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婚約破棄された翌朝、国王陛下が私を〈次の王〉に指名しました ~元婚約者様、ひざまずく練習はお済みですか?~  作者: 月城 友麻


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5. 女当主の茶会

 茶会の朝、執務室の机に招待状を開いた。ラウレンティウス様へ、白紙の承認状を三枚持って、温室の庭門で待つよう頼む。彼の手が客の名の上で止まる。余白へは、まだ触れない。


「茶会で、署名を? 家の名は、まだ書き入れません。白紙でよろしいのですね?」


「三家の方が、いらっしゃいますので。書くかどうかは皆様にお決めいただきます。私が先に名を入れては、そのお答えまで書いてしまいますわ。白いままお持ちくださいませ」


「……門で、待ちます。字を書かれるなら、自分が受け取ります。書いた方の字を、そのまま」


「もし、書かれなかったら? お持ちいただいた紙が、白いままでも?」


「白いまま、持ち帰ります。白い紙も、自分は嫌いではありません。これから字を書けますから」


 彼が、白い紙の端を丁寧に揃えた。まだ誰の字も無いのに、端を折らぬように扱う。ベッティーナさんは茶卓に残す。今日はその番を命じてある。小机でフリートヘルム様が椅子を鳴らす。


「なぜ僕が、女の茶会に? 母上の客の顔は知っている。紙を抱えて行く必要などないだろう!」


「補佐官ですので。書類をお持ちくださいませ。必要になってから、執務室まで取りに戻るおつもりですの?」


「母上の前では、僕の顔を立てろ! 僕を荷物持ちにする気か?」


「『僕の顔を立てろ』。――書類は腕でお持ちいただければ結構ですわ」


「そういう意味じゃない! もういい! 持てばいいんだろう?」


 私は扇を閉じた。開いていても、声を防げはしない。


「お願いいたしますわ。書類は、怒鳴っても軽くなりませんので」


 温室にはガラスの屋根から光が落ちる。薔薇の匂いに、令嬢たちの扇が揺れた。土と水の湿った温かさが、回廊で冷えた頬を包む。光を受けた湯気が、卓の上でゆっくりほどける。フリートヘルム様だけが壁際に立つ。腕の書類へ顎を寄せても、椅子を勧める声は無い。背はまっすぐなのに、抱えた紙へ目を落とすのが早い。


 南の女伯(じょはく)リウトガルトが、きっちり巻いた銀色の髪を傾けて席を詰める。背の高い痩せた方で、席を譲っても背は崩さない。鼻筋の通った細い顔の口角が、少し下がっている。ほかの女当主も、同じ卓にいる。王妃様が私の前へ茶器を置いた。笑みは扇の柄のように動かない。


「ジーグリットさん、古い作法で淹れてくださいな。皆様の前ですもの、慌てずに。国を任される方なら、お茶の席も治められますでしょう?」


 茶葉を量り、湯を注ぐ。古い作法の順は覚えている。茶器の温かさを確かめてから、王妃様の前へ茶碗を出した。湯気が王妃様の淡い金髪の下を流れる。


「まあ、手つきは侍女見習いより上手ね。よく支えてくださること。そのお心掛けを忘れなければ、皆様も、ご安心なさいますわ」


 令嬢たちが笑う。壁際の書類がかさりと鳴った。頬が熱い。茶碗の縁から手を離すのが、少し遅れる。六年、この手は誰かの机を支えるためにあった。茶碗の白い縁は、名前の無い余白に似ている。私は茶碗から目を上げる。


「……お口に合いましたら、何よりですわ」


 王妃様は笑顔のまま、私の置いた茶を見下ろす。


「女に国は治められませんわ。女は、王を支えるものです」


「『女に国は治められない』。――では、こちらの三家は、どなたが治めていらっしゃいますの?」


「それは、お子様が成年になるまでの――。王太女の話と、留守のお世話を混ぜるものではありませんことよ」


 女伯の深い藍色の目が王妃様へ上がった。膝に置いていた扇の骨が、まっすぐ卓を向く。


「あたくしの家は、十二年、あたくしが治めておりますけれど?」


 王妃様は扇を傾け、笑みを保つ。


「まあ、言葉の綾ですわ。皆様のお働きは、わたくしもよく存じておりますわ。家と国とでは、背負う重さが違いますもの。ジーグリットさんのために申し上げているのです」


 二人目の女当主が、茶碗を持つ手を止める。笑うはずだった口元が、言葉の形へ変わる。


「綾で十二年は、長うございますわね」


 王妃様の扇が止まった。令嬢たちの笑いも、その骨の間に挟まる。私の扇は閉じたまま膝にある。ガラスの屋根の上を、雲の影がゆっくり渡っていく。茶碗の白まで、少し暗くなる。


