勘違いしないでよねっ、そういうんじゃないんだからね!(渋い声)
入浴後。町の露店で売っていた高めのロウソクを使って夜間執筆を行おうとした。このお屋敷で普段使いされているロウソクは質がイマイチらしく、明るさが足りないのだ。
だけれど身が入らない。入浴中にネガティブな事を考えてしまったからだろうか。せっかく台本書きに集中したいからと、トランプを持ってきた式神コンビに遠慮してもらったというのに。
今さらながらに寂しそうに戻っていった足長様の姿が目に浮かぶ。屏風はなんという罪深い事をしてしまったのだろう。
――――こんな事だから大事な事をいつも置き忘れるのだ。今も昔も。
あの子たちよりずっと先に死ぬなど、人間なのだから分かりきった未来だ。どうしてそれを嘆いてしまうのか。
別に屏風が死んだところで幽世は何も変わらない。妖怪たちは義理堅く葬式でもしてくれる事だろう。
そしていずれ知り合いの妖怪たちも、変わらぬ日常が戻ってくるに違いない。人間だって同じだ、それで十分じゃないか。
もちろん屏風はなるべく長生きをするつもりだ。幽世で死んだ妖怪はいつかまた戻ってくるという伝承を信じて再会を約束した妖怪たちもいるのだから。入れ違いで死んだら約束破りになってしまう。
――――チャンスは今世の一度だけ。妖怪は戻ってこれても、人間はたぶん無理だろうから。
ただこれまで受けてきた傷の事を考えると、人の寿命さえ全うできるかはだいぶ怪しい。幽世に来てからというもの1年に満たない期間でずいぶん怪我をしたからなぁ。
駄目だ。諦めても達観しても、漠然とした不安と寂しさが心にまとわりついてしまって、どうにも調子が出ない。
もう諦めてさっさと寝てしまうべきだろうか。ダラダラと起きていてもロウソクが勿体ないだけだ。
「失礼いたします。秋雨でございます」
思わず声を掛けようとして止まる。屏風覗きがひとりの時は呼びかけに答えてはいけない。
「お茶をお持ちしました。申し訳ありません、手が離せないのです。開けていただけませんでしょうか?」
うわぁ。みんなから来るかもと警告されてはいたけど、マジでヤバイのが来たっぽい。
秋雨氏がお茶や夜食を持ってきてくれる可能性は確かにある。
だが、持ってきてくれたとしてもあの子は『手が離せないから開けてくれ』とは言わないだろう。仮に手が塞がっているなら廊下に一度置けばいい話だ。
若干の恐怖を感じながら廊下の気配が消えるのをじっと待つ。
やがて風が入ったわけでもないのにロウソクがホボッと揺れ、外の気配が消えた。
ヤバイ。もう今の時点で超怖い。恐怖で神経が高ぶって眠れないかもだけど、すぐ床に入ってしまおうか。
「屏風よ、夜分にすまぬ。起きているか?」
今度は立花様かよ。二重に怖ーよ。
答えずに黙っているとドンッと障子戸を叩かれた。ビクリとする体を押さえ込んで息を殺す。
室内とはそれだけで一種の結界の意味がある。だから化け物は入れない。そして化け物が入るには内部の手引きがいる。こういった怪談の定番の決まり事だ。
逆に言えば入られさえしなければ安全、という事でもある。彼らはそのままでは入れないからこそ、あの手この手を駆使するのだ。
やがてしつこく叩いていた音がようやく止む。気付けば手にしていた筆の表面の墨が乾いていた。
筆を整えようと水に先端を落す寸前――――
「開けてぇー、開けてぇー、屏風さまぁー」
―――――ゾッとする。
声は確かに白雪様。だが、あの方はこんなねばっこく唾液の絡む声じゃない。
これ、もしかして相当に質の悪いものなんじゃないか? 怖い怖い怖いっ!
障子戸を叩く音がドンドンからバンバンに変わり、しつこくしつこく開けろと言い続ける何か。もうさっきとは別の意味で執筆どころではない。
ここはれっきとした黄ノ国の支配者たる、黄の方のお屋敷だというのに。どうしてこんな怖いものが平気で入り込んでるんだ!?
