束の間に考える、残り時間
いつも誤字脱字のご指摘をありがとうございます。
居酒〇のぶのスピンオフ漫画の7巻を購入。冒頭で琥珀糖が紹介されていて、とても分かりやすくて草。これ読めれば調べずに済んだのに(怠慢)
今日はもう門限ということで、護衛のとばり殿からお開きだと急かされた。
仕方なく突貫工事で書き上げた大筋を設樂氏に渡して、宝僧院様のお屋敷に戻ることにする。宿には夜までうるさい迷惑賃として、割増しで心付けを渡しておいた。
いやもうホント、すいません。どこかのサブカルチャーの祭典で狂乱するオタクのような迷惑さである。印刷所の締め切りブッチ切って、それでも諦めずにコンビニでコピー本を作り出すダメ作家のようだ。お店の紙とインクが消し飛ぶ。
開幕まで時間が無いので、一座の皆様にもセリフや場面のアイディアを募りたいのでよろしく。そう締めくくって宿を出る。
実際問題、明日の昼には形にして稽古に入らねば素人の屏風覗きが一番困ることになる。強行どころか凶行スケジュールも甚だしいわ。
「考えはあるのか屏風」
「たまは目ぇ肥えとるでぇ? どうすんねん」
すっかり暗くなった道を松ちゃんに乗って戻っているとき、ろくろちゃんやとばり殿から具体的にどんな色恋物にするのかを聞かれた。
実はそこだけどうしてもまとめられず、明日までの宿題として持ち帰ることになったのだ。
悩む所は恋物語の下り。浦風一座からとんでもない注文をされてしまい大弱りである。
だって一座の注文通りにすると、若侍が女の子だったと明かされてしまうのだから。
「若侍が実は女やった。ちゅうんは意外性はあるけどやぁ。男や思うて追っかけとった客の女どもはどう思うかのぉ」
ろくろちゃんの言う通りである。脇役ならまだしも、物語の根幹になる主役の性別が既存のイメージと変わるのは、ファンの世界観が壊れかねない変化だ。
そしてそのリスクは浦風一座とて十二分に理解しているだろうに。なぜ一座の人気シリーズである『若侍日記』を博打台に叩きつけるのか。
――――浦風一座はもともとお堅い芝居を演じない、明るくコメディ路線を行くことが本筋の一座。
それは新しいジャンルに挑戦したい意気込みもあるが、全体的に実力が足りていないために他の芝居小屋と差別化を図るための、一種の誤魔化しの意味合いも強い気がする。
一応それ以外のジャンルでも売れた実績は出来た。赤金演義はコメディじゃないからね。
ただ赤金演義は売れこそしたが、基本的に一座の正道からは離れた苦手な部類なのである。
ではこれまでなんとか彼らが食いつないでこれた演目はと言うと、これが花形役者の浦衛門の魅力に焦点をあてた、大衆娯楽寄りのコメディを交えた『若侍日記』なのである。テレビの時代劇で言えば将軍様やちりめん問屋のご隠居が活躍するタイプの明るい路線だ。
屏風覗きが演じてもらった『文鎮堂編』も、この若侍日記を骨子として組み込んだもの。新規設定を書いてる暇が無かったし、小道具やらなにやら使いまわせて即応性が高かったしね。
つまり浦風一座からすれば若侍日記はかなり思い入れのある作品であり、懐を温めてくれるシリーズのはず。
それなのに、こんな博打めいたものに使うというのは気が引ける。
「本人たちが良いと言っているならそれでよかろう。それで? おまえはどんな役をする? あの山ン本とどのような逢引をするのだ?」
なぜ逢引を強調してそんな圧のある目を向けられるのだろう。夜中ということもあってか、とばり殿の瞳は持っている提灯の明かりを受けて、まるで鋭く割った黒曜石のようにキラリと光っている。怖い。
「せやなぁ。男装しとるような初心な女を、どぉぉぉぉう騙くらかす話なんや?」
どうして最初から騙す前提なのか、これが分からない。まるで普通の恋愛や悲恋にするなと言われているようだ。
そりゃあ『騙されていた! この野郎!』のほうが若侍のキャラクター的に収まりはいいのだが。
推しのアイドルが誰かとくっ付くのが許せないファンっているしね。そういう層をうっかり刺激しないで済む利点はある。
まあどのみちゲスト枠だ。後まで引っ張れるキャラではないので、どうしたってさっくりとした関係にするしかないだろう。それより問題は若侍の性別である。
「別にええんちゃう? 女どもは若侍っちゅうより浦衛門を観に来とるんやろし」
淡泊。いやアイドルのファンてそんなものだけどさ。内容が詰まらなくてもお布施のつもりで行くというし。というかさっきとは真逆の事を言わないでほしい。