 女伯が扇を卓へ置く。家の印を飾る指輪が、白い茶碗の脇で光る。彼女は私へ向き直った。


「女当主の慣いは、法に一行あるだけです。次の王に留守番と見られれば、次の代で消えるかもしれません。王家の中で、あたくしたちを家を治める者として数えたのは、王太女殿下が初めてです。あたくしは、王太女殿下に書きますわ」


 二人目の女当主も扇を置く。その手が自分の家の印を撫でる。


「うちもよ。息子の留守番と呼ばれるのは、今日で終わりにしたいもの。任されている間の仕事まで、仮のものにはしたくないわ」


 三人目の女当主が、茶碗を受け皿に戻す。乾いた唇から、小さい声が出る。


「……夫の名でなく、自分の名で書いたことが、まだ一度も無いの。書かせてちょうだい。家の印は、ここに持っているわ」


 その声が、私の喉にも引っかかった。あの方は夫の名で、私は元婚約者の名で。書いた字は自分のものでも、名前だけがいつも他人のものだった。膝の扇を、そっと握り直す。名を書く場所が、目の前にある。


 それぞれの印が、卓の上へ出る。私は王妃付きの侍女へ顔を向ける。


「庭門に書記官が待っております。こちらへ呼んでいただけますか? 皆様ご自身のお名前を、お預かりしたいのです」


 王妃様が、扇の陰から声をかける。


「ジーグリットさん、ここはお茶の席ですことよ。紙を広げては、せっかくのお茶が冷めますわ」


「ですから、お茶が冷めないうちに。筆を置かれたら、私がまたお淹れいたしますわ」


 侍女が庭門へ向かった。王妃様の茶碗には、まだ湯気がある。壁際のフリートヘルム様は、抱えた書類を持ち直す。茶を淹れるより前から持っている紙を、差し出す相手も見つからない。王妃様へ顔を上げ、また紙へ目を落とした。


 書記官が白紙の承認状三枚を卓へ置く。そのとき温室の扉が開いた。ティルザ様が駆け込み、後ろの陛下を手招きする。陛下の肩には釣り竿。池へ行く途中を捕まえた、とティルザ様が笑う。


「父上、早く早くぅ! お母様の茶会、面白いことになってるよ!」


 陛下が、卓へ顔を向けて目を細めた。


「余も混ぜろ。……ほう、女当主が三人か。茶も残っておるな。余のぶんもあるか? ほっほっほ」


 王妃様が、陛下へ笑顔を向ける。


「陛下、これはお茶の席で。皆様のご判断へ、王家が口を出すわけには――」


 陛下が釣り竿を壁へ立てかけた。紙のほうへ手は伸ばさない。欠伸まじりの声が、茶卓へ届く。


「余は見ているだけだ。釣りの前にな。そなたらの筆は、そなたらで持て」


 女伯が筆を取った。まだ白い紙に、その先が触れる。


「あたくしの名で。代わりに書いてくださる方は、要りませんわ」


 女伯の筆が動き、ほかの当主の筆も続く。長い名、細い名。印がそれぞれの名の下へ押された。筆の擦れる小さな音が、茶器の触れ合う音より大きく聞こえる。手袋の下で、熱くなった手がほどけていく。書記官が、乾いた順に紙を受け取る。


「すべて、当主ご自身の字です。どのお名前も、一字も欠けておりません」


 ティルザ様が両手を打ち鳴らす。


「やった! お姉様の勝ち! うーれしー! きゃははは!」


 王妃様は笑顔のまま茶を飲み干した。空いた茶碗が震えてるのに気づき、私は目を逸らした。


 私の前には、書いたばかりの名が並んでいる。


       ◇


 夕方の回廊。王妃様が先を行き、私はその後ろを歩く。書類を抱えたフリートヘルム様が早足で私を追い越し、王妃様の横に並んだ。私にも届く小声だ。


「母上、ご安心を。明後日の隣国の使節は、僕の手で迎えます」


 足を緩めず、扇を開く。前を行く彼の腕で、紙がまた擦れた。


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