そうしてあまりの恐怖に部屋の中で縮こまっていたとき、パンッという破裂音が鳴り響いた。
さらにヘドロの中で溺れる亡者のような、長く長く尾を引いた濁った悲鳴が上がる。
後に残ったのは静寂。1秒、2秒。何も聞こえない時間が長く感じる。
溜まった生唾を飲み込むと、それに合わせたように障子戸がスッと開いた。
無意識に喉がヒュッと息を引き込み、体が勝手に絶叫しかける。
しかし足音も無く入ってきた相手を見て、やがてどうしようもなく屏風は脱力した。
「おやおや、ずいぶんと顔が青いご様子。何か肝が冷える事でもありましたかな?」
ロウソクの灯りの中に現れたのは黒頭巾の猫。みるく様だった。
肉球のある白い後足で畳を踏むさまは愛らしいの一言だぞこの野郎。死ぬほどびっくりしたけど、助けてくれてありがとう。
「どこからか呪いを飛ばされたようですな。しかも今時は珍しい、かなり古典的なものです」
事情を説明すると頭巾の彼は、今のは屏風を狙い撃ちした呪いだろうと説明してくれた。
さらに呪いは相手に返したので、呪った術者がよほどの実力者でも無ければ今ごろてんやわんやだろうとも言われる。
「不埒ものよ。この頭巾にかけて下手人は捕えましょうぞ。呪いごときに白雪様の声など出させおって。必ずや縊り殺してくれるわ」
御前大好き勢のおひとりであるこの方にとって、呪いが白雪様の声真似をしただけでも許せないようだ。あと夜に怒ってる猫の顔ってわりと怖い。
みるく様は軽くキョロキョロと周りを見回すと、部屋で揺れ続けているロウソクを指さした。正確には前足をピンと突き立てた。昔こういう猫足を模したピコピコするオモチャあったなぁ。
「このロウソクですな。呪いを連れてくる道しるべになっている」
どこで手に入れたのかを聞かれたので、露店のロウソク売りからだと答える。妖怪の国は昼夜問わず開いている店は開いているから、意外に利便性は現世と変わらない。
いや、逆か。夜行性でもないのに下手な妖怪より夜中に働いているというのは、それだけで怪異と言って差し支えないだろう。現代人怖い。
などと無駄な事を考えていたら、いつも以上にアホを見る目でため息をつかれた。
「黄の露店で出所も知れん物を。そんな怪しい物を買うからです」
うーむ、失敗だったか。一緒にいたろくろちゃんたちが何も言わないから平気だと思っていた。
「これ自体は呪われておるわけではありませぬから。術の手解きを受けた者でなければまず気付かぬでしょう」
呪いが込められていれば素人でも分かり易いが、誘導する程度のものでは専門家でもないと分からないのか。
「しかし、狸が大人しくなったと思ったらこれですか。さすがは白石殿、黄に入って七日と経たぬうちに早速恨まれておるようですなぁ?」
イケメンボイスを駆使したみるく様の嫌味ったらしい言葉に反論しようとして、やめる。
恨まれる心当たりは多い。善とか悪とか、法律とかは置いておいて。屏風覗きが動いた結果、損をした者は多かろうから。
悪党にだって交友関係はあったはず。中には損得を超えて親交を持っていた者たちもいたかもしれない。
そんな誰かを破滅させたとしたなら、それは呪いのひとつも向けられて当然、仕方ないだろう。
「情けなし」
不意に強い口調を見せて、みるく様が屏風覗きと正対する。
「正義は我らにあり。悪党の恨みなど憂えてやる価値なし。我らは白の威信を持って世を正したのだ」
悪を誅するに何を迷う。白の威信を守るのに何を憂える。
みるく様は強く強く、その小さな体が大きく見えるほどに屏風覗きに強く語った。
「白石殿、そなたの憂いは公明正大なる御方のご意向を軽んじているとも見えまする。身を正されよ」
そして最後にそう締めくくる。
白玉御前様の敷く統治に乗っ取った法を行使した結果なのだから、そこに不満や後悔があるのは御前への反抗にも等しい。そう言いたいのだろう。
けれどなんでだろう。このニャンコ、もしかして励ましてくれているのかなと思った。
変な事で落ち込んでいるアホのために、ちょっと発破をかけてやろう。そんな空気があったように思う。
ありがとうございます、みるく様。なんとなく気が楽になりました。
「――――みるくの名は金糸白頭巾と共に御方にお返ししております。再び授けて頂ける日が来るまでは、その名で呼ばないで頂きたい」
では。
短くそれだけ告げると、黒頭巾を正して彼は振り返ることなく部屋を去っていった。
そんな彼の後ろ姿に思う。
白玉御前直属、頭巾猫衆。彼らは誰よりも白玉御前を慕っている。だからこそ、その実力以上に忠誠心によって評価され、あの御方のお傍に仕えることを許されているのだ。
身分に見合わぬ些事を黙々と行う事も、またその表れ。
彼らの姿に思う。誰かを慕うとは、きっとスマートな事ではないのだ。その人の前でずっときれいでいようとしても、そんな努力は長くは続かない。
だからこそ慕うとは、愛とは。もっと愚直で、ずっと地道な道のり。
今夜は徹夜になりそう。やっと屏風なりにかみ砕いた、小さな恋愛物語が書けそうだ。
<実績解除 呪い返し 2000ポイント>
<実績解除 ニャンデレ 1000ポイント>




