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第12話 回収班と狩人――敵同士の手が噛み合う

雨が音を立てている。


 それだけで、胸の奥が少しだけ軽くなった。

 無音の世界は、呼吸を奪う。

 音がある世界は、まだ生きている。


 俺とリナは駅前から離れ、

 人気のない路地へ飛び込んだ。


 看板の文字は相変わらず歪んでいる。

 でも輪郭だけは“日本”に似ている。


 これは地球じゃない。

 地球の影。

 裂け目の皮膜。


 ――なのに。


 首の銀鎖は、ここでも俺を引っ張る。

 ただ、さっき紙を裂いたせいか、

 引力が途切れ途切れになっている。


 ぎゅっ、と締まり、

 ふっと緩む。


 呼び戻しの手が、噛み合っていない。


 リナが息を切らしながら言った。


「今の紙、何だったの」


 俺は言いかけて、喉が焼けた。

 銀鎖が嫌がっている。


 だから短く。


「……名簿の写し」


「名簿……教会の」


 リナは目を細めた。

 怒りと困惑が混ざった顔。


「……それを、ここに置いてきた?」


「裂いた」


 その一言で、彼女は理解した。

 理解してしまった顔だ。


 教会の処置は、

 世界の外まで追ってくる。

 追ってくるのは人じゃない。

 仕組みだ。


 仕組みは、紙一枚にも宿る。


 リナが言う。


「じゃあ、まだ完全には……」


 俺は頷いた。

 銀鎖は外れない。

 緩むだけ。


 それでも、十分だ。

 “壊せる”と分かったから。


 その時、遠くで鐘が鳴った。


 カン、カン。


 さっきより遠い。

 でも確実に追ってきている。


 それに――別の音が混じった。


 硬い足音。

 複数。

 濡れた地面を踏む、規則正しい歩調。


 軍靴の音に近い。


 リナが壁に背をつけ、俺を引き寄せる。


「静かに」


 俺は息を止めた。


 路地の入口を、白い影が横切った。

 白いローブ。

 銀の胸飾り。


 教会。


 しかも司祭じゃない。

 戦うための装備だ。


 肩に小さな盾。

 腰に短い槍。

 そして首元には、祈祷文の刻まれた布。


 “回収班”という言葉が頭に浮かんだ。

 勝手に。

 昔から知っていたみたいに。


 アークの声が、低く言う。


 ――来たな。

 ――処置じゃない。回収だ。

 ――名簿の結び目が乱れたから、

 ――人の手で引き戻しに来た。


 回収班は三人。

 中央の男が手に持つのは、黒い革の手帳。


 名簿の携行版。

 写しじゃない、本体に近いもの。


 男が小声で言う。


「対象は憑依者。

 コード:KENTA」


 俺の背中が凍った。


 堀口健太を、コードにするな。

 名前を番号にするな。


 でも回収班は迷わず進む。

 路地の角へ。

 こちらへ近づいてくる。


 リナが剣の柄を握る。

 だが剣で戦っても勝てない。

 殺せない。

 彼らは“教会の正義”として動く。


 その時、

 路地の反対側の屋根から、黒い影が落ちた。


 音がしない着地。

 黒いローブ。

 胸元の舟の紋章。


 背教。


 狩人だ。


 背教の男は、回収班へ短剣を投げない。

 いきなり殺しに来ない。


 代わりに、軽い口調で言った。


「おいおい。

 教会がこんな所まで出張かよ」


 回収班の男が即答する。


「異端は引っ込んでいろ」


 背教の男は笑った。


「引っ込めって?

