↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/5

一章(三)本人より本人らしい偽物

 伊之坂が玄関へ向かい、ほどなくして一人の女性を連れて戻ってきた。


 三十歳前後だろうか。肩につく程度の髪を後ろでまとめ、大きめの鞄を膝の上に抱えている。


「こちらが探偵の犬山小太郎です」


 伊之坂が紹介すると、女性は少し緊張した様子で頭を下げた。


「佐伯真帆と申します。今日はありがとうございます」


「どうぞ」


 僕は向かいの椅子を示した。

 彼女が腰を下ろすのを待ってから、僕も座る。


「それで、なりすましという話だったね」

「はい」


 佐伯さんは鞄からスマートフォンを取り出した。


「これなんです」


 差し出された画面には、一人の女性の名前と写真、それから短い文章がいくつも並んでいた。


「これが偽アカウント?」

「はい。アカウントの名前もアイコンも、私のものと同じです」

「写真も転載されてると?」

「ええ、たぶん。ほとんどは、自分のアカウントに載せたものです。でも……たまに、覚えがない写真が混じるんです」

「覚えがない?」


 佐伯さんは画面を操作した。

 映っていたのは、一杯のコーヒーと、小さな皿に載ったチーズケーキだった。


「これ、3日前の偽アカウントの投稿です」

「何か写真に問題が?」

「ちょうど3日前に仕事帰りに寄った店で、私が頼んだものと同じです」


 僕は画面を見直した。よくある料理写真だ。


「君自身は写っていないな」

「はい」

「店の公式写真の転載という可能性は?」

「同じものがないか調べました。でも違いました」

「その日、誰かと一緒だった?」

「一人です。誰にも言ってません」


 投稿には短い文章が添えられていた。


『疲れた日は、結局ここに来てしまう。頼むものまでいつも同じ』


「いつもの店なのか」

「昔からよく行ってます。でも、そんなことSNSには書いてません」

「以前にこういう写真を撮った覚えは?」

「ありません」


 なるほど。

 もし本当に3日前の写真なら、誰かが彼女の行動を知った上で投稿していたことになる。

 同じ店にいたとしたら、やっていることはストーカー行為に近い。本当の目的は何なのだろうか。


「こういう投稿は他にも?」

「あります」


 佐伯さんは別の画面を開いた。


『最近、何かを始めるたびに、どうせ途中で嫌になるんだろうなと思う。昔からそうだった。でも、始める前から諦めるのはもっと嫌いだ』


「これ、私が心の中でずっと思っていたことなんです」

「誰かに話したことは?」

「ないと思います」

「日記は?」

「書いてません」

「他に心当たりは?」


 佐伯さんの目がわずかに泳いだ。


「……実は、ちょっとだけあります」

「あるんじゃないか」

「でも、とっくの昔にやめた鍵アカウントです。フォロワーも三人だけです」

「三人?」

「昔からの友達と、大学時代の知り合いです」

「そこには似たことを書いた?」

「そのままではないです。でも……」


 佐伯さんはそのアカウントの画面を開いた。


『新しいことを始めたいと思うたび、また途中で飽きるんじゃないかと思ってしまう。自分でも嫌になる』


 僕は二つの文章を見比べた。

 同じではない。

 だが、かなり近い。


「他にも?」


 彼女は頷いた。


「私が嫌いなものとか、昔から気にしていることとか。投稿を見るたびに、自分で書いたんじゃないかって思うくらい似てるんです」

「最初から?」

「いえ。最初はもっと単純でした」


 偽アカウントが作られたのは半年ほど前。

 はじめのうちは、佐伯さんが公開している写真を転載し、本人の投稿を少し言い換える程度だったという。


 それなら悪質ではあるが、珍しい話でもない。


 ところが、数か月前から内容が変わった。

 本人がまだ書いていないことを先に投稿するようになった。

 自分でも言葉にしていなかった感情を、文章にするようになった。


 そして最近では、3日前のカフェのように、実際の行動まで言い当てる。


「警察には、写真も見せた?」

「はい。でも、私が写っているわけでもないし、その日に撮ったものだとも証明できないって」

「それはそうだろうな」

「やっぱりそうですよね」

「警察の対応が間違っているわけではない。今ある情報だけでは、確かに事件だと断定する材料が少ない」


 佐伯さんは少し肩を落とした。


「ただ」


 僕は続けた。


「気味が悪いという君の感覚まで、間違っているわけじゃない」


 顔を上げた彼女に、僕はスマートフォンを返した。


「君の行動を知っている人間がいる。あるいは、君の行動をかなり正確に予測できる人間がいる可能性がある」

「予測、ですか……」


 三日前にカフェへ行ったことを直接知っていたとは限らない。

 昔からよく行く店なら、真帆を知る人間が「そろそろ行くだろう」と考えた可能性もある。

 もっとも、それを偶然で片づけるには投稿が多すぎる。


「投稿内容が似すぎていることの方が、僕は気になる」

「私もです」


 佐伯さんはスマートフォンを握ったまま俯いた。


「最初は、ただの嫌がらせだと思ってました。気持ち悪いけど、無視すればいいって。でも最近は……」

「最近は?」


 しばらく答えがなかった。


「私より、この人の方が私のことをわかってるんじゃないかって思うんです」


 部屋が静かになった。


「それはない」


 思わず、すぐに答えていた。

 佐伯さんが顔を上げる。


「え?」

「他人が君の考えを当てたからといって、君より君自身を理解していることにはならない」

「でも」

「本人より本人らしい人間などいない」


 言い切ったところで、朝見た自分の公式アカウントが頭に浮かんだ。


 僕が書いていない文章を、多くの読者が僕らしいと言っている。

 ……まったく、嫌なタイミングで思い出す。


「とにかく」


 僕は椅子の背にもたれた。


「誰がやっているのか調べよう。君のことを、どこまで知っている人間なのかも含めてね」


 佐伯さんの表情が少しだけ緩んだ。


「お願いします」

「その前に一つだけ」

「何でしょう」

「君は、その偽者に何をされるのが一番怖い?」


 彼女は答えに詰まった。


「写真を使われることか。秘密を知られることか。それとも、君のふりをして他人と話されることか」


 沈黙のあと、佐伯さんはゆっくり首を振った。


「どれもすごく嫌ですが、一番とは違います」

「では?」

「私が、あの人みたいになってしまうことです」


 僕は目を細めた。


「どういう意味だ」

「最近、投稿を見ると、そうだよねって思うんです。私、本当はこう思ってたんだって」


 はスマートフォンを伏せた。


「自分で考える前に、あのアカウントを見て確かめたくなることがあって」


 その声が、少しだけ震えた。


「このまま見続けていたら、どっちが本当の私なのかわからなくなりそうで」


 昨夜の黒猫の声が、不意に蘇った。

 ――人間とは何だ?


 僕は無意識に、机の端を指で叩いた。


 偽者がいることが問題なのではない。

 少なくとも、彼女が恐れているのはそこではない。

 誰かが作った自分を見続けるうちに、自分自身の方が揺らぎ始めている。


 だとすれば。

 この事件で探すべきものは、なりすましの正体だけではなさそうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。