リナが即座に遮る。
「条件があると言ったわね」
セラは笑った。
軽い笑い。
でも目は笑っていない。
「当然よ。
教会の封印具は“誓約”。
鍵穴がないものを開けるには、
誓約の結び目をほどくしかない」
結び目。
第10話でアークが言った言葉。
セラも同じ語彙を使う。
つまり、この子は知っている。
教会の仕組みを。
“処置室”を。
俺は喉が焼けるのを無視して、絞り出した。
「……条件、って」
セラは俺の目を見て、ゆっくり言った。
「あなたの欠けた名前。
その“残骸”を拾ってきて」
残骸。
名前の残りカス。
そんなものが、どこにある。
リナが低い声で言う。
「……地球の影」
セラは頷いた。
「そう。
あなたの死体のそばに落ちていた“処置:完了”の写し。
あれを裂いたでしょう?」
俺の背中が冷たくなる。
「……見てたの?」
セラは首を横に振る。
「見てない。
でも分かる。
裂け目は、世界に“傷”を残す」
セラは自分の鎖骨の下の輪の痕を指でなぞる。
「処置室の輪も、世界の傷。
あなたの裂け目も、世界の傷。
傷は、残骸を吐くの」
吐く。
名の欠片を。
俺は震える。
あの路地で、
“堀口”の文字が欠けた。
欠けた瞬間、音もなく消えた。
それがどこかに落ちる?
セラが淡々と言った。
「落ちるの。
影の世界の“事故現場”に」
事故現場。
俺の死体が置かれていた場所。
リナが眉をひそめる。
「あなたは、なぜそこまで知ってる」
セラは視線を逸らさず答えた。
「私は処置室から逃げた。
逃げる時に聞いたのよ。
司祭たちが言ってた」
セラは司祭の口調を真似して、ぞっとするほど自然に言う。
「『名が欠けたら、影に落ちる』
『拾われる前に回収する』
『拾われたら、誓約が乱れる』」
拾われる前に回収する。
つまり教会は、
俺の欠けた名前を“回収”する。
背教も、剥ぐと言った。
彼らも拾うだろう。
――急がないと。
セラは続ける。
「あなたが拾えば、誓約が乱れる。
乱れれば鎖は緩む。
緩んだ瞬間に、私の方法で外す」
方法。
具体を言わない。
それが一番怖い。
リナが前へ出る。
「信用できない」
セラは肩をすくめた。
「信用しなくていい。
でも選択肢は?」
選択肢。
俺たちは追われている。
銀鎖は“回収”される。
名は削られる。
選択肢は、ない。
俺は息を吸い、頭の中で名を繰り返す。
(堀口健太)
(堀口健太)
欠けたら、終わる。
セラが俺の手を握った。
冷たい指。
でも震えていた。
「あなたが怖いの、分かる。
私も同じだった」
その震えが、嘘じゃないと教える。
怖がるふりではない。
本当に怖い。
だからこそ――
この子は裏切る可能性がある。
怖い者は、逃げ道を作るためなら何でもする。
その時、馬車の外で合図の笛が鳴った。
短く二回。
護衛の声が聞こえる。
「門だ。速度を落とせ」
伯爵領の屋敷が近い。
リナが小声で言った。
「伯爵家に着いたら、味方を作れる」
セラが即座に否定する。
「甘い。
伯爵家の中にも、教会の手はある」
その言葉が落ちた瞬間、
馬車の揺れがほんの僅かに変わった。
車輪が石畳から、整った敷石へ。
門をくぐる音。
屋敷に入った。
リナが窓の隙間から外を見て、息を呑んだ。
「……多すぎる」
俺も気配で分かった。
護衛が増えている。
いつもの人数じゃない。
誰かが待っている。
回収班か、背教か、
あるいは伯爵家の内通者か。
馬車が止まった。
扉が開く。
眩しい灯り。
松明。
人の声。
中庭に整列する騎士たち。
そしてその中央に立つ男。
法衣ではない。
鎧でもない。
伯爵家の礼装。
けれど胸元に、銀の小さな輪の飾り。
教会の紋。
男が微笑んだ。
「おかえりなさい、ブレード・ファン・エイル殿」
声が優しい。
優しすぎる。
セラが俺の袖を掴み、囁く。
「……内通者。
あの人が“教会の鍵”」
鍵。
リナが一歩前へ出ようとして、
セラが止めた。
「今は黙って。
ここで反抗したら、あなたはその場で処置される」
その言葉が現実的すぎて、
リナの足が止まった。
男がゆっくり近づく。
俺の首の銀鎖へ視線を落とし、満足げに頷いた。
「……良い。
封印はまだ生きている」
“まだ”。
つまり乱れを感知している。
俺は息を吸い、
喉が焼ける前に言った。
「……俺の名前は」
銀鎖が締まる。
言わせない。
ここでは言葉が危険だ。
男が楽しそうに首を傾げる。
「堀口健太、でしたか?」
その瞬間、
世界が一瞬だけ暗くなった。
名を“口にされた”。
俺の名を、他人が。
しかも教会側の人間が。
背筋が凍り、
胸の奥でアークが低く唸った。
――やばい。
――名簿と直接繋げる気だ。
男が静かに言った。
「あなたの“欠け”は、すでに回収手続きに入っています」
回収手続き。
欠けた名前の残骸も、狙われている。
セラが俺の耳元で囁いた。
「だから急ぐ。
影に戻って拾わないと、あなたは完成する前に消される」
完成する前に消される。
俺が“教会の都合のいい形”に完成する。
男が手を上げる。
騎士たちが一斉に動いた。
包囲。
逃げ道が塞がれる。
リナが剣に手を置く。
セラが首を振る。
戦えば勝てない。
ここは屋敷の中庭。
敵の本拠地。
男が穏やかに言う。
「今夜は客人として迎えます。
明朝、教会へ“正式に”移送しましょう」
明朝。
それまでに俺の名はもっと削られる。
そして残骸は回収される。
セラが、俺の手のひらに小さな紙片を押し込んだ。
湿っている。
でも熱い。
「……今夜、部屋を出て。
中庭の古井戸へ」
井戸。
裂け目に繋がる場所。
アークの声が、静かに同意した。
――井戸は、境界だ。
――影へ戻る穴になる。
リナが歯を食いしばって頷いた。
彼女も決めた。
もう戻れない。
男が微笑む。
「さあ、ブレード殿。
お部屋へ」
俺は、笑顔を作れないまま頷いた。
今は従う。
従うふりをする。
そして今夜、
影へ戻る。
欠けた名前を拾いに行く。
拾わなければ、
俺は俺のまま死ねない。