知らんがなー、というこの姉らしい無責任な言葉で突っ込みが流されてしまう。今日はどうしたのだろう。いつもは芸能に関心があるし、浦衛門にも親身になる子なんだけどなぁ。
「あの鼻垂れがふらついとる間は知らん。応援してやる気になれんわ」
やることがあるのに落ち込んで、目の前の事に身が入らないのが鼻につくらしい。
とばり殿に負けてちょっとメンタルをやられているだけなのだから、もう少し長い目で見てやってほしい。どんなに好きな事や仕事だろうと、心が弱っていたら集中できないときはある。
「おい、私が悪いみたいに言うなよ」
メンタルという言葉の意味は分からないようだが、文脈から批難したように聞こえたようで、とばり殿に抗議されてしまった。
――――ただまあ、勝負の最後の部分だけはちょっと大人げない感じではあったとは思っている。とばり殿の実力であれば、あの枚数の手裏剣を持ち出さなくてもと。
「口で言ったほど易き相手ではない。あれも山ン本の名に恥じぬ曲者よ。一手間違えればこちらが不覚を取りかねん」
真面目な口調でそう言われると外野は何も言えない。今のはただの感情論であって、本当のところは分かっている。この子の言う通り浦衛門は強い。
だが強者ではあっても巧者では無かった。勝負の機を計る力、駆け引きをする経験値が足りないのだ。
1手の有利を渡さない。間違えないからこそとばり殿は世間で強者と呼ばれるのだろう。傍にいてくれて頼もしいかぎりである。黄ノ国での夜も君がいてくれれば怖くはない。
「この、変な褒め方をするな! 護衛しておるのだから当たり前だ、恥ずかしいやつめ」
感謝は口にしなければ。アホなりの経験則です。
おやなんだろう? 肩に乗せた傘が重くなってきたんですが。あと松ちゃん、なんで足を速めるの? とばり殿が駆け足になっちゃうでしょ。
「誰ぞ忘れてへんか? のぉ、松」
嫌味たっぷりの口振りを発揮する番傘と、誰が運んでやってると思ってるとでも言いたげな目を向けてくる鞍の付喪神様たち。
ちょっと待って、左手はまだ使えないし、右手で傘を持ってるからこの体勢で走られると、足で支えて腰だけでバランスを取らないといけないの。
「うーやーうーやー」
大きな湯船でテンションが上がったのか、調子よく歌いながら泳ぐ足長様。犬かきが実にお上手である。まあ日本の古式泳法をするような深さはないので、幼児でも犬かきくらいしかできないのもある。
白ノ国で入るいつものお風呂は五右衛門風呂だからなぁ。こういう広いお風呂はやはり嬉しいのだろうね。
この方たちの身分ならお城の右の湯、左の湯も好きなときに入れるだろうに。下の者が気を遣わないよう、城の者たちに遠慮しているのがいじらしい。
「右手はきれいに治ったようだねぃ。さすがは鬼の妙薬だ」
屏風覗きの右手を無造作に掴んで、クルクルと捻って戻してを繰り返していた手長様が太鼓判を押す。同じく耳の抜糸痕や、過去に受けた腹の傷などの痕も目立たなくなっているという。
これもまた鬼の薬の効果であるらしい。古傷にも効果があるとは現代の薬以上だ。
「あれは貴重なものだ。大事に飲むんだねぇ」
そう言って両手を差し出してきた手長様を、勝手知ったると抱えて湯船に向かう。
「――――ただし、飲むのは白いひょうたんのほうだけだ。黒いほうは生き死に以外の傷や病では決して飲まぬこと。できれば飲むような目にあうんじゃないよ」
耳元で周囲を憚るように囁かれた助言にお礼を言う。
白いひょうたんの薬の副作用は激痛。治るのに掛かる日数で受けるだろう痛みを濃縮して体験させられる。代わりに怪我の治りは劇的に早まる。
では黒いひょうたんの薬効は何か。
これをくれた鬼、彌彦様からも説明は受けている。
どんな怪我や病も立ちどころに治る。その治癒効果は白いひょうたんの薬以上だと。
ならば副作用は?
幽世の術、超常現象は相応の対価を要求される。プラスだけは許されない。
黒いひょうたんの薬、その対価は寿命だ。
怪我や病気が治ると仮定し、全快するのに掛かる日数分の寿命を失う。
死ぬような怪我をして飲んだなら、失う寿命は数年程度では収まらないだろう。
妖怪であればまだいい。数百年、数千年生きていける者もいるのだから。死ぬのに比べれば十数年くらいなら構うまい。
だが屏風は人間。どれだけ心で妖怪を謳っても体は人間でしかない。
この薬を飲んだなら、屏風は妖怪のみんなといられる時間がどうしようもなく削られることになるだろう。
少し寒くなって、抱えている手長様とジャブジャブとやってきた足長様も合わせて抱き寄せる。
こうして幸せでいられる日々が、人の屏風にはあとどのくらい残っているのだろう。