 俺たちは“狩り”の最中だ」


 狩り。

 勇者候補狩りのはず。


 なのに、背教の視線は俺じゃなく、

 回収班の男へ向いていた。


 次の言葉が、ぞっとするほど冷たい。


「……勇者候補は、増えるほど邪魔だ」


 回収班の男が顔を歪める。


「貴様らは勇者候補を殺す。

 我々は管理する。目的が違う」


 背教の男は肩をすくめる。


「目的は同じだろ?」


 そして、笑いながら言った。


「“邪魔な火種は消す”」


 その瞬間、

 回収班の男と背教の男の間に、

 理解が通った。


 敵同士なのに。

 言葉が噛み合っている。


 リナが小さく震える。


「……同じことを言ってる」


 回収班の男が、背教へ命じるように言った。


「ならば手を出すな。

 対象は教会が回収する」


 背教の男は頷いた。


「いいよ。

 でも、その前に一つ確認」


 背教の男の目が、路地の奥――俺の隠れる場所へ向いた。

 視線が刺さる。

 見つかった。


 背教の男は、わざと大きな声で言った。


「憑依者。

 お前は勇者でも魔王でもない」


 やめろ。

 言うな。


 喉が焼ける。

 銀鎖が熱い。


 背教の男は、笑いながら続けた。


「……“創り主”だろ?」


 その言葉が落ちた瞬間、

 回収班の男の目が、ほんの僅かに光った。


 興味。

 確認。

 確信。


 背教と教会が、

 同じ情報を共有している。


 怖い。

 これは偶然じゃない。


 リナが俺の腕を掴む。


「ここはダメ。逃げる」


 俺は頷く。

 逃げる。

 でもどこへ。


 その瞬間、

 回収班の男が黒い手帳を開いた。


 ページが風もないのにめくれ、

 ある行で止まる。


 そして男が、淡々と読み上げた。


「堀口健太。

 処置:完了――未確定」


 未確定。


 紙を裂いたせいだ。

 結び目が乱れている。

 だから“未確定”になった。


 回収班の男が言った。


「修正する」


 修正。

 それは、俺の存在の修正。


 背教の男が口を開く。


「手伝おうか?」


 回収班の男は一瞬だけ迷い、

 そして頷いた。


「……余計なことはするな。

 “名”だけを狙え」


 名だけ。

 俺の名前だけを狙う。


 背教の男は、楽しそうに笑った。


「了解。

 名前を剥ぐのは得意だ」


 その瞬間、

 路地の空気が薄くなった。


 背教の男が祈るように指を組む。

 教会の男が手帳に指を置く。


 二人が同時に“同じ作業”を始める。


 敵同士のはずなのに、

 手が噛み合う。


 そして――

 俺の首の銀鎖が、ぎゅっと締まった。


 呼吸が苦しい。

 喉が焼ける。

 言葉が潰れる。


 堀口健太、と

 頭の中で叫ぼうとしても、

 文字が溶けていく。


 リナが叫んだ。


「健太! 顔色が!」


 俺は膝をついた。

 銀鎖が引っ張る。

 見えない糸が、教会の手帳に繋がっている。


 背教の男が低く囁いた。


「名を剥がす」


 その言葉と同時に、

 俺の頭の中から、

 “堀口”の文字が欠けた。


 欠けた。

 音もなく。


 恐怖で涙が出る。

 リナが俺を抱き起こし、剣を構える。


「離れろ!!」


 だが剣は、背教にも教会にも届かない。

 彼らは“名”を握っている。


 アークの声が、怒鳴る。


 ――裂け目を使え!

 ――今すぐ!

 ――名が削られたら、二度と戻らない!


 俺は必死に空間へ手を伸ばした。

 裂け目の線を引く。

 けれど指先が震えて線が定まらない。


 背教と教会の“修正”が、

 俺の集中を削っていく。


 リナが歯を食いしばり、俺の耳元で叫んだ。


「名前! 名前を言って!」


 言えない。

 喉が焼ける。

 でも――言わないと消える。


 俺は、痛みの中で無理矢理息を吸い、

 喉を裂くつもりで叫んだ。


「堀口……健太!!」


 銀鎖が悲鳴みたいに鳴った。

 カチ、ギチ、バチン。


 同時に、空気に線が走った。


 ピシッ。


 裂け目が開いた。

 狭い。

 でも開いた。


 リナが俺を抱えて跳ぶ。


 背後で、回収班の男が叫んだ。


「待て! 未確定のまま逃がすな!」


 背教の狩人が笑った。


「逃がせ。

 追い詰めた方が、剥ぎやすい」


 その言葉が、最悪だった。


 裂け目が俺たちを飲み込み、

 雨と路地と鐘が遠ざかる。


 最後に見えたのは、

 教会の男の黒い手帳と、

 背教の男の笑う口元。


 敵同士のはずなのに、

 同じ作業をしていた二つの手。


 ――世界が、俺の名前を取りに来ている。

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